硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

バイトする学生さん達へ。

2016-11-29 22:23:48 | 日記
バイトをやめたいと伝えたら暴行されたという記事を読んで、思ったことを少しだけ。

求人募集をかけても人が集まらないのは、人に対して職種が増えすぎたからである。
競争社会に身を投じ、競り勝とうとすれば、どこかに無理が生じる。
人を雇って、自己利益を上げようとするなら、雇った人に負荷をかけるしかなく、雇われた人は、そこで実績を上げて出世しようと目標を立てるなら、身を粉にして働くしかない。しかし、バイトさんにはその意思はなく、学生活動が少しでも豊かになる為に働くのであるから、理不尽な労働の強要など、まったく心に響かない。

もし、学校を卒業しても、そのままそこで働いてほしいと願うのなら、バイトさん自身が「この仕事面白いな。続けてもう少し世界を広げてみたいな」と思わせなくてはならない。
いい大人が、余裕もなく、社会をよく知らない子供に長時間労働やサービス残業などを押し付けてしまっては、仕事なんてつまらないものだとしか思わないだろう。
また、SNSを駆使する世代に向けてそんなことをやってしまったら、若者からそっぽを向かれ、企業として成り立たなくなる日が来るのではないかと思う。

もし、幾年か後、バイトさんが精神的に成長し、赦せる人になっていれば、再会しても朗らかに微笑みかけられるかもしれないが、バイトさんが殺伐とした競争社会を潜り抜けて他者を出し抜き、権力を得て、再び対峙するチャンスが巡ってきたら、保持している権力を最大限に行使し、同じような境遇に陥れ、苦しんでいる様子を高みの見物で冷笑するのではないかと思う。

大変歪な行いであるかもしれないけれど、人の念は馬鹿にできない。したがって、利己的に振舞った人から学んだことをそのまま送り返される可能性は極めて高く、送り返されても身から出た錆であるから、その場は、過去の自身の振る舞いを恥じ、耐え忍ぶしかないのではないかと思われ、自己の権利を主張して自己益を増やすことは、幸せを前借する行為に等しく、前借でしかないのだから、いつかはその付けを払わなければならなくなる時が必ずやってくる。
もし、老いてからその付けを払うのが嫌ならば、今、自身がどのように立ち居振舞えば、老いた自分が若者たちから優しくされる穏やかな未来がやってくるのかを少しばかり考えた方がよいのではないかと思うのです。

逆に、バイトさんも社会に対し、注意しておかなければなりません。なぜならば、社会は依然として競争社会であるから、学校を卒業してしまえば、一人の個人であり、社会に身を投じれば、過ぎた甘えは一蹴され、組織の一員として理不尽な世界と対峙しなければならなくなるからです。

しかし、こんな世界、本当に幸福と呼べるのであろうか。

とても悲しいのです。

2016-11-16 21:53:28 | 日記
福島から横浜へ自主避難した中学生の男子生徒がいじめを受けたという記事を読んで思ったことを少しばかり述べておこうと思います。
故郷に住めなくなった理由は、地震と言う天災にあったからであり、原発の予備電源を地下に設置してしまったという人災も含まれています。

自主避難したのも親の判断であり、少年は全てを受け入れることしか選択肢がなかった完全な被害者なのです。

その被害者である少年を、同級生の少年たちは、被害者である事を理由にしていじめたのである。

天災により疲弊している人の精神をさらに追い込む精神とはなんであろうか。

どうしてそこまで、無知で、残酷で、醜くなれるのであろうか。

僕にはわからない・・・・・・。

市川紗椰さんの弱点。

2016-11-12 21:54:49 | 日記
アメリカ大統領選挙の日、お昼頃にテレビをつけると市川紗椰さんがアメリカから選挙の実況中継をしていた。市川さんの事は度々語っているのであるが、ファンというほどではないので「ユアタイム」は観ていない。だから、久しぶりに彼女の姿をみて、やはり不思議な感情を抱いてしまったのであるが、状況を伝える事にしどろもどろの紗椰さんを観ていて、ハラハラし、次第に居た堪れなくなってしまった。

すごく頭の回転が速いのに、最短距離で情報を伝える事を苦手と自覚する紗椰さん。
何故だろうかと少しばかり分析してみる。

彼女は、入力した情報をかみ砕いて、入力した時よりも精度の高い情報を出力することが出来る研究者向きな特性を持つ。
研究者向きのアンカーと言えば、日テレの桝さんや後藤晴菜さんを思い浮かべるが、二人ともアナウンサーであるからライヴにも強い。
彼らと彼女の違いはなにか? 
紗椰さんと枡さんの大きな違いは、メディアへのエントリーの仕方であり、根っこの部分の頭脳の使い方は同じであるが、メディアに携わってからの頭脳の使い方はずいぶん異なる。つまり、入力した情報をじっくり考えるスタイルのまま来た紗椰さんが、アンカーとして鍛錬してきた枡さんや後藤さんのようにライヴで出力するには頭脳の負荷が大きいと考えられます。

つまり、紗椰さんが今の状況を打破するにはアンカーのトレーニングを積み、頭脳の使い方を変革してゆくしかないのではと思うのだけれど、アンカーではない紗椰さんにそこまで求めるのもなぁとも思ってしまうのです。

しかし、人生は苦悩の連続であり、ままにならないものである。それは紗椰さんも分かっているであろうし、ストレスフルな日常であるかもしれないけれど、せっかく掴んだチャンスでもあるのだから、コアは今のままでいいから、よい鍛錬をつんで素敵な「オタクな女性」になってほしいと思うのです。

紗椰さん。焦らずぼつぼつ行きなされ。


介護の日に想いを寄せて。

2016-11-11 16:10:59 | 日記
介護という仕事に従事している者の一人として、日頃から考えてきたことを文章にまとめ、綴っておこうと思います。
このテーマは何度も述べてきたことなので、重複する部分も多いとは思いますが。しばしのお付き合いよろしくお願いします。

現在、介護現場ではどこの施設も職員不足に陥っています。そして、これも幾度となく述べてきましたが、職員さんにその理由を尋ねると、多くの人達が「賃金が低いから」と言います。

賃金が低いから人手不足に陥る。確かにその一面もあるかもしれません。しかし、本当に賃金の低さにより、生活が困窮するという理由を抱えている人たちは介護という仕事に見切りをつけてゆきますが、多くの人は殆ど対価の変わらない他の施設へ移ってゆくのです。その反面、一つの施設に留まり「賃金が安い」と主張を繰り返す人たちほど、離職理由の高さを「賃金」に追及しています。

しかし、退職してゆく人にこっそりと理由を聞くと、特に女性は人間関係であると答える人が多く、その際に留まる側からも「あの人はここにはあわなかったね」という意見を聞くことができるのだけれど、それ以上に問題を追及しようとせず、賃金問題に執着します。

介護という仕事のモチベーションを保つ為には、従事者の心が満たされる事が重要課題になり、その課題を満たすには、私の働きが他者から感謝され、他を利する行いが自己の存在を肯定する事で充足されるものなので、他を利する働きを主とする人はあまり賃金に固執しません。其の反面、利己的な人は他者の気持ちを顧みようとしません。

一方では他者から存在を認められたくて、要求に対して誠実に対応しようとし、一方では、他者は私に従わなければならないと思う人たちが、強力な統制力を持つ社会以外で共存し続けられるものでしょうか。
他を思いやろうとする人たちは、次第に疑問を抱き、理不尽さに苦しみ、労働のパフォーマンスが低下してゆきます。それに反し、利己的に振舞う人たちは、利己的であるが故に、パフォーマンスが落ちた者をサボるなと叱責しますが、前者がいなくなると、不平不満の矛先を他者や社会に求める傾向が強く、

「私が大変な目にあっているのは、誰かが悪いのだ」と考えるのです。

「私が大変な目にあっているのは、誰かが悪いのだ」という主張を肯定してくれる場というのは、自身が構築した家庭位しか考えられませんが、家庭ではない社会で、家庭と変わらない振る舞いをするので、他者はその振る舞いを疎ましく思います。しかし、そういう人に限って、疎ましく思われている事に気がづきません。

それでも、私のわがままを肯定してくれるコミニュティを形成したいなら、その人が家長となる仮想家庭を社会で作り出さねばならないと思うのです。

しかし、仮想家庭社会というコミニュティは、同じ価値観を共有する者や恋愛関係のような関係性を築く事で、一時的には成立する構造であるかもしれませんが、時間が未来に向けて流れている以上、人の価値観や気持ちも移り変わってゆくものであるから、ひずみが生じることは避けられません。

また、学生生活を終え社会に出てきた若者が、仮想家庭環境という組織に対面した時、家長が若者の家庭のように自身を認めてくれる人達ならば、疑問を抱くことなく組織になじんで行けるであろうと考えるのは、仮想家庭社会の魅力がそこにあるからだと思うのですが、逆に、実の子のように、主観的に他者を批判し、言い返せない状況を作り出してしまえば仮想家庭社会は魅力を失います。

可視化されたヒエラルキー構造社会で、向上したいという意志を持っているならば、そこに到達する目標が明確になっているから、到達する為には忍耐も必要であろうと考えられるけれども、介護現場はフラットな共産主義的構造を持ち、家事の延長上的な働きが労働の基礎にある以上、仮想家庭の人達からの向上意欲や労働意欲を奪う理不尽は言動は、「働きに来てんのに、なんで身内から言われるようなことを言われなきゃいけなんだろうか」と思わせるのではないかと考えます。
大人が大人である事だけで、他者を批判する事はある意味特権かも知れません。しかし、向上する努力を怠り、自己利益に拘泥し、何かに依存しなければならない立場に陥ると、人は成長しようとする意欲を失います。成長の意欲を失った大人を若者たちは尊敬してくれるでしょうか。

尊敬される大人になる事や仮想家庭社会を維持することも、親戚や(中途採用者)子供の(新卒者)面倒を「しょうがねえなぁ」といいながらも、引き受け、肯定し、受容しなければなりません。したがって、仮想家長、若しくは仮想配偶者が、同調圧力をかけたり、他者を否定する事でしか自己肯定できない狭量な人であれば、仮想家庭社会は成立しないでしょう。なぜなら、そのような人が家長であったなら、異を唱える人に対しては、仮想家庭社会を維持するよりも、ムラ社会の一面が大きくなり、異を唱える者を排除しようとしますが、逆に、見放さず、根気よく面倒を見てくれた人にこそ恩義や尊敬が生まれ、プライスレスな関係が築かれることにより持続可能な仮想家庭社会が育まれると思うのです。

だから、若者たちは仮想家庭の尊敬に値しない大人に失望し、早々に見切りをつけ「家出」、つまり退職してゆくと思うのですが、介護職という枠に留まっている間は、どこの施設も同じような問題を抱えているので、施設を移っても同じような体験を繰り返してゆくしかないのではと思うのです。

最後に、経済活動という観点から考えてみたいと思います。
社会的弱者を社会福祉によって擁護する事は、言葉を換えれば、対価を生まないものを国力でいかに擁護するかという問いになります。
資本家の立場から考えると、現在国が抱えている借金は、国民一人当たり、1千万円を超えていることから、財源の確保もままならない事業を展開する事への投資はリスクが高いと考えるでしょう。
それでも、事業を展開し利益を出そうとするならば、固定された下流層を安い賃金で雇い、労働させることにより事業展開させることが最短な手法であるけれど、強者が弱者を統制する事に変わりがないので、現場から構造を再構築することは難しいと考えられます。
したがって、問題が山積している今の形が一番ベターであると考えられますが、肥大した介護事業を継続するには、パスを出す相手を速やかに変更し、(機械や外国人労働者に)流れを変えて需要と供給のバランスを保つか、規模を縮小し介護保険導入前の制度に戻すか、これは私達の問題であるので、先延ばしした問題の付けは、私達が未来でどんな災厄も引き受けるのだと覚悟を決めておかなければ、未来の若い納税者が納得しないだろうと思うのです。

そして、未来の可能性として、科学が飛躍的に向上し、人々の健康の維持や若返りが可能になったり、法によって自死が認められたならば、社会福祉に頼ることなく、人生を自身の意志で終わらせることや、余暇は自力で楽しめるようになるので、クライエントは今よりも減少するでしょう。それに伴い、事業の縮小も避けられないだろうと思われるので、自身の権利を最大化する事や、制度にあわす事に躍起になっていては、事の本質を見誤るので、もう一度、一期一会という考え方に重きを置いて介護という仕事を考えてゆかないと、介護職員として後悔する日がやってくるのではと思うのです。


ドナルドさん。

2016-11-10 22:18:35 | 日記
第45代アメリカ大統領に就任するドナルドさん。しかし、あまりよいニュースを聴かないので、個人的な妄想で肯定してみることにしてみました。

もし、ドナルドさんが家族を大切にする人ならば、慈善家であるお母様の意思を汲むのではないでしょうか。若かりしときはダーティーな事もしたけれど、彼ももう70歳。
今も長老派のプロテスタントで、愛読書が聖書というのが嘘でないのなら、残りの人生は罪を償う為に慈善な働きをするのではないでしょうか。

また、娘さんのイヴァンカさんは結婚された際にユダヤ教に改宗されたそうなので、イスラエルの民である娘夫婦から嫌われるような働きはされないのではないかと思う。

あくまでも、宗教的なバイアスが掛かっていたらの話であるが、良くも悪くもアメリカの歴史に深く残る大統領の一人になるかもしれないと思うのです。




バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生。

2016-11-09 18:27:49 | 日記
バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生を観終えてテレビに変えると、ドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利していた
劇中でクラーク・ケントの上司でありデイリープラネットの編集長のペリー・ホワイトが、
「アメリカの良心はキング牧師とケネディ大統領で終わった」
と、言っていたのがとても印象的でしたが、本当にそうだとしたら、この選挙戦はアメリカにとってどうだったのかがとても気になります。

ブルース・ウエインが言っていたように、アメリカと言う国には希望はあるのだろうか。ジャスティスは誕生したのであろうか。

欅坂46さんのコスチューム。

2016-11-02 17:59:35 | 日記
ニュースや新聞でも取り上げられていた欅坂46さんのコスチュームデザインについて一石述べておこうと思います。
記事によると、米国のユダヤ系団体から彼女たちが着用したコスチュームがナチス親衛隊の軍服にそっくりだと団体のホームページで嫌悪感を示し、総合プロデューサーの秋元康さんに謝罪を求めているとあった。

私達からしてみれば、スタイリッシュなコスチュームでしかないかもしれないし、ミリタリーファッションとしてもかっこいいと思う。
しかし、ネット環境がグローバルである以上、発信するものが歴史的に大きな影響を与えている事柄なら、彼女たちのコスチュームでさえ大変デリケートな問題になってしまう。
ナチス親衛隊の軍服はデザイナーによってデザインされたものであるから、デザインをベースとしてもスタイリッシュになるけれど、その服の根源がどういう役割を果たしていたのかメディアに晒す以上考えなければならない。

少し話は変わるけれども、中東の小さな国イスラエルが最新の重火器を用いてその領土を防衛できているのは、世界に散ったイスラエルの民がイスラエルを支援しているからであり、世界に散ったイスラエルの民が母国を支援しつづける理由の一つには「いつか歴史が繰り返されるのではという恐怖」があり、繰り返された時に避難できる国がなければ、行き場がなくなり、再び悲劇の対象者となってしまうと思っているから支援し続けているのであり、アイドルグループのコスチュームであったとしても、彼らは小さな運動から独裁者が生れたことを忘れないから、小さな出来事にも対しても敏感に反応し、再び歪んだ世界にならないように働きかけているのだと思う。
そう推測すると、島国の私達には理解しがたい恐怖がイスラエルの民にはまだあるのだと考えられます。

つい先日、ピコ太郎さんの「PPAP」がビルボードの77位になったことが大きな話題になっていましたね。それは、ネットは大きなチャンスを掴めるという証明であると同時に、発信する事柄の内容によっては諸外国への配慮が必要であり、国際感覚が欠けていると、このような事態が起こってしまうのだと思うのです。

大変デリケートな問題であるけれど、創造主が降臨し、イスラエルの民の起源を説くか、神の不在を科学的に証明しなければ、この問題は解決しないのだと思うのです。

それから、個人的な意見なのですが、相互理解を目指すうえで、おそらく事務所が許さないと思うけれども、彼女たちの精神的成長を促すためにも、欅坂46のメンバーには、現代の日本の少女として、この問題をどう感じたのか、ネットを通して素直な意見を発信してほしいと思うのです。