朝のニュースでお坊さんが母親を殺傷したと報じていた。
お坊さんならば読経するはずである。経を詠むとは日々学ぶ事なのではと思うのだけれど、毎日詠んでいても心に響かないものなのだろうか。
仏教の祖であるお釈迦様はまず「怒るな」と説いています。それなのに自分の親を「口うるさい」という理由で刺してしまったお坊さんの心境とはどんなものであったのだろう。口うるさい親に腹を立て、怒りを爆発させたのは長年の蓄積もあるとはおもうけれども、お経を詠むことで怒りを心のなかで小さくする事が出来なかったのであろうか。
しかし、人の業はそれ以上に深く、お経を詠みすべてを仏に任せることの難しさをこの事件は物語っている気がします。
宗教は無力なのでしょうか。それとも、今以上に人の心が荒まない楔になっているのでしょうか。
お坊さんならば読経するはずである。経を詠むとは日々学ぶ事なのではと思うのだけれど、毎日詠んでいても心に響かないものなのだろうか。
仏教の祖であるお釈迦様はまず「怒るな」と説いています。それなのに自分の親を「口うるさい」という理由で刺してしまったお坊さんの心境とはどんなものであったのだろう。口うるさい親に腹を立て、怒りを爆発させたのは長年の蓄積もあるとはおもうけれども、お経を詠むことで怒りを心のなかで小さくする事が出来なかったのであろうか。
しかし、人の業はそれ以上に深く、お経を詠みすべてを仏に任せることの難しさをこの事件は物語っている気がします。
宗教は無力なのでしょうか。それとも、今以上に人の心が荒まない楔になっているのでしょうか。