今春から始まったテレビドラマで欠かさず観ているのが「スーパーマン&ロイス」。
新しいスーパーマンが始まるのかと、とりあえず録画してみる事にしたのですが、すごく面白くてはまり込んでしまった。
テレビドラマ「スーパーマン」を最初に観たのが確か小学生の低学年の頃のような記憶がある。もちろん、何回目かの再放送で、白黒の時もあった気がする。そして、「玉よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び」というナレーションもなんとなく覚えていた。
その頃のスーパーマンは、決して弱みを見せず、力強く、必ずピンチを切り抜け、悪を倒し、優しく慈愛にあふれた、マッチョ男というイメージで、子供心に「アメリカの男性はみんなこんな感じの人」なのかなと思っていた。
しかし、今になって考えてみると、制作が始まった当時は朝鮮戦争が始まっていたので、ヒーローを通して、「強い男へのあこがれ」をかき立て、「強いアメリカ」を信じさせる狙いがあったのかもしれない。
それに比べ、現在の「スーパーマン&ロイス」は、リストラにあい、母の死に向かい合い、田舎町へ引っ越し、思春期で難しくなった子供たちやキャリアを失い、スーパーマンが夫である特殊性に悩む妻ロイスとスーパーマンを抑止力として用いようとする軍人の父、モートビルの友人や学校関係者等、対人関係に苦悩する様子が描かれていて、強敵に対峙するスーパーマンの方より、一人の父親としての側面の方が際立っているように思います。
そう考えると、ヒーロー物は、マトリックス4もそうであったけれど、(アベンジャーズもそうだったように思う)ヒーローはもう無敵ではなくなり、ヒーローを支えるパートナーの協力によって、はじめて敵を倒すことができるいう物語になってきたように思う。
そして、もし、子供の頃に観たスーパーマンが、「アメリカの象徴」としての役割を担ってたとしたら、現在の「スーパーマン」にもその役割があるはずであるし、それがあるのだとしたら、現在のアメリカは、「強さ」ではなく、「様々な人々が共に助け、支えあえるアメリカ」を求めているのではないかと思ったのです。
新しいスーパーマンが始まるのかと、とりあえず録画してみる事にしたのですが、すごく面白くてはまり込んでしまった。
テレビドラマ「スーパーマン」を最初に観たのが確か小学生の低学年の頃のような記憶がある。もちろん、何回目かの再放送で、白黒の時もあった気がする。そして、「玉よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び」というナレーションもなんとなく覚えていた。
その頃のスーパーマンは、決して弱みを見せず、力強く、必ずピンチを切り抜け、悪を倒し、優しく慈愛にあふれた、マッチョ男というイメージで、子供心に「アメリカの男性はみんなこんな感じの人」なのかなと思っていた。
しかし、今になって考えてみると、制作が始まった当時は朝鮮戦争が始まっていたので、ヒーローを通して、「強い男へのあこがれ」をかき立て、「強いアメリカ」を信じさせる狙いがあったのかもしれない。
それに比べ、現在の「スーパーマン&ロイス」は、リストラにあい、母の死に向かい合い、田舎町へ引っ越し、思春期で難しくなった子供たちやキャリアを失い、スーパーマンが夫である特殊性に悩む妻ロイスとスーパーマンを抑止力として用いようとする軍人の父、モートビルの友人や学校関係者等、対人関係に苦悩する様子が描かれていて、強敵に対峙するスーパーマンの方より、一人の父親としての側面の方が際立っているように思います。
そう考えると、ヒーロー物は、マトリックス4もそうであったけれど、(アベンジャーズもそうだったように思う)ヒーローはもう無敵ではなくなり、ヒーローを支えるパートナーの協力によって、はじめて敵を倒すことができるいう物語になってきたように思う。
そして、もし、子供の頃に観たスーパーマンが、「アメリカの象徴」としての役割を担ってたとしたら、現在の「スーパーマン」にもその役割があるはずであるし、それがあるのだとしたら、現在のアメリカは、「強さ」ではなく、「様々な人々が共に助け、支えあえるアメリカ」を求めているのではないかと思ったのです。