朝の情報番組で、少女の誘拐事件が大きく取り上げられていて、「どうすれば、子供達を守れるか」について、議論がなされていた。
テレビを消して、しばし考える。
思春期の子供は、親を「他者」とみなし、「個人」という「自我」に目覚める。
親の多くは、子供をいつまでも「私の自我から生じた生命」という、「自我」から、手離せないでいる。
親子の関係性は、家族によってさまざまであるけれど、子供が、親ではない「他者」に救いを求めてしまっては、一番守ってあげなければならない身近が、「あてにならない」と、判断したという事でもある。
SNSがなかったころも、家出はあったし、事件性の高い出来事も表沙汰にはならないけれど、あったであろうと思われる。SNSが発達したからこそ、情報が拡散されることになるのだけれど、SNSを規制した所で、親を「あてにならない」「きけんだ」と感じた子供は、家を飛び出すんじゃないかと思う。
この事件は、誘拐であるけれども、きっかけを作ったのは、家出である。
子供たちから尊敬される人になる事って、本当に難しいと思う。
テレビを消して、しばし考える。
思春期の子供は、親を「他者」とみなし、「個人」という「自我」に目覚める。
親の多くは、子供をいつまでも「私の自我から生じた生命」という、「自我」から、手離せないでいる。
親子の関係性は、家族によってさまざまであるけれど、子供が、親ではない「他者」に救いを求めてしまっては、一番守ってあげなければならない身近が、「あてにならない」と、判断したという事でもある。
SNSがなかったころも、家出はあったし、事件性の高い出来事も表沙汰にはならないけれど、あったであろうと思われる。SNSが発達したからこそ、情報が拡散されることになるのだけれど、SNSを規制した所で、親を「あてにならない」「きけんだ」と感じた子供は、家を飛び出すんじゃないかと思う。
この事件は、誘拐であるけれども、きっかけを作ったのは、家出である。
子供たちから尊敬される人になる事って、本当に難しいと思う。