硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

愛知県の都市伝説?

2020-11-28 17:36:47 | 日記
愛知県知事は、飲食店の営業時間短縮要請を名古屋市内の一部の区域のみとした。

隣りの県に住む僕も、縁は全くないけれど、繁華街と言えばその区域という印象が強い。しかし、名古屋市内は他にも繁華街がある。
今日の午前中のCBCラジオ、「ズバリサタデー」で、北野誠さんが、この件について「名駅や今池の方が人多いで」という発言をされていたので、聞いていた僕も「ほんまやで」と合図地をうった。

そして、「なんでその区域だけなんやろ」と疑問を呈していたので、確かになぁと思いを巡らせていたら、ふと思い出したことがあった。

何処の局の情報であったは忘れてしまったけど、現在、その区域は再開発が進んでいて、不動産屋さんも、積極的に土地を買い進めていて、その繁華街の区域を商業用としてではなく、居住区として整備してゆくというものであった。

その中で、インタビューを受けていた人も「今は繁華街だけれど、居住区が増えれば、いずれ繁華街というものもなくなるのではないか」というような事を話されているのがとても衝撃的で、その時、僕は「都市計画というのはそうゆう事もありなんだなと」思った。

もし、その区画を居住区として再開発を進める計画があるのだとしたら、自然な形で引き払ってもらった方が、計画している人々にとっては好都合である。

都市伝説みたいな妄想であるけれど、まさかね・・・。

この先の世界での、出来事について。

2020-11-27 22:01:11 | 日記
確か昨年、飲食店の予約をドタキャンするというニュースが報じられていたように思う。
そして、食品ロスの問題も事あるごとに報じられていたように思う。

当然のことながら、現在の世の中はそんな場合ではなくなったけれど、食品ロスを削減するという目標はどうなっているのでしょうか。

今年の食品ロスは、前年に比べて何パーセントくらい減ったのだろうか。

それどころではないかもしれないけれど、もし、数字で捉えられるなら、今の事象は、アフターコロナでの食品ロス対策を考えてゆくヒントになるかもしれない。

知は感情を納得させることが出来ない。

2020-11-26 10:00:37 | 日記
昨晩、政府の新型コロナ分科会が開かれて議論が行われたというニュースを蒲団の中から観ていて疑問がわいた。

学術会議という組織も、分科会という組織も、英知を発揮し、よりよい社会を築いてゆく為に、政府へ提言する為の組織だとするなら、「増えちゃいましたね。どうしましょう。」ではなく、感染率が低い時に「消滅したわけではないから、増加させない為の予防策も整えておきましょう。」と考えておくのが、知というものなのではないでしょうか。

これでは、「攻撃を受けてしまいました。被害が出ています。どうしましょう。」というのと同じではないかと思う。

そして、この事象は、小林秀雄さんが言うように「知は感情を納得させることが出来ない」という事なのでしょうか。

逆に分からなくなってしまった。

2020-11-24 10:39:10 | 日記
20代前後の頃、テレビで政治家の人や専門家の人、論客の人が政治や経済について議論しているのを観て、世の中の事にまったく興味がなかった僕は「よくわからない事をテレビでしゃべってて何が面白いんだろう」と思った。

時は過ぎ、その間に読書が好きになって、少しばかり世の中に明るくなった僕は、政治家の人や専門家の人、論客の人が政治や経済について議論しているのを観て、話は理解できるのだけれど、逆によく分からなくなった。

テレビで語られる事は、すべてエンターテインメントって捉えればいいのでしょうか。

何かが変だ。

2020-11-19 15:04:37 | 日記
朝、「神宮外苑の銀杏並木で、車道に出て写真を撮る人達」のニュースを観た。
確か去年も同じニュースを観たけれど、その時は外国人観光客のマナーについて論じられていた。
今年はコロナ禍で、外国人観光客はほぼいないので、日本の人がインタビューを受けていたけれど、語られた言葉は、昨年インタビューされていた外国人観光客と同じような内容だった。

何かが変だと思った。

つまり、コロナ禍ってこういう事じゃないだろうか。

2020-11-17 09:24:14 | 日記
再びコロナウィルスの話題が多くなってきている。

でも、よく考えてみれば、コロナウィルスは消滅していないのだし、お薬も出来ていないのだから、風邪やインフルエンザと同様に、気温と湿度が下がれば感染が広がるのは自然なのだと思う。

そして、経済的にもすごく大変なのだけれど、「行き過ぎると振り戻る」という現象は昔からあったのではないかと思う。

戦争にしても、経済にしても、行き過ぎると、それまでに構築してきたものが崩れ去り、収まり、そして緩やかに再構築されてきたのではないでしょうか。

その現象は、人が過剰な消費に麻痺してくると、人為的であれ、自然的であれ、地球が持つワクチンが働くのだと考えれば、現在のコロナ禍にも納得がゆくのです。


アメリカ大統領選挙って・・・。

2020-11-16 09:58:10 | 日記
アメリカ大統領選挙の不正疑惑が払しょくできないでいる。

新聞やニュースはトランプさんは潔くないという感じで報道されている感じがする。
しかも、トランプ支持者の中には、Qアノン、プラウド・ボーイズという、よく分からない組織の名も報じられていて、違和感を覚える。
それに対し、バイデンさんに関しては何も報じられないし、不正の事に関しても伝わってこない。

しかし、前回の選挙も、「不正があったのではないか」という、報道がなされていて、払拭されないまま今に至っていることから考えると、アメリカ大統領選は、もう、民主主義の体をなしていないと言え、それは、左派か右派かリベラルか、民主党か共和党か、という問題ではなくなっているように思う。

また、プーチンさんと習近平さんがバイデンさんに祝辞を送っていない事から考えると、一見複雑に見えるこの事象は、トランプさんが勝利する事で、大きな利益を得られるのは誰で、その事で不利益を被るのは誰で、バイデンさんが勝利する事で、大きな利益を得られるのは誰かという事が前提で、進められたのではないかと思う。

でも、よくよく考えると、そうやって人類は歩んできたのであり、そうしてしまう事が人の根底にある本能ともいえるので、これからも、前進、後進を繰り返しながら、時代を築いていくのだろうと思う。

「コモン・センス」は、名著だと思うのだけれど、もう、賞味期限が切れてしまったのだろうか・・・。

さらば、クラウン。

2020-11-15 10:45:22 | 日記
つい先日、「トヨタ クラウン」が生産終了を迎えるという記事を観た。いよいよそういう時代が来たのだなと思った。

クラウンという車は、亡くなった父が好きな車であった。昭和30年後半から長距離トラックの運転手をしていた父は、職業柄、関東方面にも明るく、田舎では誰も知らないようなこともよく知っており、流行にも敏感だったので、マイカーという概念もまだ浸透していない田舎でも、いち早くマイカーを所有した。(中古らしかった)だから、僕が物心ついた時には家の庭にクラウンが止まっていた。
そして、小学校高学年くらいの時、クラウンがフルモデルチェンジしたとき、ディーラーのオジサンが何度も家に足を運んでは、新しいクラウンを父に進めていたのであるが、時期は農業も機械化が進んでおり、次々に市場に出される、田植え機やコンバインを、農協からお金を借りて購入していたので、お母さんは反対していた。しかし、ディーラーのオジサンの熱意と父の希望に、最後は根負けして、クラウンの「ロイヤルサルーン」というタイプをローンを組んで買うことになった。
そして、僕が車の免許を取った頃、再び新しいクラウンが欲しいと言い出したが、同時に新しいトラクターも望んだ。しかし、さすがの母も、今度ばかりは、家も古くなってきていた事もあり、(家は傾き、隙間風が入り、雨漏りもしていた)「どちらかにして」と言ったらしい。
選択に悩んだ父はその末に、トラクターを選び、(トラクターも隣の田んぼの人が、新しいトラクターで素早く耕していくのを見てほしくなったらしい)とても残念そうに、「さらばクラウン」といって、軽バンに乗り換えた。だから、クラウン=父というイメージがいまだに消え去らないでいる。(すべて、父が亡くなってから聞いた話である)

ほんの40年位前は、車を所有する事が「ステイタス」であり、その中でもグレードの高い車を所有する事が男のロマンだった。今では、アウディやBMW、メルセデス、ポルシェ等、一昔前ならなかなか見ることが出来なかった車も、普通に見られるほどに、日本は豊かになったが、高齢者の男性が高級車である象徴の「クラウン」や「レクサス」などのハイパワーでハイグレード車を運転しているのを見ると、「そのパワーはコントロールできないけれど」、所有していることが『ロマン』なのだという意気地が伝わってくる。

それに対し、今の若い人たちは、車に関してそこまで拘りがなく、車を所有する事すらも「ステイタス」ではなくなりつつあるので、(成功者=高級車所有という価値観がなくなるわけではないけれど)ニュースで知事さんや議員さんが公費で高級車を購入することが問題とされるのは、時代間での価値観に齟齬が生じているからであろうと思われる。

しかし、それ以上に車を取り巻く環境も変わりつつあり、より安全でエコロジーな車作り、オンラインによる自動運転、化石燃料に頼らないエネルギーを動力とするパワーユニットなどの技術がこれからの自動車に求められるのだとしたら、多くの人が熱狂した、フォーミュラー1のレースも、その意味を失う。

テクノロジーの変化というより、人が何かに欲望し、経済成長を求め続ける限り、スクラップ&ビルドは繰り返され、その都度、新しいモノが生れてゆく。

そう考えると、クラウンの生産終了は自動車業界の大きな変化を迎える象徴ではないかと思う。
さらば、クラウン。

アメリカ大統領選挙を考えてみる。

2020-11-06 09:44:31 | 日記
なかなか決まらないアメリカ大統領選挙。

今思うと、これほどに勢いのあるトランプさんに対抗する人を立てるのも大変だったのではないかと感じる。

勢いがあるという事は、流れは簡単に変えられないという事でもある。
という事は、流れを変える為には、まず、ゆっくりと流れを減速させる必要がある。
流れと言っても、人のすることであるので、様々な場面で叩かれる事が前提になる。
そして、常に変化を求めるアメリカで、高齢者であるバイデンさんの2期目は考えにくい。
とするなら、アメリカをハンドリングする人たちは、今の混乱を踏み越えた先。つまり、もう、次の大統領、次のアメリカのステージを考えて動いているのではないかと思う。

それならば、この混乱した現状にも納得がいくのです。


アメリカの感情とは・・・。

2020-11-02 09:49:01 | 日記
アメリカ大統領選挙関連のニュースで銃を購入する人が増えていると報じられていた。
大統領選挙と銃の購入者の増加ってどんな関係があるのか分からない。
その理由は、選挙戦によって暴動が起こるからであり、選挙戦が終わって、どちらが当選しても、暴動がおこるのではと言われている。

「クソッ! トランプめ! 俺は絶対に認めない!!」
「クソッ! バイデンめ! 俺は絶対に認めない!!」

と叫びながら、相対する支持者に暴力を振るったり、支持者のお店を襲ったり、公的な建物を破壊したりするという、その感情が分からない。
直接的に被害を被る分けではないのに、どうしてそこまで熱くなれるのでしょう。

アメリカ在住でないから分からないけれど、大統領選挙で、生活が豊かになったり、困窮したり、治安が悪くなったり、銃を持たなければならない理由は、どこにあるのだろうか。

大統領選挙は国民に明るい未来と安心を感じさせねばならないと思うのだけれど、独立戦争、先住民の強制退去、南北戦争を経て、急速且つ短期間で、今の形が創られた事を考えると、先進国とはいえ、暴動が起こるというような事象は、人々の心から消え去っていない地続きな感情なのかもしれない。