硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

ひどく危険な妄想・・・。

2014-09-26 23:04:21 | 日記
20××年。某国はエネルギー資源と基地を収奪し豊富な資金と戦力を手に納め、資本主義国家で格差に苦しんでいる人々に呼び掛け兵を補強し国を拡大すべく戦闘拠点を広めていた。一方で米国を中心とする同盟国は応戦するも戦闘は泥沼化して多くの戦死者を出していた。

日本は集団的自衛権を改憲したのち、非戦闘地域での復興活動を展開。しかし米軍の地上部隊から応援要請を受け、日本は異国の地で戦後初の戦闘活動に突入した。自衛隊の応援により戦闘はとりあえず勝利したものの、隊員から死傷者が出てしまい、国民の批判が高まり、国会は迷走を始めた。

その戦闘により、某国では日本も敵としての対象となり、新たな作戦が展開され、第三拠点より大型貨物船に戦闘員と武器を乗せ晴海ふ頭へ向かった。テロ対策に不慣れな本国では、すでに潜伏していた戦闘員が用意したトラック、車、数台が待機しており、到着と同時に乗り込み、速やかに、審議中の国会、同盟国の領事館、皇居へ向けて進行を開始した。

国会は数分で占拠され国会議員は人質となる。同時に同盟国の領事館、皇居も制圧され、某国はその報告を受け、同盟国は戦闘を直ちにやめ、兵士を引き上げるよう声明を出した。

そのニュースによって、円は信用を失い株価は暴落し、日本経済はインフレを起こしてしまう。

舵を失った日本は米国の傘下に入ったものの重大な決断を迫られることに変わりなかった。しかし、日を追うごとに人質を殺害されてゆく現状でも少数の戦闘員によるテロ活動と判断され、奪回作戦が展開された。

20××年、某月某日。国内での戦闘が始まり議事堂周辺は戦闘状態となった。
しかし、作戦は自爆により失敗し多くの死傷者をだしてしまい、それで終結したかに見られたが、某国は、二枚のカードを用意していた。皇居と日本各地の原子力発電所の数基の運命が交渉の最後の切り札として握っており、もし、交渉が決裂すれば日本の国土の三分の一を失う事は明白であった。

この先の妄想は最悪過ぎて書く事が出来ない・・・。

剣も銃も使われずに・・・。

2014-09-20 08:30:48 | 日記
スコットランドの独立の賛否を巡る問題が一段落したましたね。

ずっと気になっていて、加熱した想いが行為に繋がらないだろうかと心配していましたが、とりあえず平和的にひと段落して本当によかったです。

なぜ、心配になったのかと言うと、スコットランドの歴史にもいくつもの抗争があったからです。

紀元一世紀にはローマ人が、三世紀位にはスコット人、ピクト人に圧倒されます。それでも5世紀になるとローマの衰退により、ローマ人の引き上げが始まり、事なきを得ました。その名残は東西両海岸を結ぶカレドニア運河にみられます。カレドニアという名称はローマ人が呼称していたからだと言われています。

1066年にはノルマン人による征服に抗いつつも、ノルマンの封建性を取り入れ十二世紀には国家体制を整えました。
それでも、イングランドとの抗争は続き、スコットランドの英雄、ウイリアム・ウォレスはエドワード一世によって殺害されます。

それでも、1314年にはロバート・ブルース王がエドワード二世を破り勝利します。

この歴史を旧スコットランド国家で、

「ウォレスと共に血潮を流したものよ、ブルースが率いたスコットランド人よ、汝らの血まみれの床を迎えよ。さもなくば勝利を迎えよ。今こそその日その時ぞ・・・」

と歌っています。ずいぶん古い話ですが、受け継がれてきた文化はそうたやすく消えるものではないので、どこかにこう言った感覚が残っているのではと思ったのです。

また、スコットランドの人々は忠誠心が強く、粘り強いといわれており、ワーテルローの戦いではナポレオンを打ち破ったウェリトン将軍は「スコットランドのキルトをはいた兵士がいなければ私は負けていたかもしれない」と言葉を残しているほど、戦いとなれば粘り強く戦う気質があるのではとも思ったのです。

イングランドとの確執はまだあり、庶民から愛されていた、クイーン・メリー・スコッツは、イングランドのエリザベスに処刑されています。

しかし歴史とは意外なもので、その子供であるジェームズ6世が即位後、エリザベスが没します。それによってチューダー家が途絶えた為、ジェームズ六世が、ジェームズ一世となりイングランドと、両国の王位を兼ねる事になり、両国の連合が成功したのでした。

その後は重工業や教育等が充実してゆき発展を遂げますが、経済政策で再びイングランドとの確執が生じました。

しかし、時代は変わり、お金の流れが一国ではなく世界を動かしていているので、大変難しくなりました。その事で民主は失われてしまったのかなと思ったりもしたのですが、選挙により無血で自体が終息して、民主もそこにあることが分かり本当に良かったと思ったのです。



事件から未来を想ってみる。

2014-09-16 18:56:42 | 日記
僕は介護職員である。普段からどこかしらで思っていた事が現実となって表面化した。それは福島の養護老人ホームで入居者が入居者を消火器で殴り殺害したという事件である。

なぜ、そのような事件が起こってしまったのか、僕なりに考えていた事をまとめておこうと思います。

長年住み慣れた家や居住区を離れ、新たな土地へ移る事に抵抗を感じる人は沢山います。認知症を患っていれば感情が行動としてストレートに表れます。また、施設と言う場所は人生の終末期に初めて出合う人々と共に生活をしなければならないということでもあります。

それは、今まで築き上げてきたお付き合いを手放し、一から再構築しなければならないという作業が伴います。もし、その時点で認知症を患っていたならば、個人の意思がくみ取りにくい為、半ば強制的に人間関係の再構築を図らなければならない状況へおかれます。

もともと人付き合いの好きな人ならばよいのですが、心身が衰えてきている所へ人間関係を再構築しなければならない事は想像以上にストレスを与えます。

また、施設は様々な事情を抱えた人が暮らしている場所ですので頭のはっきりした方もいらっしゃいます。

頭のはっきりされた人が寛容な方ばかりならば問題はありませんが、多くの人の場合、どこの誰とも分からない認知症を患っている人の認知症と言う病を認知できません。だから、認知症の人が共同スペースでしかたなく起こしてしまう身勝手な行為を許す事ができません。

そこに力関係が働きます。人は恐怖で威圧する手段を容易に選択するので、共同体での上下関係が作られてしまいます。

それは個室であろうと多床室であろうと共同スペースがある以上同じ結果が生じます。職員はその場を和らげる事は出来ますが、監視員ではないので利用者間のパワーバランスには介入できません。

「そんなばかな。老人だからそんな事はあるまい」。と多くの人は思うかもしれませんが、老人だからという括りが大きな間違いなのです。精神は青年のままで、個人主義のまま歳を重ねてきた人もいるのです。

また、福祉を利用する人が昭和二ケタ世代に移行してきているので介護保険導入時より個人の主張をする人が増加傾向にあります。

僕も最初は、おじいちゃんおばあちゃんは性別を超え丸くて優しいものだと思い込んでいたので大変戸惑いましたが、自身や周りを振り返ると、気持ちだけは若いひとたちがうようよいることに気づきました。(例として、おじちゃん、おばちゃんと言うと眉をひそめる人がそれですね。)つまり、青年も老人も地続きなんですね。

夏目先生は著書の「心」のなかで「精神的に成長しないものはバカだ」。と述べています。僕はこのテクストに出合った時、頭をおもいっきりひっぱたかれたような衝撃を受けました。それ以来「精神的成長とはなんぞや?」と、自身に問い続けていますが、未だに定義づける事ができません。

だから、どうにもならない時、「主の思召しのままに」と唱えたり、または「南無阿弥陀仏」と唱え、他力に任せるしかないと開き直ったりしてしまいます。

話を戻しますね。

サービス提供者として、他者の幸福感を考える時、何が最良であるかを推し量る事が大切なのですが、慈善事業ではないので、出来る事と出来ない事が生じるのです。それは、もともと「家庭」が引き受けていた事を「社会事業」として成り立たせることに無理があり、なんらかのリスクを背負わなければ事業として成り立たすことができないと言う事なのかもしれません。

そのリスクを最小限にするには施設を縮小し、施設が利用者を選べるようになれば良いのだけれど、利益が出にくくなるので多くの事業主の賛同は得られないと思います。

ならば、人の心の成長をじっと待つか、施設がリスクを考えて対応してゆくか、はたまた、次世代の人達は施設を利用しないように健康に心がけてゆくかしないと今よりもっと殺伐とした施設になってしまうかもしれません。

しかし、施設内で殺人事件が起こった以上、この問題は組織運営を総括する厚労省にも責任があると思うので、なんらかの改善に努めてほしいと思うのです。


優しさと思いやり。

2014-09-13 21:01:08 | 日記
白杖の女子高生が足を蹴られた事件に進展が見られた。容疑者は知的障害を持つ人で受け答えもままならないと記してあった。

とても動揺し、悲しい気持ちになりました。

でも、少しだけ思ったのです。知的障害の彼が暴力に訴え出たのは白杖の彼女が目が見えないと認識したからではと。

彼も同じ人間ですから、意思疎通はとれなくても自身の生命の危機は感覚で理解できると思うのです。そこで、逆にこの人にならば勝てるという潜在意識が働いたならば、私達が知るよしもないどこかで彼が過去に受けた行為が彼の感情の選択として残っていて、動作となって表れたのではと思ったのです。

それでも白杖の彼女が外出する度に恐怖を感じる世の中になってしまった事実は消えません。

世の中には優しさや思いやりが足りなくなってきているのかもしれませんね。



言葉は大切にしたいものです。

2014-09-12 18:28:18 | 日記
新聞を開くと「朝日新聞」の記事が大きく取り上げられていた。

難しい事は分からないけれど、僕なりに思った事があります。まず、取材内容のチェックが到らなかったというのだけれど、言葉を伝える職業ならば、伝えたい宛先を意識するはずです。つまり、伝えたい宛先の人がどう感じるか言葉を発する前に考えるはずなので、個人のレヴェルでもチェックは十分できるはずだと思うのです。

もし、意図的に事実を歪め報道されていたのだとしたら、そこに利害関係が働いているとしか考えられません。

言葉で利益を得るのであれば、歴史を鑑み利害を抜きして誠実に事象を伝える事が報道の本質ではないでしょうか。

記事は言葉を尽くして語られていたけれども、とどのつまりは偉い人が恥をかきたくなかったからここまで謝罪しなかったのだと思う。

この騒動には夏目先生も怒ってらっしゃるに違いない。



人はどこまで盲目なのであろうか。

2014-09-10 08:56:41 | 日記
今朝の朝刊に目の不自由な女子高生の白杖に躓いて転倒してしまったので、腹いせに盲目の女子高生の足をけったという記事を観た。
ついこの間も、盲導犬をフォークで刺したという事件があったばかりなのでなおさら心が痛みます。

盲目の彼女は、「これまでにもじゃまだと言われた事があった」と、証言してるので、彼女のような人の存在をあまりよく思っていない人が存在するのだといえます。

でも、僕は思うのです。被害を与えた人は、意図をもって何か被害を与えられたでしょうかと。損失を与えられたでしょうかと。

目の不自由な人の為に、公の歩道を少し譲る事さえもゆるされないほど自分が優先されなければならないのでしょうか。

もし、仮に、その時嫌な事があって気持ちがいら立っていたとして、その怒りを弱者にぶつけることが許されるのでしょうか。

もし、そうであるならば、加害者の人も何かの事故や疾患で目が不自由になった時、したようされる事を黙って耐えなければならなくなります。

それとも、そのような殺伐とした世界を望んでいるのでしょうか。もしくは自身がこの世の王でならなければならないと思っているのだろうか。

もしそうだとしたら、人の心はどこまで盲目なのかと思ってしまうのです。













久しぶりにエヴァンゲリオンというアニメを観たら・・・。

2014-09-07 20:16:05 | 日記
つい先日、テレビで放映されていたエヴァンゲリオンを頑張って観て見た。

新しいシリーズは全く分からないのだけれど、今年の運だめしパチンコで勝たせてもらった台でもあったので少しばかり気になっていた。

さて、いざ観て見ると映像に迫力があり、画面に引きつけられるのだけれど、物語は全く分からない(笑)時代が進んじゃったなぁと思っていたけれど、新たな着目点に気づいた。

エヴァンゲリオンというアニメ、よく観ていると、物語の型の大枠は「ゴジラ」や「ウルトラマン」という特撮もので、中枠に冨野由悠季さんの「イデオン」があって、骨格が手塚先生や石ノ森先生。そして彩りが宮崎駿さんではないかと感じました。

そう捉えると、この作品は間違いなく、庵野秀明さんのアニメ作品の集大成だと考えられます。

また、時代が一回りし、インフラが整備されたおかげで市場は広がったけれども、宮崎駿さんがおっしゃったように「長編アニメが時代を牽引する力」はもうないのかなと思ったのです。

それから、これだけはどうしても納得がいかないシーンがあったので(笑)僕なりの意見を述べておきますね。

主人公の碇君は内向的で優柔不断で心が傷ついていたけれど、渚カヲル君だけには心を開き信頼してエヴァに乗ったのに、彼の言葉を無視し、槍を取りに行った事がどうしても納得ができません。

人間不信で自身の事も信用できず心が傷ついていて、すべてにおいて臆病になっている自身で選択できない少年であったら、信頼していた親友が止めた方がいいと判断したら「戸惑い」は生じるが、判断は親友にゆだねるはずであって、あの状況での感情の暴走は不自然であるようにおもいます。

碇君が暴走しなければ、シナリオは少年たちの希望が反映され自体は終息に向かったはずなのにと思いました。


それと、もう一つだけ。個人的な深読みなのですが、鑑賞者がこの物語で理解しておかなければならないのは、物語の謎ではなくて、碇君達もヴィレやゼーレの大人たちの地続きで、立ち位置が違うだけで、善悪を語っているという事なのではないだろうかと思ったのです。

やっぱり、深読みしすぎだろうなぁ(笑)

サイエンス・フィクション?

2014-09-04 19:05:26 | 日記
昨晩、少しの間UFO特集のTV番組を観ていて思った事を少しだけ。

CG技術が飛躍的に進歩したおかげで、素晴らしい映画等が観られるようになった半面、こういった未知なるものも加工によってリアリティを持たせて作れてしまうので、本物かどうか見分けがつきませんが、それでも映像の迫力には驚きました。

しかし、地球外生命体と呼ばれる生き物については、もやもやした気持ちが残ったのですね。

その容姿は動物のような姿で、動物のような鳴き声を発し、動物を加工せず捕食し、衣服も身につけていない。
それなのに、重力を無視し光速度以上の速さで移動できる技術を持った乗り物に乗っていて、人を拉致して人体実験できる技術があるのだという。

全く謎だらけだなと思いながら、更に妄想を続けていると、まず、もし人類が進化の過程で科学を持たず進化を遂げていたらどうなっていただろうかと考えた。

野生的に進化してゆけば、言語は今ほど複雑にはならず、地球外生命体のように鳴く事で十分事足りたのではないだろうかと考えたのですが、多様性を考えるとこの理論は無理がありすぎるなと思い考えを止めました。
しかし、この理論を逆手に考えてみたら、このままツールが発達してゆけば、多様性は統一に向かい、言語は無線によってダイレクトに脳と脳で交換できるようになり、口から伝える事は必要でなくなり、栄養もサプリメントのようなもので摂れるようになれば、口内が退化してゆき、いずれ動物のような発音しかできなくなるのではと思いました。

そして、更に進化してサプリメントに飽きた生命体が、目覚めたように動物を捕食し始めたのだと考えれば、「なるほどな」。と、腑に落ちたのです。

また、食事にしても衣類にしても現在私達の目の前にあるのは「私達の価値観」によって提供されているものであるから、価値観が転回してしまえば、身体の進化もそれに従うのではないかと思いました。

そこまで時間をかければ、乗り物だって十分進化を遂げられるでしょう。

それでも、腑に落ちないのは、地球人にハイブリットを産ませようとして失敗した事です。

あの科学力を持ってしても、人類との融合は難しいというのであれば、人類の細胞は再生不可だと言う事にはなるまいか。

しかし、記憶を改ざん出来るなら、新しい生命を回収し、育てる事も可能な筈である。でも、死んでしまったのはなぜだろうと考えた時、もし、生命の誕生に神の意志があるのだとしたら、やはり加護出来ぬものであったのだろうと思ったのです。

そこで、「神って?」と、我に帰って妄想を止めてしまいました。

そして、依然、人類は知らない事の方が多いのだなと感じたのです。



あとがき。

2014-09-01 06:49:48 | 日記
「風立ちぬ」君さりし後。楽しんでいただけましたでしょうか。

映画の世界観を維持できていたでしょうか。書き上げて見たもののとても不安です。

正直に言うと、戦争と言う訳の分らないものや、人の命が無差別に奪われてゆくといった重い出来事は、描いていても楽しいものではありませんでした。
そして、宮崎駿さんの集大成でもある作品の「間」を言葉だけで埋める事の無謀さに痛感しました。でも、今はなんとかラストシーンに辿り着けてほっとしております。

この物語は戦争と言うテーマを含んでいるので、読んでいて不快な気持ちになられた方もいらっしゃったかもしれません。でも、それは僕の力不足です。本当にごめんなさい。

それでも最期までお付き合い戴き、ありがとうございました。


「風立ちぬ」 君さりし後 最終話

2014-09-01 06:47:14 | 日記
療養所で生活を始めてから一年が過ぎたその年の冬。夏ごろから体調を崩した次郎は喀血も始まり、身体もずいぶん痩せて、付き添いの看護婦がつくほど衰弱していた。

療養所の辺り一面が雪に埋もれ、暖房が利かなくなるほど冷え込んだある夜、次郎はいつものように胸が苦しくなった。力を振り絞り、細くなった腕でベッドを押して身体を横に向けると、内臓の奥から何かが大量に飛び出すのを感じたが、不思議と重力を感じぬほど体が軽く感じ、いい得も知れぬ心持になった。
すると、看護婦が遠くの方で「先生!先生!」と、叫んでいる声が聞こえ、ぼやけていた視界が暗くなったかと思うと、今度は目がくらむほどの神々しい光に包まれた。眩しさのあまり目を閉じると、光は次第に自然光に変わってゆき、ゆっくり目を開けると、眼前に青々とした草原が浮かんできたが、よく目を凝らすと、煤煙が立ち込める中に、飛行機の残骸が累々と広がっており、散乱する部品の傍で芽生えたばかりの草が風に揺られているのが見えた。

次郎はしっかりと地を踏みしめながら丘に向かって歩いてゆくと残骸はなくなり、その先の空にはカプロー二と初めて出会った時の雲が浮いていた。

すると、突如、丘の上にカプローニが現れ、振り向きざまに、

「やあ! きたな。日本の青年! 」

と、言って次郎を迎えた。

「カプロー二さん。」

次郎はカプローニの方に歩んでゆくが、カプローニは眼前に広がる草原をじっと見つめていた。

「ここは、最初にお会いした草原ですね。」

歩み寄った次郎が話しかけると、カプローニが次郎に向けて語った。

「我々の夢の国だ!」

その言葉に次郎は、

「・・・地獄かと思いました。」と、答えると、

「ちょっとちがうが、似たようなものかな・・・。君の十年はどうだったね? 」

と、問うた。すると次郎はカプローニを見て、

「終わりはズタズタでした・・・。」と、力尽きたように答えた。

「あれだな。」

平原の彼方からきらきら光るものが見えると、聞き覚えのあるエンジン音と共に零戦の編隊が次郎達の目の前を通過しようとした。

「ほほう・・・。」

零戦のパイロットの一人が次郎に向けて片手を上げて挨拶を送った。そのパイロットが誰だかわかった次郎は悲痛な表情で手を振った。カプローニもそれに合わせて帽子のひさしに少し手を触れ敬礼をした。

夕焼けの空に向かって零戦の群れが上昇してゆく。空はどこまでも高く澄み渡っていて、太陽光に反射してきらきら輝いていた機体はその中に消えていった。

「美しいな・・・。いい仕事だ。」

カプローニは次郎の仕事をねぎらったが、

「一機も戻ってきませんでした・・・。」と、言って消えゆく機体の軌跡を眺めていた。カプローニは、

「征きて帰るものなし・・・。飛行機の宿命だ! 」

と、言った後、次郎を見やり「君に合わせたい人がいる。」と、言うと、次郎はカプローニの方に振り向き、カプローニの目線の先に目をやると、風渡る草原の中に白い日傘をさした女性の姿が見えた。

その女性はかろやかに歩みつつ次郎の方に向けて手を振った。

「奈穂子・・・。」次郎は呟きながら一歩ふみだすと、カプローニが、

「ここで、君が来るのを待っていたんだ。」と、言った。

次郎の顔が次第にほころび、それを見てとった奈穂子も晴れやかな表情になり、歩み寄りながら

「あなた! 来て! 」

と、言うと、突然強い風が吹いてきて、浮かんでいた雲が流れだした。歩みを止めた次郎にカプローニが、

「君の為に祈っていたんだ。」

と告げると、揺らめく草原の中、奈穂子がもう一度、

「来て! 」

と言った。その言葉に次郎が頷くと、自然に涙が頬をつたった。それを見た奈穂子は微笑むと、風がさらに強まり菜穂子の日傘を奪い去って、空高く舞い上がった。
すると、奈穂子は安心した表情を浮かべながら、草原の中に溶けてゆき、舞い落ちた白い日傘は緑の海原を転がりながらどんどん離れて行った。

「彼女は今、安心して行くべき所に行ったのだ! 」

カプローニがそう言うと、次郎は青年の姿に戻り、消えていった奈穂子の方を見つめて、

「ありがとう・・・。ありがとう・・・。」

と、言った。その姿を見届けたカプローニは再び次郎に声をかけ、

「・・・わしらもいかねばならんのだが・・・。ちょっと寄って行かないか? いいワインがあるんだ。つもる話を聞こうじゃないか。」

と言って、丘を下りだすと、次郎もカプローニの後に続いて丘を下り始めた。

雲はゆっくりと流れ、どこまでも広がる草原には緩やかな風が吹き続け、幾重もの草の波が、はるかかなたに向けて渡っていった。細い小道は奥まで伸びていて、その先には木造の小屋が見えた。それは飛行機作りが始まった最初の小屋であった。

                         終わり