東京五輪に5つの競技が追加されたことや、フォルクスワーゲン社の不正、福山さんの結婚報告の陰に隠れている小さな記事に目が留まった。
「法制局 公文書残さず」という見出しは僕の頭の中に「?」を浮かび上がらせるとともに、違和感を抱かせた。その内容は「集団的自衛権行使を可能とする憲法第9条解釈変更をめぐり、内部検討の経緯を示した議事録などの資料を公文書として残していないことが分かった」とあり、それは、「歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使がどのような検討を経て認められたかを歴史的に検証する事が困難」になるものだという。
新聞社はその理由を「公文書として残せば、情報公開制度によって十分な検討がなされたか疑念を持たれると法制局が懸念した可能性がある」と、推測しています。
情報過多で、多くの媒体に公私を問わず記録が残る時代であるから、歴史的転換でもある安保関連法案が可決した過程はすべて記録に残され、改憲の結果が乱世につながった場合でも「情報公開制度」によって、情報が開示され、正しく再検討されるだろうと思っていました。歴史は改ざんされることなく、責任の所在も明らかになるであろうと。
しかし、実際は、そうではないようなんですね。
そこで、なぜ意図的に公文書に残さなかったのかを僕なりに考えてみて思い浮かんだのは、正確な記録を残さない事が、その時代の権力者としての正しい振る舞い方なのだろうと思ったのです。無論、汚名を残さないことやお家を守る事等、個人的な思惑もあるかもしれませんが、歴史は、未来の権力者が利用できるよう、改ざん出来る余地を残しておくことが、歴史を創る者の務めであり、権力者の「慣習」なのだと思ったのです。
「法制局 公文書残さず」という見出しは僕の頭の中に「?」を浮かび上がらせるとともに、違和感を抱かせた。その内容は「集団的自衛権行使を可能とする憲法第9条解釈変更をめぐり、内部検討の経緯を示した議事録などの資料を公文書として残していないことが分かった」とあり、それは、「歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使がどのような検討を経て認められたかを歴史的に検証する事が困難」になるものだという。
新聞社はその理由を「公文書として残せば、情報公開制度によって十分な検討がなされたか疑念を持たれると法制局が懸念した可能性がある」と、推測しています。
情報過多で、多くの媒体に公私を問わず記録が残る時代であるから、歴史的転換でもある安保関連法案が可決した過程はすべて記録に残され、改憲の結果が乱世につながった場合でも「情報公開制度」によって、情報が開示され、正しく再検討されるだろうと思っていました。歴史は改ざんされることなく、責任の所在も明らかになるであろうと。
しかし、実際は、そうではないようなんですね。
そこで、なぜ意図的に公文書に残さなかったのかを僕なりに考えてみて思い浮かんだのは、正確な記録を残さない事が、その時代の権力者としての正しい振る舞い方なのだろうと思ったのです。無論、汚名を残さないことやお家を守る事等、個人的な思惑もあるかもしれませんが、歴史は、未来の権力者が利用できるよう、改ざん出来る余地を残しておくことが、歴史を創る者の務めであり、権力者の「慣習」なのだと思ったのです。