夏目漱石先生の「吾輩は猫である」にこのような件があります。
苦沙弥先生と寒月さん、独仙さん、迷亭さん、東風さんが知的雑談おこなっていると、苦沙弥先生が
「とにかくこの勢いで文明が進んでいった日にゃ僕は生きているのは嫌だ」といいました。それをうけ迷亭さんは
「遠慮はいらないから死ぬさ」といいます。それでも、「死ぬのは猶いやだ」と、わからん強情を張ります。すると寒月さんは
「生まれる時には誰も熟考して生まれる者はありませんが、死ぬときには誰も苦にすると見えますね」とよそよそしい格言を述べます。
更に4人は文明の不平を述べあいますが、苦沙弥先生はこう言います。
「死ぬことは苦しい、ただし死ぬことできなければ猶苦しい。神経衰弱の国民には生きていることが死よりも甚だしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが嫌だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただ大抵のものは知恵が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。然し一癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について種々考究の結果、斬新な名案を呈出するに違いない。だからして世界向後の趨勢は自殺者が増加して、その自殺者がみな独創的な方法を以てこの世を去るに違いない」
そして、さらにこう言います。
「ところが惜しい事にしないのだがね。然し今から千年も立てば実行するに相違ないよ。万年後には死と言えば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」
そして、「そうなると、自殺も大分研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代わりに自殺学を正科として授けるようになる」
と言います。さらに話は進み、話を聞き入っていた東風さんが
「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と言って大いに感心すると、独仙さんは
「冗談と言えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。心理に徹底しないものはとかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫の夢幻を永久の事実と認識したがるものだから、少し飛び離れた事を云うと、すぐに冗談にしてしまう」
と、言い切ります。
この件を読み込んでみると、夏目先生は、「吾輩は猫である」の登場人物を通じて未来人に語り掛けているように感じないでしょうか。
そう考えると、明治では冗談でしかなかった事を本気で考えなければならない時がやってきたのかもしれません。
苦沙弥先生と寒月さん、独仙さん、迷亭さん、東風さんが知的雑談おこなっていると、苦沙弥先生が
「とにかくこの勢いで文明が進んでいった日にゃ僕は生きているのは嫌だ」といいました。それをうけ迷亭さんは
「遠慮はいらないから死ぬさ」といいます。それでも、「死ぬのは猶いやだ」と、わからん強情を張ります。すると寒月さんは
「生まれる時には誰も熟考して生まれる者はありませんが、死ぬときには誰も苦にすると見えますね」とよそよそしい格言を述べます。
更に4人は文明の不平を述べあいますが、苦沙弥先生はこう言います。
「死ぬことは苦しい、ただし死ぬことできなければ猶苦しい。神経衰弱の国民には生きていることが死よりも甚だしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが嫌だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただ大抵のものは知恵が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。然し一癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について種々考究の結果、斬新な名案を呈出するに違いない。だからして世界向後の趨勢は自殺者が増加して、その自殺者がみな独創的な方法を以てこの世を去るに違いない」
そして、さらにこう言います。
「ところが惜しい事にしないのだがね。然し今から千年も立てば実行するに相違ないよ。万年後には死と言えば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」
そして、「そうなると、自殺も大分研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代わりに自殺学を正科として授けるようになる」
と言います。さらに話は進み、話を聞き入っていた東風さんが
「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と言って大いに感心すると、独仙さんは
「冗談と言えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。心理に徹底しないものはとかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫の夢幻を永久の事実と認識したがるものだから、少し飛び離れた事を云うと、すぐに冗談にしてしまう」
と、言い切ります。
この件を読み込んでみると、夏目先生は、「吾輩は猫である」の登場人物を通じて未来人に語り掛けているように感じないでしょうか。
そう考えると、明治では冗談でしかなかった事を本気で考えなければならない時がやってきたのかもしれません。