硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

立ち止まって考えてみる。

2017-05-31 17:56:09 | 日記
向上心を持つことは悪い事だろうか。君は小さくて弱いんだから、静かに末席の席に座って我々のいう事に従っていれば悪いようにはしないと言われたら、黙って受け入れることが出来るだろうか。

もし、大陸の地を放棄する事で西側の大国との同盟に成功し、協力を得て戦をドローに持ち込めていたら、極東の小さな島国の未来は、明治からの価値観をそのまま継承し、列強国に劣らない軍備を保有していたのではないかと思う。
多くの命を機械の部品のように扱ったプライドの高いエリートの人達が、末席に座り、意見を求められることもなく、大国の言う事に黙って従うなんてできるだろうか。

何かが違っていれば、この国も同じような道をたどっていた可能性が高いのではないか。

時間は戻すことも、なかったことにすることもできないが、当たり前の平和の恩恵を受られているのは、多くの犠牲の上に成り立っているのだという事を忘れてはいけないと思う。

こころ。

2017-05-29 05:33:22 | 日記
子供の頃から、とにかく争い事が嫌いで、お笑いが好きな、お人よしのKは、小学5年生の冬休みが目前に迫った曇天でとても寒い日に転校してきた。
僕の記憶がそこまで鮮明なのは、Kは、登校初日、なじみのない関西弁で自己紹介し終えると、すぐさま当時流行っていたギャグを披露して、皆を引かせるという伝説を残したからだ。
そんなKだが、一年余りという短い期間では、転校生の肩書は拭えず、クラスに溶け込むまでには至らなかった。しかし、仲間はずれにならずにすんだのは、誰かと気まずくなりそうになると、おどけながらつまらないギャグを連発して、相手の戦意を喪失させる巧みさを持っていたからではないかと思う。
そんなKと僕は、席が隣になり、個人的に遊ぶ中になったが、親友と呼べる距離にはならなかった。

中学に上がると、Kとは疎遠になってしまった。それは同じクラスにならず、僕が野球漬けの日々を送っていたからだが、Kのクラスメートで同じ野球部のⅯとの雑談でKの様子を知る機会は得ていて、Kにまつわるいろいろな出来事を聞けたが、正直なところ疎遠とはいえあまり良い心持がしなかった。

それは、不良たちにパシリをやらされていた事や、空気を読まずに笑いを取りに行こうとする性格は皆から理解されず、クラスの中で少し浮いた存在になっていると聞いていたからだが、Kの心情は、卒業式の日、屈託のない笑顔で「いゃ~、中学は、ほんま、しんどかったわぁ」と漏らしたことにより、ようやく理解できたのだった。

中学を卒業した僕らは、さらに距離が離れてしまった。僕は市内の県立高校へ進学し、Kは家庭が貧しかった為、両親や妹の事を思い、街外れにある工場に就職した。

僕の高校生活はKの存在をすっかり忘れてしまうほど楽しく、あっという間の3年間だった。就職先も経済が右肩上がりの時代だったこともあり、あっさりと決まって、少しの不安と期待を膨らませながら入社式を待っていた頃に、当時付き合っていた彼女を駅まで迎えに行くと、駅前のロータリーで駐車していたグレーのハッチバックモデルの運転席にKの姿を見つけた。僕は、久しぶりの再会に嬉しくなって大きく手を振ると、Kも顔をほころばせ、車から降りてきて再会を喜んだ。

Kは、すでに運転免許所を取り、卒業後に就職した会社でコツコツとお金を貯め、中古の車を購入していた。一つ下の妹もアルバイトをしながら高校へ通っていて、卒業までのめどがついたから、自分も妹の卒業と同時にこの街を出て都会で働くのだと、おどけながら屈託のない笑顔を見せて言っていて、KはKなりに未来を考えているんだなと感心したのだが、最後に小さな声で「早くこの街と家族から逃れたいんや」と漏らした事は、あえて聞こえないふりをした。

僕らはそれぞれの道を歩み、僕は実家で悠々自適な日々を送りながら、初めて組んだローンでスポーツカーを買い、普通の青年があこがれる比較的手の届きやすい未来を手に入れた。
そして、皆と同じように、社会の洗礼を受け、幾度か苦難を乗り越え、少しずつ経験を積んで、いつしか人を纏める立場に就き、事務の年下の女性に恋をし、恋愛をし、結婚。娘が生まれ、僕は僕の家族を持った。平凡と言えば平凡。退屈と言えば退屈かもしれないが、僕にとっては十分すぎる人生だと思った。

繰り返す日々の中で時間に追われていると、娘は思春期を迎えていて、少し距離を置かれてしまった僕は、寂しさと諦めと父である威厳と格闘をしていた。
おかげで白髪が目立ち始め、白髪染めを使うようになった頃だったと思うが、泊りがけの出張先で、仕事終わりに飲み屋で一杯飲んでからホテルに帰ろうと一通りもまばらな少し寂れた歓楽街を歩いていると、悲しいくらいに薄くなった頭髪ではあったが、Kによく似た中年の男が前から歩いてきて、僕はもしやと思い、
「K。ひょっとしてKじゃないか」
と、声をかけると、Kも僕に気づき、「おおおっ。なんで、ここにいるんや」と驚いた。僕らはお互いの健闘を称え、「今から一緒に飲もうぜ」と、意気投合し二人で居酒屋の暖簾をくぐった。
Kは冷えたジョッキのビールを一気に飲み干すと、都会に出てみたものの、思うように職に就けず、しばらく様々なアルバイトして食いつないでいた事や、30歳を過ぎた頃、この街にたどり着いて、バイト先の紹介で配送業の職を得て、社宅に住み込みながら真面目に働き、この小さな歓楽街の飲み屋で知り合った女性にしつこい位に言い寄られて結婚を決意。今は家も買い、娘もいるのだと、つまらないギャグを織り込みながら嬉しそうに話した。僕も一人娘が大きくなり扱いに困っている事を話し、Kと子供の距離はどうなのかを聞くと、Kは「まぁ、特に・・・。普通やな」と、それまで饒舌だった言葉を濁した。何かあるのだろうなと察した僕は、詮索するのをやめて、たわいのない世間話に終始し、旨い酒を酌み交わした。
Kは、頭髪が薄くなり顔のしわが増えても、とにかく争うことが嫌いで、お笑いが好きなお人好しの人、そのままだった。

それから幾年月、思春期を潜り抜けた子供は独立を果たし、再び妻と二人暮らしを始めた。長年勤めた会社は定年退職になり、家でうろうろする僕をよく思わない妻とずっと一緒にいるのも居心地が悪く残った時間を持て余すのももったいないと、シルバー人材センターに登録し、第二の人生を始めた。その頃l再び偶然にも日曜日の買い物客でにぎわう地元のスーパーマーケットで、また、Kと出会った。

こんなこともあるのかと感慨深く思いながらも、側頭部分にわずかな白髪を残した少し悲しい風貌に驚いたが、面影はどこかに残っているものだなと思った。しかし、Kの輪郭は少しぼやけていて、この街では見かけない会社のマークの入った作業服の上着と30代の頃に流行したジャージのズボンをはき、素足にくたびれた茶色の革靴という少し変わったいで立ちで、周囲からは明らかに浮いた存在に映った。

僕はKに「K。久しぶりだなぁ」と声をかけると、Kは不思議な顔をして「どちらさまでしたぁ」とおどけながら答えた。
僕が名を告げると、ずいぶん考えていたが、小学校の名前を出すと「ああ、思い出したよ。久しぶりやなぁ」と屈託のない笑顔で言った。
僕は自分の近況を話すと、Kは少し困った顔をして「ふうん」と、相槌を打っていたが、どこか上の空というような感じにも見えた。僕は自分の話を早々に切り上げて「ところでKは、今何している」と、尋ねると、Kはますます困った顔をして、
「今かぁ。まぁ、特に、何もしてないけどなぁ・・・・・・」
と、ずいぶん歯切れの悪い答え方をした。
僕は、答えられない何かがあるのだろうと思い「そうか、まぁでも元気そうでよかったよ」というとKはおどけながら、「ああっ。お互い歳とってしもたけどなぁ」と言うと、周りをきょろきょろ見回し、「すまん。もう、いかんと」と言って、そそくさと人ごみの中へ消えていった。
Kも僕も随分歳をとってしまったなと思ったが、その時はそれ以上に何も感じなかった。

しかし、しばらくしたある日、派遣先で同級生のSに出会って、Kの真相を知ることとなった。Sは都心の大学を卒業後、この街に戻り、親の家業を継いで定年など皆無な小さな高齢者向けの施設の長として頑張っていた。
互いのこれまでの労をねぎらい、互いの道程を語り、十数年ぶりの再会を喜んだ。そして、話題はこの地に留まった同級生の近況になり、僕はつい先日、この街でKにあった事を話すと、Sの表情はにわか曇り、それまでの快活さが失われていき、心配になった僕は
「Kが、どうかしたのか」と聞くと、腕を組み眉間にしわを寄せながら、

「う~ん。どうしたものか・・・・・・」と、唸った。

「なにかまずいことでもあったのか」

「いや、まずいってこともないんだけどな・・・・・・」

Sは神妙な面持ちで、「他言無用、ここだけの話にしておいてくれ」と前置きし、Kのこれまでの人生を語り始めた。

「実はさ、うちの施設にKの妻から、Kは治らない病気になったから施設に入れてほしいと連絡が入ってさ、Kの名前が出た時、転校生のKを思い出して、俺の名前を出しちゃあ面倒なことになりそうだからと、うちのケアマネジャーに前置きをして、訪問調査に行ってもらったんだ」

「ええっ、Kが施設って・・・。治らない病気って」

「認知症だよ。最近よく耳にするだろう。今の医学ではどうにもならない病気だが、病気という括りにしてしまったことが、我々が手放すことのできない根源的な苦しみを増やしたのかもしれん・・・。いや、Kの話だったな。それでな、ケアマネジャーの報告によるとだな、Kと妻は、Kの両親が住んでいた市営住宅の一室を受け継いで、Kの少ない年金を頼りに細々と暮らし、Kも近年まで働いていたらしいんだか、人の名前や物品の名を忘れることが増えて、仕事にも支障がでてきたんで、心配になって精神科を受診したらしいんだ」

「認知症は精神科扱いなのか」

「ああ。認知症の疑いがあるのなら、精神科、神経科、神経内科のどれかを受診すれば、間違いないと思う。それで、70歳を前に認知症と診断されたんだが、頭脳以外の身体はどこも悪くなく、普通に会話もできたから、Kは受け入れられなかったんだそうだ」

「認知症って、すべてを忘れてしまう病気の事だろう。会話できるものなのか」

「ああ。初期の段階では普通に会話も成立するから、パッと目には分かりづらい。話してても、少し違和感を感じるだけだから、その辺を歩いていても健常者と見分けがつかん。ただ、文字が読めなくなってゆくスピードのほうが速い傾向にある」

「そんなもんなのか、認知症って」

「まぁだいだいそうだな、人によって症状が違うから正解はないけどな。大体そのようにして認知症が進行してゆくようだ。それでな、Kは認知症であることをアルバイト先に報告すると、バイト先の雇用主は良く思わなかったらしくて、やんわりと退職を勧められな。その事がきっかけでKは働けなくなってしまったらしいんだ」

「そうだったのか」

僕はかつての同級生が大変な境遇であることにめまいを覚え、どこを見るわけでもなく、視点はぼんやりしていた。
「話はこれでおわりじゃないが、この先を聞く覚悟はあるか」

「これだけじゃないのか・・・。いったいなにがあったんだ。最後まで聞かせてくれ」

「そうか、じゃあ、心を強く持って聞いてくれ。無論、この事はここだけの話にしてくれよ。守秘義務ってもんがあるからな。お前を信頼して話すんだ。頼むぜ」

「おおっ。勿論ここだけの話だ」

「すまんな。俺も立場上いろいろあるからな。それで、なんだっけか、あぁ、まず説明しなけりゃならんな。まず、居宅介護支援事業所ていうのはさ、介護保険というものを使えるようにするために、いろいろ面倒くさい手続きを整えなければならなくてな、その為には、詳しい聞き取り調査が必要になるんだが、それがきっかけでKの抱えている真の問題が分かってきたんだんだ」

「真の問題って・・・・・」

「ケアマネジャーの報告によると、KはK県で職を得て、そこで知り合った女性と結婚して所帯を持って、普通に暮らしていたんだが、職場の同僚の借金の連帯保証人になって、その同僚ていうのがゲスな野郎だったもんだから、借金踏み倒して夜逃げしたそうだ。それでKは借金を背負う羽目になったんだが、会社も上司もいい人だったらしく、そんなKを見かねて、休日には下請けの会社でも働けるように取り計らってくれて、Kもその気持ちに応じようと、不平不満を漏らさず、真面目に働き、少しずつ借金を返済しつづけただそうだ」
出張先で出会った時には、Kはすでに境遇であって、Kが言葉を濁したのもこの事が理由だったのだと、長い時を経てようやく理解した。
「でも、悲しいかな、Kの妻は、そんなKが大嫌いで、ある日、Kが仕事から帰ってくると、Kの妻の名前が記入された離婚届がテーブルの上に置かれていて、メモ帳に「離婚してください。娘は連れてゆきます」と書き残し、突然出て行ったそうだ」

「えぇっ。」

「ほんと、ひどい話だよな。でも、Kは目の前の現実を受け入れるしかなかったから、一人で離婚届を出し、家を売り借金を完済したんだが、今度は妹から母が病に倒れ老いた父一人ではどうする事も出来ないと連絡が入って、悩んだKは会社に事情を伝え退職し、それで数十年ぶりにこの街に戻ってきたんだそうだ」

「それで、この街に・・・・・・。しかし、妻はその事についてなんて言っているんだ。これでは妻の印象は悪いようにしか映らんだろう」

「ああ、たしかに俺も報告を受けて、Kが妻に対してDVをはたらいた可能性も視野に入れてケアマネジャーと議論してみたんだ。隣人にもそれとなく二人の様子を聞いてみたが争っていたという情報は得られなかった。むしろ、妻が声を荒げていることが多かったようだ。それで、俺もケアマネジャーのスタッフたちも、Kの人柄の良さにその可能性は低いと考えた。それに、これは俺個人の印象なんだが、Kって昔からとにかく人と争うことが嫌いな奴だったろう。だから、Kは暴力を振るわないと思った」

「たしかに。Kと暴力は、おおよそ結びつかん」

「お前もそう思うだろう。多面的に見ても常にKは受動的な立場だった。だからKはこの街にいるんだと思う」

「数奇な運命だな」

「ああ、まったくだ。それでな、少し話は戻るが、Kは市営住宅で暮らす老夫婦の生活を支えながら再びアルバイトに励み、妹と協力しながら5年ほど両親を介護し、二人を無事見送ったんだそうだが、その後、しばらくして、Kの妻がやってきて何事もなかったようにKの住まいに着いたんだそうだ。その時、お人好しのKでもさすがに思う事があったのか、黙って出て行ったことを問い正したら、妻は悪びれる事もなく「あなたは私の夫でしょう」と言ってKは諦めてしまったのだと言っていた」

「Kは・・・・・・本当にお人好しだな」

「ああ、お人好しにも程がある。俺なら出て行けって言うね。こんな理不尽な事なら拒否できたはずだが、Kは何思ったのか元妻を受け入れ、再び籍を入れたんだが、妻はもうKを愛してはいなかった」

「何とも辛い話だな。・・・・・・そういえばKは一人娘がいたんじゃなかったろうか。娘に頼れれば妻がわざわざKに依存する必要もないんじゃないか」

そういうと、Sは肩をすくめて、

「その一人娘なんだが、容姿が綺麗で結婚相手にも恵まれ、子供も一人儲けているんだが、精神障害を患っているらしく、時頼、精神的におかしくなる事が日常にある事に耐えきれなくなった夫は、数年後、慰謝料と育児費を払い離婚を成立させたんだ。しかし、残された娘は社会にうまく適応できない上に、子育ても負担になり、社会の手を借りないと生きてゆけない立場になってしまった。だから、Kの妻が娘と暮らしても、娘に依存される形になって妻の負担は重くなるだけだから、一人では生きてゆけない妻はKに頼るしかなかった」

「そうか、なんか、ぐっとくるな」

「そうだろう、Kはなんでこんなことになっちゃったんだろうって思ったろ。俺も思ったさ。でも、どうする事も出来ないのが事実さ。でも、それならば、なぜ妻は衣食住が確保できているのに、Kを施設に入所させようとしているのかが分からない。そこで俺たちが考えたのは、相談する際に語られる妻の言動はいつも支離滅裂だという事と、娘も精神障害を患っていることから、妻も何かしらの精神障害を患っているのではと予測し、念のために受診を進めてはみたんだが、Kの妻は他の意見を一切聞き入れようとしないんだ。精神障碍者手帳を取得できれば、僅かではあるが、社会から手が差し伸べられ、当面の生活は確保できるんだが、当事者が拒否しているんだから手の打ちようがない。でも、Kは認知症だが、自動車などは運転できんが、社会生活においては、ほぼ自立できているし、生活動作にも支障はない。だから、介護保険を使ってまで施設に頼らなければならないかという理由は見つけられない。しかしだな、調査を重ねているうちに妻の考えというものがおぼろげに見ててきて、これはあくまでも俺の推測なんだが、Kの妻は、Kの存在を疎ましく思ってはいるが、生きていくうえで離婚することは出来ない。また、Kの妻は、Kと離婚してからの生活を一切話そうとしない。それは、一人の力では住む場所すら確保できないからであり、精神不安定な娘にも頼れない状況にあるからだ。それでも、Kとは寝食を共にしたくない。そこで妻は籍を入れたまま別居し、且つ働かずに収入を得るにはどうすればよいかを考えていて、Kが認知症と言う病気になったのを機に、すぐに動いたのだと思った。まぁ、それでも担当のケアマネジャーもKの入所は時期尚早であるのは解っていたから、妻には入所施設が決まるまで通所介護に通わせるという名目で説得してみたところ、しぶしぶ受け入れてたよ」

「なるほどなぁ。しかしKが不憫でならないな」

「ああ。でも、仕方がないさ。それで、Kは年齢が20歳も上の高齢者のなかに交じり、通所介護に通うことになったんだが、娘のような職員から、あだ名をつけられ、つまらないおじさんだと揶揄され、惨めさを感じたのか、時頼、「まだ働けるのになぜ、お祖父さんやおばあさんたちと・・・・・・」と、嘆いていたらしい。でも、そんなKのココロとは裏腹に、娘のような職員はKのつぶやきを甘えだといって取り合わなかったらしい」

「そっ、それでいいのか」

「いいことはないさ。皆が皆、そうとは言えないが、老人介護に携わるスタッフの多くは、人であるが故に、自身の気持ちを優先する傾向にあるからどうしようもできん。でもな、認知症の人は辛い事も、楽しい事も、継続せず、目先が変わると何事もなかったようにすぐに忘れてしまうから、助かっているところが大きい。それに甘えている所は否めんよ。俺は俺の施設の事だけで手いっぱいで、自分の無力さを痛感するばかりだよ」

Sは話し終わると、しばらくじっと黙っていたが、大きなため息をつくと、

「結局、俺は何の役にも立たなくってな」と、話を再開した。

「・・・・・・どうしたのか」

「担当のケアマネージャーってのはさ、変える事も出来るんだよ。だからKの奥さん、それを知ってか、ほかの施設のケアマネージャーを頼って、Kを思惑通り、施設に入れてしまったのさ」

「えっ、しかし、Kには妹もいるじゃないか。奥さんの一存だけでは駄目なんじゃないか」

「新しく担当になったケアマネジャーがよく知っている人だったから、連絡を取り、話を聞いてみたんだが、やはりKの妹は猛反対していたらしいんだが、Kの介護の主となるのは妻だから、決定権は妻にある。しかも、Kの妻は、言うことが支離滅裂で話にならないし、極端に自己中心的。もう、皆諦めたさ。Kも認知症だが自身の境遇を理解しているのか、妻のいう事に素直に従っていたらしいよ。Kの事を可哀想だと思うかもしれんが、決まった事である以上、俺らがKの家庭に介入する権利はないし、どうすることもできんよ」

「・・・そんなことって、よくあるのか」

「いや、ないよ。初めてのケースだ。俺ら団塊世代が介護保険に頼る時代になってきたからかもしれんが・・・・・・、おそらくこの先、Kのようなケースも増えてくるんだろうな・・・・・・。嫁や子供は大切にしておけよ。これは様々な家族を観てきた俺からの忠告だ」

「大丈夫さ。僕は妻も娘も愛してるから」

「おおっ。いうねぇ。」

「本当の事だから胸を張って言えるのさ」

そう言い返すと、互いの頬に思わず笑みがこぼれた。

「話を戻すが、僕がスーパーマーケットで観たKというのは」

「Kのいる施設では週一回、施設外に出て買い物をするという日が設けてあるから、他の入居者と職員とで来ていたんだと思う。施設に入れば、誰かに迷惑をかけるという事も施設内に限定され、安全かも知れんが、反面、個人の自由度は収入に比例して制限されてしまう。低所得者の場合は特にだ。居宅でも施設でも、閉鎖的な環境では認知症も進むだろろうし、施設側も商売でやっているからリスクを嫌う。だから個人的な外出ではないと思う」

「そうなのか。少しショックだな。じゃあ、僕の事も覚えていない」

「それは、俺にもわからん。おぼろげに覚えているのかもしれんし、認知症の進行過程の人がよくやるんだが、体面を保つ為にとりあえずその場を取り繕ったのかもしれん」

「・・・そうか」
「Kは昔からお人好しなところがあったからな」

「ああ、そうだな。しかし、K自身はそれでよかったんだろうか。認知症とはいえ会話する事が出来るんだろう」

そう言うと、Sは困った顔をして「まぁたしかにそうだが、KのココロはKにしかわからん。社会福祉という専門職に就いているのにと思うかもしれんが、神ではないんだから人のココロまでわかるわけがない。介護の仕事に従事しているからって、弱者の代弁者だと自身の正しさや正義感を振りかざすやつもいるが、勘違いもいいところで、虚栄心を満たす為に対面上、わかったふりをしてるにすぎんよ。人のココロが手に取る様にわかるなら、俺は今頃、世界を牛耳る大富豪になってるよ」

Sの話におもわず吹き出してしまった。

「たしかにな。世界征服できているかもしれないが、Sが独裁者じゃなぁ」

「やっぱり、俺じゃあダメか」

そう言って僕らは笑っていた。しかし、Kの人生はそれでよかったのだろうかという疑問は消え去らず僕らの間で浮遊していた。


お堀の大怪魚。

2017-05-18 21:47:30 | 日記
少年時代、釣りばかりしていた時期があり、当時の僕にとって漫画「釣りキチ三平」はバイブルであり、妄想はひどく「釣りが仕事になんないかな」と、夢見ていた。

もう何十年も前の話であるけれど、「釣りキチ三平」の物語の中で、三平君の住んでいる近くのヘラブナが釣れる池で、頭がワニでしっぽが魚という生き物に釣ったヘラブナを食われたという噂を聞き、三平君が確かめるべく、知恵と工夫を凝らしたタックルで、その頭がワニでしっぽが魚という得体のしれない魚を釣り上げるという物語があった。

釣り上げた魚の名は「アリゲーターガー」

少年だった僕は、「そんな魚がいるのか! 釣ってみたい!」と思ったものだが、生息地が北アメリカだというから、日本でそんなもの釣れるわけがないよなと諦めていた。

しかし、近年、この名をニュースで聞くたびに十数年前に物語を通して外来種の放流について注意喚起をした矢口高雄さんの言葉は観賞用として飼う人の心までは届かなかったのだなと思った。

お金を出して購入したのに、飼いきれなくなって放流してしまう。生き物であるにもかかわらず成長することを予測しない。自身が満足さえすれば、あとは社会や自然に放り投げてしまう。ただ、消費する為だけに行われているのである。
池や川にひっそりと生きていれば、誰にも迷惑は掛かってないかもしれないけれど、目に見えないものは、大きく変化していても誰も気づかない。

しかし、その変化は完成を遂げた時に、初めて人に多くのものを失ってしまったことを気づかせるものなのかもしれません。

トレードオフを選択し続けた先に、はたして、幸福はあるのでしょうか。



介護現場の離職率の高さは。 その2

2017-05-13 20:40:15 | 日記
休憩時間に離職の話題が出たのですが、女性の方々が繰り出した衝撃的な結論に言葉を失ってしまった。

会話の話題に上がったある女性は、介護現場を2~3年というスパンで転職を繰り返していて、会話を繰り広げる女性の方々は、その人の転職理由を「飽きたからじゃない」と言い切った。
女性の方々は話題の女性の性格をよく知っていたから、僕にとっては衝撃的な結論を、さもありなんといった具合に導き出したのでした。

転職理由が「飽きたから」って・・・。

ありのままで、自分自身に素直で、うらやましいなとも思うけれど・・・・・・。

趣味の域ならわかるけれど、その衝撃的な結論には、どうにも、上手く、咀嚼できないのです。

介護現場の離職率の高さは・・・。

2017-05-12 21:08:22 | 日記
ずっと考え続けてきた事案が止揚に至ったような気がするので、書き留めておこうと思います。
介護現場の離職率はなぜ高いのか。このテーマは何度も取り扱ってきたので、今までの論考と重複するところが多いとは思いますが、少しばかりお付き合いを。

看護師さんの雑談に耳を傾けていると、医療現場でも人材は横へ流れているそうである。
○○クリニックから、××内科へ、次に△△病院を経て、老人介護系の看護師さんへという感じで渡り歩いている人は結構いるそうである。
それは介護現場とほぼ同じであるので、共通項を挙げてゆくとすると、収入源が社会保障制度である事と、女性が主体の現場である事である。
看護師さんも大変な仕事であるけれど、構造的に会社のような昇給制度はなく、既婚者であるならば、共働きであるから、生活の主体は夫であることが多い。
また職場が女性ばかりであると、精神面でなかなか大変な事が多く、人間関係で精神を病んでしまうことも多いのだとか。
しかし、看護師の資格は歴史ある国家資格であり、医療行為ができるのであり、人材不足でもあるから、横に流れても、何とか職にありつけるようです。

この構造がそっくりそのまま介護現場に適用されてしまっているのであるけれど、看護師さん達とは違う問題が多い。
介護現場は、人材不足であるけれども、資格がなくても出来てしまう仕事なので、よほどのことがない限り誰でも従事することが出来ます。また、介護保険という制度が収入源であるので、人が集まりさえすれば、余り努力しなくても、最初から上限が決められた収入を得ることが出来ます。
そのような環境で従事してゆくのですから、個人によってモチベーションや知識とか技量に差が出てしまいます。そのような中で共同体を構築してゆくわけですから、どうしても、社会に依存し、上司に依存し、同僚に依存し、上司は部下に依存し、高齢者に依存しなければ成り立たない相互依存という関係で共同体が成り立ってしまうのです。
そのような中では、どうしても発言力のある個人の主義主張が通りやすくなります。どんなに矛盾していようと、「嫌われてしまえば働きづらくなる」という、精神的な圧力が掛かりますので、反論できません。それが、年功序列で断層的にかかるものなので、所属日数の短い人ほど、より多くの個人の「気持ち」に振り回されてしまう結果に至ります。また、相互依存という関係性が成立していることが、個人の主義主張を助長させてしまうことになります。

このような現場や大人達をみた若者が希望を見出すことはあり得ず、未来に可能性を秘め、相互依存に頼らなくても社会を生きてゆける人はどんどんその業界から去ってゆくのは仕方のない事です。

現在の介護現場は、介護保険が導入された当初、若者だった人たちが現場を仕切る世代になりつつあります。しかし、彼等もまた、介護現場と言う狭く小さな社会で、誰からも叩かれずに来てしまったので自身の正しさを信じて疑わない人が多く、時間が十数年前から止まってしまっていて、高齢者と接する事が主であることに変わりないので自身が歳を取ってしまったことを認めない人が多い。
それは、現場の状況を改めて客観的な視座から見据えた時、若さへの渇望と嫉妬は高齢者と接する事で充足されてしまっている為に無意識に若い世代を避ける状況を作り出しているのではないかとも感じるのです。

しかし、それでは若い感性を得る事も、後進を育てる術を得る事も出来ずに、精神的成長を得る機会を失うばかりか、相互依存という特徴を持つ共同体が終わると同時に、看護師とは違い、次世代からこれまでの労をねぎらわれることなく失職する形になってしまうでしょう。
それでも、現在のように横に流れてゆける構造が介護という職種に担保され続ければ、自己の感情に素直になって「横に流れてゆけること」も、普通の価値観として共有されるから、未来を憂う心配などないかもしれないけれども、自身が要介護者になった時、社会保障制度の中では、誰も支えてくれない状況に陥ってしまうのではないかと思うのです。

この事案は、ジェンダーや年齢の差別という深い社会問題にまで言及してみたので、気分を害された方がいらっしゃるかもしれません。
気分を害された方、ごめんなさい。でも、こういう見方もあるのだなと思って頂けたら幸いです。

潮流

2017-05-04 20:27:58 | 日記
現在、物事に対して鈍感でいようと試みている途上中で、新聞記事やニュースに対してもなるべく心に留めないように意識しているけれど、世の中の潮流は留まることなく突き進んでいる。憲法改正は現実味を帯びてきていて、有権者の中で政治に関心がない人が多い上に、選挙で票を投じる人の中でも与党を推す人が多ければ、結果として改憲は目に見えている。

仮に、軍を保有するとなれば権力は強い方に移行する可能性が高く、国家予算は軍備に傾く。そうすれば軍事系の企業に投資が集まり、財閥系が力を持つようになる。また、徴兵制度が復活し、国民の自由は著しく管理、制限され、社会的格差は今よりも広がる。
しかし、その事により現在の利権を失うのは財閥系に関わりのない議員さんである。
官軍に逆らえば即刻職を失する構造になってしまうのであるから、与党に所属している議員さんでも、さすがに改憲に慎重にならざるを得なくなるのではないかと思う。

もし、このような稚拙な妄想が的を射ていたとするならば、皮肉なことに、国防より保身を重んじる事を是とした人が多数を占め、代表者が思い描くような未来はやってこなくなるのではないかと思う。そして、失脚という形で権力が交代した時、余りにも飛躍すぎかもしれないけれども、桐の紋所が三つ葉葵に代わるかもしれない。

この事により、経済は緩やかに下降してゆき、不便さを感じる世の中になるかもしれないけれども、「あるものを手放した」引き換えに、世界から羨まれる平和は維持されるのではないかと思う。
そして、どんな形にせよ、すべての有権者が政治に関心を持ち、投票場に向かうことを待つことより、結果的に改憲されなかったという事実を静かに喜ぶことの方が精神的に穏やかでいられるような気がするのです。