硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

今、そこにある危機。

2017-04-25 21:04:14 | 日記
此処の処、朝のニュースでよく聞くワードが「Jアラート」や「ミサイルが飛んで来たら」であるけれども、このような有事を想定したワードはどうしてもリアリティに欠けるのです。

もし本気で戦いに勝とうとするのであれば、先手必勝が不可欠であるし、戦争に綺麗も汚いもないので、先手で相手にいかに大きなダメージを負わすかが勝敗のカギを握る。

仮に、小国が戦いを少しでも有利に進めようとするならば、数発の弾道ミサイルを国内の主要軍事施設へ向けて撃ち、補給や補充の経路を絶ちつつ、大国にミサイルの威力を示すために、同盟国の首都を狙い、焦土化した首都を見せつけた後、すぐさま大国本土への攻撃を開始できるような準備を整えておき、切り札を持っていることをチラつかせながら改めて交渉するのではないかと思います。

これが、逆ならば、ミサイル攻撃が始まる前に、イージス艦と潜水艦から主要な軍事施設へ向けてミサイル攻撃を行い、次に戦闘機による攻撃で制空権を確保した後、間髪入れず爆撃機による空爆を行い、その後、陸上から進撃してゆく間に、交渉を進めるのではないかと思います。

リアリティはないけれども、報道番組がミサイルが飛来した時の対応を報じている以上、可能性は0ではないし、攻撃が始まってしまえば、民間人の犠牲も避けられない。

戦争なんて現実に起こるわけがないと楽観的に捉えてしまえば、その時はもうすでに手遅れになっているのかもしれないが、それがリアルな戦争というものかもしれない。

なんとか避けて通れないものだろうか。

筍。

2017-04-24 22:48:03 | 日記
「もう筍が上がったで、採りにいこか」と母が言った。よく晴れた午後、軽トラックに乗り近くの山へ上がる。過疎の進む農村に住む僕が向かう山は、無論固定資産税を払い続けている我が山。こういうと驚かれる方もいらっしゃるかもしれないけれど、どんなに小さい山も大概個人が所有している山なのです。
僕の場合は祖父や曽祖父が「末代まで苦労しないように」と、苦労して少しづつお金を貯めて購入した山をそのまま受けついでいるわけなのですが、苦労して植えた苗木も手入れをしない為に枝も伸び放題。また年に数回しか山に入らないので、山に入るたびに「このままでよいのだろうか」と考えてしまう。

山に到着し竹の生えているあたりの地面をじっくり観察してゆくと、枯草の間からひょっこりと筍の芽が出ていて、筍採り用の鍬で筍の周りを掘り、折れないようにじっくりと掘り起こしてゆく。
折れずに採れると、顔が思わずほころぶ。

ところが、よく見ていると、筍が上がっている周りに、ジュースの缶やペットボトル、お菓子の袋などが捨ててあった。
所有者以外の人が山に入るのは、断りもなく人の家に上がり込むのと同じ事になるのとも思うのですが、何分にも自然の一部であるので個人の所有物とは認識しにくいとも思う。
竹はどんどん生えてくるので採って頂くのもさほど問題はありません。
でも、ゴミはどうでしょう。山奥であるから、一目にも付きにくいからさほど問題はない、と考えられるかもしれませんが、それでは、他者の家の庭やベランダにごみを棄てても問題にはならないでしょうか。

人目に付くか、付かないかを判断基準にしても良いのでしょうか。

車に乗って過疎地域の山までわざわざ筍を採りに来る人というのは、いい大人であろうと考えられます。

大人が、大切ななにか欠落させていては、子供たちから蔑まれるだけであるし、それでは、どんなに正論を語ろうとも良い世の中なんて構築できないと思うのです。


あれは、なんだったのだろうか。

2017-04-15 19:42:25 | 日記
妻の運転で移動中、外の景色を眺めていたら、前方左の少し離れた田んぼの上に少し大きめのシャボン玉が浮いているのが見えた。田んぼの近くには民家もあったので、どうやって大きなシャボン玉を作ったのだろうかと子供の姿を探したが見当たらない。現場に近づいてゆくとシャボン玉は割れることなく浮き続けていたので、さらに注意深く人影を探すもやはり確認できない。少し混乱しつつもその事象がなんであるのかわからないので、いきなり車を止めてとも言えず、振り返りつつ観察し続けたが、その姿は次第に遠ざかり視界から消えていった。

あれは、いったい何だったのだろうか。

クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃。

2017-04-07 21:50:04 | 日記
年甲斐もなく最後まで観てしまい、ちょっぴり感動もしたので、少しだけ感想を述べておこうと思います。


「クレヨンしんちゃん」は、本当にばかばかしいけれども劇場版となるとエッジの効いた物語が多く、今回の映画も、社会的承認の網から零れ落ちた異なる者を承認し、寛容な気持ちを以て他者に寄り添い、手を差し伸べ、愛と正義感で救済したのである。

また、ヒロインであるサキちゃんも、最後には過保護であった父からほんの少し自立し悪夢と付き合いながら生きてゆくことを選択するという、なんとも大人な落としどころを発見するという見事なまでのビルディングロマンスに思わず唸る。

「クレヨンしんちゃん」を、教育上よろしくないと断じてしまう大人もいるけれど、劇場版を観て、それでもなお「よろしくない」と判断する人は、おそらく、異なるものを排除するために徒党を組み力尽くで排除する事を是とする大変不寛容な思考の持ち主なのではと思うのです。




真実は。

2017-04-07 18:59:34 | 日記
シリア空爆で化学兵器サリンが使用されました。それはアサド政権が指示したものだとして米軍はミサイル攻撃を行いました。
でも、事実なのは、双方の攻撃で一番の犠牲を被ったのは民間人だったということではないでしょうか。

何が正しいのか。真実はどこにあるのか。報道では何もわからないという事しかわからないのです。