硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

そこは約束の地ではない。なぜなら。

2024-03-27 20:54:21 | 日記
ニュースを観ていたら、ガザへのパラシュート落下を用いた支援物資の輸送が上手くいかず、海に落下した物資を回収しにいった市民が溺れてなくなったと報道されていた。

そして、ガザ地区の南部ラファでもすべての支援物資が不足し衛生状況も悪く、「人々の心が壊れかけている」と国連の支援機関の保険局長が述べていた。

イスラエルとハマスの停戦交渉は暗礁に乗り上げていて、イスラエル軍のラファへの地上侵攻の準備が進められているという。

最悪の事態であるが、ニュースを観て、改めて戦争というものはいつも最悪の事態なのだと思い知らされる。

ハマスもイスラエルも引かないのは、多くの人が死に、怒りや恨みという怨念が充満していて双方に引けなくなっているからであると思うが、戦闘に関係のない市民を犠牲にしてまで戦争を続ける理由は理解に苦しむ。

もし、戦争を止めない理由が怒りや恨みという心情意外にあるのだとしたら、それは大東亜戦争末期の日本がそうだったように、国民の幸福よりも、戦争を主導する者達の「自尊心と既得権益」を護るためだけに、戦闘が続けられているのだと思う。

もしそうだとしたら、そこには「神の意志」は皆無だろう。

真実は分らないが。

2024-03-26 08:56:50 | 日記
モスクワ郊外にあるコンサートホールでテロが起こった。
襲撃した4人はすでに逮捕され取り調べを受けたようである。

アメリカ政府は、犯行は「イスラム国」によるものとしてみているが、ロシア政府はウクライナが関与していると述べ、ウクライナはそれを否定している。

イスラム国がロシアを狙った理由は「多くのキリスト教徒を殺傷すること」であるらしいが、何故、ロシアなのだろうという疑問が残る。

その理由の一つとして、シリアの内戦で、ロシアが支援している政府軍に抵抗し続けている反政府軍側に「イスラム国」がいるという図式がある。
だから、テロ攻撃の標的としてロシアという理由も分からないでもないが、キリスト教圏ならほかの国でもよいのではと思う。

本当にイスラムの国を樹立することが活動の主たる目的とするなら、また、活動の動機が歴史観や宗教の起源を理由にするものであるとするなら、一時的にでもハマスと手を組みエルサレム奪還を目指すべきなのではとも思う。

でもそれはしないようである。何故なのだろうか。

もしかしたら、この事象を俯瞰しているプレイヤーは、国の樹立や戦争や紛争、それ自体には意味がないと考えているのかもしれない。

大人になると。

2024-03-21 21:35:10 | 日記
TSUTAYAさんでDVDを物色。アニメコーナーで「ルパン三世vsキャッツアイ」というタイトルを見つける。
「おや、こんな作品があったのか」と驚きつつ、少年時代に両作品とも観ていたのでどんなものかとレンタル。

まず感じたのが、デジタル技術の進歩によって製作可能になったのだろうと思った。
これを、セル画でやろうとすると、予算的に無理なのだろうなとまで考えた。
そして、確かに絵はきれいなのだけれど、何か違和感を覚えた。

鑑賞後もこの違和感は何なのだろうかと気になり布団にもぐり、ぐるぐると思考する。

キャラクターデザインなのか、CGの動きなのか、それともハリウッド映画みたいな演出になのか、キャラクターの声なのか・・・・・・。なぜか当時のようにときめかない・・・・・・。

「好きな二つのアニメが一つの物語の中で観られている。夢のようなことであるのに。なぜ? 」と、その原因を考えていると、ふと一つの結論にたどり着く。

それは、僕が歳をとったことが一番の原因なのだと。

リアルタイムで観ていた当時、ルパン三世もキャッツアイも、純粋にキャラクターに憧れ物語を楽しんで観ていた。ルパン三世には「かっこいいな」という憧れの眼差しを向けていたし、思春期を迎えた頃に観ていた「キャッツアイ」には、同級生と「あの三姉妹の中なら誰がタイプ? 」などと稚拙な話しをしていた記憶がある。

しかし、少し前にも述べたが、その数年後、今で言う「沼にハマりこんで」しまったがために、それからのアニメの観方は大きく変化した。

そして、大人になってからは、読書をするようになった。
それも、観方が変化した大きな要因の一つなのではとも思う。

そんな事であるから今回も「ルパン三世vsキャッツアイ」のエンドロールまでチェックしたために、友達に照れながらタイプだと公言した「来生瞳さん」の声が「戸田恵子さん」だったことを知り衝撃を受けた。(高1の頃はそれほどに作品と制作の間に乖離があった。でも、今思うとそれ位無知の方がよかったのではとも思った)

今観返しても感動する普遍的なアニメ作品もあるけれど、純粋な気持ちを失ってしまうと、少年の時のようには楽しめなくなってしまうのだなと結論付けて、眠りに落ちた。




訃報記事でその名を見るなんて・・・。

2024-03-19 21:28:30 | 日記
僕が10代の頃,その名前を知った。

当時、「キティアニメーションサークル」というファンクラブの会員であり、アニメ版「うる星やつら」のファンだった。
自力でビデオデッキを購入してから毎回ビデオ録画し、必ず二回観るというヘビーユーザーで、社会を拒絶していた大変視野の狭いヲタ時代でもあった。
以前も述べたが「どんな人が制作に関わっているのか」までチェックするほど取り付かれていた。

ある日、脇役で癖のある声が耳に残った。キャラクターから少し浮いた感じもあったが印象深く心に留まった。エンドロールを一時停止で確認すると、「TARAKO」とあった。

「うる星やつら」が終了し、僕もアニメから遠ざかったころ、テレビをつけていると、その声をよく耳にするようになった。

「ちびまる子ちゃん」の話題が日常に出てきたときには「その声優さんはね・・・」と心の中でつぶやいていた。

そして、もう一人。
その人は「うる星やつら」の原画担当の中にいた。
キティアニメーションが手掛けるアニメ「宇宙皇子」で、その人の引く線を初めて知った。
繊細な線から紡ぎ出される特徴のある目の美しいキャラクターと美しい色彩。
こんなにきれいな線を引けたら絵を描くことも面白いのになぁと思いながら、その絵を眺めていた。
その人が描く線は、時代を経ても何度も見る事が出来た。クレジットがなくとも「いのまたむつみさんだ」とわかった。

二人の訃報が届く。

この気持ちを上手く言葉に出来ない。

不適切にもほどがある!

2024-03-15 21:13:42 | 日記
毎週楽しみにしているテレビドラマの一つに「不適切にもほどがある!」がある。

宮藤官九郎さんの作品は、いつもどこかのポイントで「天才じゃないか」とつぶやいてしまう事が多い。そして、やはりいうべきか、「不適切にもほどがある!」もやはり「天才!」とつぶやいてしまった。

主人公が昭和という時代と令和という時代の間を「タイムマシン」で往来し、双方の時代に生きる人達に問題を投げかけるのであるが、昭和の価値観を令和に持ち込むと大きな齟齬が生じてしまう。
両方の時代を体験している僕はいつも笑わせてもらっているが、平成10年以降に生まれた人たちにとっては何が何だか分からないであろうし、時代遅れと思われているかもしれない。
それは仕方のない事であるけれども、だからあえてテレビドラマを通して、世代差の相互理解を深めるというアプローチを試みているようにも見える。

物語をシリアスに展開してしまうと、大きな隔たりが出来てしまうテーマでもあるから、深刻にならないように「ミュージカル調の演出」を用いて、問題提起を柔らかくして落とし込んでいる。

そこを読み取っていくと、昭和と令和の相互理解も深まるのではと思うのであるが、それは難しいのかもしれないし、クドカンさんもそれを承知でストーリーを紡いでいるのだと思う。

主人公の小川一郎さんが教師として生きている1986年という年代は、まだ、どこかに戦後が残っていた。
その年の総理大臣、中曽根康弘さんは戦中、海軍主計士官だった人であるし、国務大臣の金丸信さんは関東軍に所属し、兵役免除後は大政翼賛壮団の世話役人をしていた人である。
経済界も然りで、その時代は戦中派の世代が日本をけん引していたのである。
もちろん、戦中に学校で軍事教育を色濃く受けた人たちが労働者の主力だったこともあり、倫理観はまだ軍国主義から抜け切れてない時代であった。

戦争は終わりました。今日から民主主義です。男女平等です。戦争をした日本が悪いのです。と、突然言われても、スイッチを切り替えるように考え方を変えられるほど人間の頭は良くないのである。

そこで長い時間をかけて教育現場から、新しい倫理観や秩序という思想を啓蒙し、軍国主義に陥らないように国民の思想を洗脳していったのであるが、令和という時代では「昭和の価値観」は理解しがたい価値観になってしまった。
ある意味それは誰かのシナリオ通りなのであるが、戦中に軍国主義に反対する思想があったように、現在でもその反動としてナショナリズムが台頭してきたように思う。

それが、正しいか正しくないかは分からないが、僕が思うに「軍国主義的な全体主義思想を押し付けられる生きづらさはなくなったけれども、個人主義が立ちすぎてしまい、威圧的に支配しようとする個人や小さなコミニュテイが誕生してしまったがために、生きづらくなってしまった」ように思う。

難しい事は分からないけれど、とにかく「不適切にもほどがある!」は間違いなく秀逸なドラマである事は間違いないのである。
そして、このドラマの面白さがよく分からないという20代の人々も後30年したらこのドラマの面白さが分かるのだと思う。

きっとそこも狙って物語を書いていると思うから、宮藤官九郎さんは「天才!」なのである。

今日の朝刊の一面に。

2024-03-09 21:24:25 | 日記
今日の朝刊。天才の名前が大きく載っていた。
ゆっくりと記事を読んでゆく。そして事実なんだと知った。

中学の頃、その天才のイラスト集を見ながら、なんども模写を試みた。
しかし、僕には見たものを正確に紙に書き写すという根本的な技術が欠けていた。
それでも、上手になりたくてなんども挑んだけれど、書けたとしてもどこか歪で、自分でもそれがハッキリと解った。
消しゴムで消しながら、直してみるけれど、どこをどう直してよいのかさえも分からず、模写するのをあきらめてしまった。

あらゆるアングルからでも正確で躍動感のある線が引ける。メカやキャラクターも緻密で独創的。ストーリーも今までにはないもので、面白くてワクワクした。

天才の引く線には、漫画を読まなくなった時期でも憧れは心の中で残り続けていた。

ずいぶん大人になってから、甥っ子と一緒に絵を描く事があった。
「悟空書いて」と言われて、模写してみたがやっぱり上手く書けなかった。

遠い存在であったけれども、名古屋に住む叔母が、「この間、鳥山さんが市役所に来ててねぇ…」というエピソードを聞いた時、「あっ、本当にいるんだ」と、勝手に親近感を覚えた。

それからうん十年。今や世界中にファンがいて、新聞記事にも海外からのコメントが記されていた。

なんといったらいいのか・・・・・・。人類にとって唯一の平等は死であるけれど・・・・・・。
上手く言葉に出来ない。





こう考えると腑に落ちる。

2024-03-05 22:38:31 | 日記
ラジオのニュースで、岸田首相が米連邦議会の上下両院合同会議での演説を依頼された事を知った。

国民から揶揄されようとも、批判されようとも、国民が貧困に苦しんでいようが、その姿勢がゆるがないのは、米連邦議会から認められることこそが、日本の最高権力者であると理解しているからなのだろう。

そう考えると、首相の言動のすべてが腑に落ちるのである。