硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「相棒」 ♯7

2013-11-30 12:16:43 | 日記
録画したものを観終わって、なんだか違和感を感じたので呟いてみます。

今回の右京さんの言動って、ある部分で少し変ではなかったでしょうか。

もし、それが脚本家さんやプロデューサーさんの意図的なものだとしたら、このシリーズも終わりが近いのかなと思ったのです。 

僕はファンと呼べるほどの詳しくはないので、相棒ファンの方はどう感じのかがとても気になるのです。

マクドナルドと私。

2013-11-26 21:06:35 | 日記
マクドナルドで昼食を採った。一年ぶりである。それ程にあまり好きでないのです。

少年の頃、初めて食べたハンバーガーはとても感動的で「アメリカの人は毎日こんな美味しいものを食べているのか!」と幼心に思ったものですが、ある日を境にぱったりと食べなくなってしまったのです。

今回の利用は妻の意向で、また、一年以上利用していないからいいのではという勧めもありしぶしぶ同意した。

レジの前では数人のお客さんが見えたので、予めメニューを吟味するものの何がおいしいのか分からず、戦略に乗ってしまったと思いつつも一番表示の大きいビックマックのセットを注文。それなのに妻はペースを崩さずにメニューをじっくり吟味してから注文した。

品物を受け取り窓際のテーブルに座る。宝箱のような箱に包装されていて驚きつつも蓋をゆっくり開けると、出来たてのビックマックが姿を現した。なぜか思わず顔がほころぶ。悔しいけれど演出の勝利である。
中身が飛び出ぬようにそっと持ち上げ、ゆっくりと口腔内に運び、ジワリジワリと歯に力を入れて咀嚼すると不思議と美味しい。
しなしなのイメージのあるポテトもサクサクで美味しい。水っぽいイメージのあるコーヒーもそこそこのクオリティーで美味しい。

ある日のイメージを覆す想いである。

そして、食べながら頭に浮かんだ事は、僕の中では一番安いハンバーガーでも十分贅沢な品物であったはずなのにと後悔しつつも、もう十分におじさんなのだからこれが普通なんだと納得した事や、失恋した朝に利用した朝マックのほろ苦い思い出。「ザ。ベスト」の藤田田さんのコラム面白かったなぁとか、原田さんはトライアスリートだったなぁとか変な事が次々に思い浮かんで、美味しく食べる事が出来た。

それでも、次に行くのはまた一年後であろうと思う。(笑)

「かぐや姫の物語」

2013-11-25 17:28:21 | 日記
「かぐや姫の物語」を観てきました。題材が使い尽されたものだけにどんなものになるのだろうかと思っていたのですが、とてもすばらしい作品なのです。

この感情を言葉でどう表現してよいものかと思いながら綴っているので、とても伝わりにくいものになるかもしれません。

まず、画です。もう、藝術です。男鹿さん、すごいです。きっと小林七郎さんも唸っているはずです。

作画監督の皆さんの職人技にも驚くばかりです。人物等の細かな動きは圧巻です。

音楽の久石さん。もう素晴らしいのです。

そして、脚本、監督の高畑さん。これ以上のアニメーションがこの先出てくるのだろうかと思うくらいに作品の質の高さを感じました。きっと海外での評価の方が高いのではと思います。

物語の大筋はそのままであっても、深い所で「新説」と、言えるでしょう。特に最終場面ではそれを感じ取ることができます。おもわず「ああそうか。こういう捉え方もありだ!!」と感動してしまいました。

それは、高畑監督が描いたかぐや姫は「四苦八苦」を知る為に地上に送られたのだと思ったからなのです。

百聞は一見に如かず。間違いなく秀逸の文芸作品なのです。


人を傷つける嘘はいけないと思う。

2013-11-23 10:08:47 | 日記
ストーカーによる殺人事件の公判で被告の青年が、殺害された夫の妻も共犯であると主張した事について考えさせられてしまった。

彼の主張により、「どこに真実があるのか」がよく分からなくなったからであり、もし判決通り「意思が通い合っていなかった。」としても、後味の悪い結果になるのではと思ったのです。

どうして彼は「そのような主張」をしたのであろう。罪の軽減が狙いであったとしても、無実である人を有罪に貶める事になる。
それがどんな益になるというのだろうか。

人を不幸にする嘘は念を残すのではないだろうか。人を不幸にする嘘はこれからの人生の善い材料となりうるだろうか。

そして、なによりも理不尽な暴力により命を奪われた人が不憫でならないなのではないかと思うのです。

犯してしまった罪に対して心が痛まない人の気持ちは僕には理解しがたい・・・。


ソドムとゴモラ?

2013-11-16 21:53:31 | 日記
特定通常兵器使用禁止制限締約国会議(ccw)という物々しい会議がジュネーブで開かれている。その会議の対象となるのは「人間の指示なしに敵を探して攻撃できる完全自律型兵器」

記事によると「規制のための国際ルール作り」とある。

今回は人間が遠隔操作を行う現行の無人攻撃機(MQ-1プレデター)を含まない事を明記したため米国も賛成したという。

しかし、すでに矛盾しています。遠隔操作を行う攻撃機の延長線上に自律型兵器があるのだから、この兵器に脅威を感じるならこれ以上の開発を止めなければならないと思うのであるが、それでも賛成したのは、おそらく開発は随分先に進んでおり、使用する際に国際的に叩かれないように、新たなる兵器に対応したルールを事前に作っておくためであろうと考えられる。

つい数年前まではSFのお話であったのが、リアリティを帯びてきていて空恐ろしい気がします。しかし、軍事がもたらす社会の利便性の向上というものも考えると、複雑な気持ちです。

やはり、ロボットは友達になれないのであろうか。もし、友達になれるのだとしても、それは兵器としてのロボットが当たり前な存在になってからの話になるだろう。

ロボットが兵器になるのだとしたら、裕福な国が強くなって行くだろう。
ロボットがビジネスになり、産業の主となり得たらなら、更に裕福になるだろう。そして更に性能のよいロボットが出てくるだろう。

そして人は人を模倣するだろう。いや、死なない人を創るだろう。しかし機械も永遠ではない。だから、記録だけを脳の代わりとなるものに残し、身体のみを移し替えてゆくようにしてしまうのではないだろうか。

しかし、それを補って行くほどのエネルギーや資源はこの地球では調達できないように思う。もし、これ以上に資源を搾取続けるのだとしたら、人類自体がこの地球に住めなくなる気がします。

地球が生まれてから百数十億年、その間にどれほどの種が絶滅したであろうか。それを考えると人類もその対象となりうるのではないかと思うのです。
しかし、そうなると分かっていたとしても、欲望の赴くまま今を楽しく生きた方が幸福だと思う人も少なからずいるのであろう。

創造主は私達に何を見せようとしているのだろうか・・・。

シュークリームは美味しいのです。

2013-11-15 16:38:48 | 日記
ラジオのニュースを何気に聞いていたら、びっくりするニュースが耳に滑りこんできた。

それは、ある学校の女性教諭が後輩の女教諭に「薬入りシュークリーム」食べさせて急性薬物中毒に追い込んだというものだ。

その内情をよくよく聞いて行くと、60代の教諭は後輩に対し、「考え方が異なる為、子供たちにも良くない。そして、態度も不満であり存在自体が煩わしかった。」と思っていたという。

どんな職種でもよくある日常的な光景である。

また、校長先生は被疑者の女性教諭に対して「指導力が高く、評判が良かった」というコメントから察して「出来る先生」であった事はうかがえるのだけれど、「いなくなればいいと思った。」と感じ、実力行使で排除しようとした所に疑問を感じる。

本当に子供たちの未来のために指導していると自負しているなら、身をもって生き方を示す事が大切なのではと思う。自身の目標を達成する為には他を排除する事は正しい事のだと示す事は、子供たちの未来に対して明るく希望に満ちた材料になりえるだろうか。

ますます貨幣に対してタイトになりつつある事は、大人はもとより、子供たちも無意識に気づいているだろう。だから、より豊かになりたければ、非情になり他を負かしてゆきなさいというアナウンスは「同じ価値観を共有している親御さん」達にとっての評価を得る事には大変有効であっただろうと思う。それが校長先生のコメントに反映されているのではとも思う。

また、校内でのいじめが社会問題となっている昨今に、60代教諭の自供は「いじめはいじめられる側に非がある。」と言って世論を逆撫でているようなものである。

だからといって、睡眠導入剤を盛られた教諭に全く問題がなかったわけではないと思う。上司との関係をこじらせないように努めることが必要だったのにもかかわらず何もせず放置した事が被疑者を犯行へと走らせた大きな動機なのではないかと推測するのです。

二人ともいい大人である。沢山の人と会い、沢山勉強し、沢山本も読んだであろう。それでも、法を犯してしまったのは、正しく知性を使う事は出来なかった結果なのでしょう。
総じて、教師といえども一人の人間である以上、不完全なのだと腑に落ちたのである。
そして思うのです。「学問とは?勉強とは?」と。

しかし、シュークリームは美味しく頂きたいものです。小説家の獅子文六さんが初めてシュークリームを食べた時の驚きの感想を「震天動地なものである。」と、例えたほどの美味しさなんですから。

去りゆく者への鎮魂歌

2013-11-09 16:58:14 | 日記
職場を去ってゆく若者と挨拶をした。部署が異なるのでほとんど言葉を交わすことがなかったが、施設内の事情をよく知る人から色々と話を聞いてその事情を察する事が出来た。

どうして施設から離れてゆくのかその本音は分からない。退職してゆく彼らが次に選んだのも福祉施設であるから、この仕事が出来ないというわけではないのは明白。

僕は、この職種の離職の高さをずっと考えているのですが、未だに上手く言葉にすることができないでいます。
それでも、離職に歯止めが利かないのは事実。止め処なく人が流れてゆくのです。

10年ほど前は引く手あまたであったけれども、人と時代は移ろいやすいもの。
今では募集を掛けてもなかなかエントリーして頂けない職種へと変貌してしまいました。

その原因はなんなのか。何処にあったのか。そして、この事象は発展途上上の通過せねばならぬ道程なのか。それをよく考えなければこの先の道は細くなるように思う。

社会保障制度で成り立つ介護事業は、増加する後期高齢者への対応に追われ規制緩和を施行し、「ハコ」は増えるかもしれないし、社会資源を必要とされている人は速やかに入所できるかもしれない。でも、利用者を支える人がいなければ補助等の公費は無駄になり、計画としては本末転倒のような気がします。

離職率の高い施設を運営する人達は、現場をどう思っているのだろうか。そして現場の部署の主任やリーダーと位置づけされている人達はこの現状をどのように捉えているのだろうか。

このままでは、誰も何もできなくなってしまう。職業として成り立たなくなる施設が増えるだけのように思う。

社会福祉事業なのだから、そのものは資本主義でないのだから、初心に戻り、少ないパイの取り合いは止めにした方がいいと思うのです。

去ってゆく彼らが、これから訪れるであろう苦難な道に耐えて成長できる事を祈るしかない。

無題。

2013-11-03 17:14:58 | 日記
午後から雨が降るというから、午前中にサイクリングに出かけた。ついこないだまで半そでのウエアとレーパンでよかったのにそれではもう寒い。秋冬用のレーパンを出してきて、ハイネックのヒートテックと長そでウエアで出発。

空はどんよりとしているけれど、風が無いので自転車をこぐには快適である。しかも汗をかかないからのども渇かない。
田園風景の続く道を走る。どの田圃も借り入れが終わり、残された切り株から次の稲の穂が出ているのが見られた。

暫く漕いでゆくと海辺の堤防にでる。浅瀬に海苔だなが出来ていてこれから海苔を育ててゆくシーズンである。
海水浴場も淋しいもので誰もいなくて、ただ清掃活動後のゴミ袋が回収されるのを待っている。

気がつけばもう秋である。


賛否両論?

2013-11-02 10:08:11 | 日記
ある議員さんのとった行動の話題がニュースを賑わしている。同じ議員さんからはかなり批判的なご意見が多くみられるし、彼のとった行動は軽率とみなされるのは仕方のない事かもしれませんが、この件はとてもデリケートな事柄なので気をつけながら個人的に想った事を述べておこうと思います。

まず、議員さんのとった行動は前例のない事なので批判対象になりやすいと思います。また、議員さんは純粋に現状を伝えたいという思いから手紙という形をとった気持ちも分かります。

しかし、これほどに情報伝達がスピーディーで、しかも肥大している中で宮内庁が「事実を全く知らない」という訳がない。

また、体調不良をおしてでも被災地を訪れている方であるので、私達が想っている以上に国民の事を考えておられるのではないかと思う。

したがって、行動に移る前にもう少し考えるべきではなかったかなと思う。「急いては事をし損ずる。」である。

また、彼のとった行動を批判する議員さんも強い言葉を使いすぎであるように思います。

彼はヒップ・ホップの土俵に「メロリンQ」で挑んだ人である。異端であることが彼自身の立ち位置なのだと思う。

たしかに、若気の至りであるから「鉄は熱いうちに打て」という考えも分かるが、強い言葉をメディアを通して僕たちに伝えると、考えなしに「彼は間違っている」と思う人も出てくるだろう。その事も考えて発言されるべきではなかろうかと思うのです。

政治利用というキナ臭い言葉も聞かれるけれども、上記の事を分かっているならば、手紙を渡しただけであって何の効力も持たない事は理解しているのではと思うので、もっと穏やかに諭すべきではないでしょうか。

そして基本的な事ではあるが「園遊会」なのだから、彼はまず、礼儀、作法を重んじる事が大切であったと思う。

若いのだし、時間はたくさんある。どんな手を使っても漫画のヒーローのように突然強くはなれないのだから、行く道がどんな荒野であっても、そこを歩む決心をして議員になったのであるなら、地道に活動を続けていくべきなのではと思うのです。