食べられなくなったおばあちゃんが息を引き取った。大往生だったのでこれでよかったのだと思って気持ちを落ち着かせた。
しかし、改めて我が人生を振り返ってみると、福祉の仕事に従事したて頃は関わった人が死んでしまうと言葉にならない複雑な気持ちになったけれど、最近はどうも違った意味で複雑な気持ちになる。
随分昔、ガールフレンドが看護婦さんで僕はまだ会社員だった頃、彼女の仕事の話をたびたび聞く事があって、彼女が人の死について「最初は悲しんだりしたけれど、不思議と慣れていって普通になるんだよ。」と言っていた事があった。その時は「人の死について慣れる」という感覚がよく理解できなくて曖昧な返事をしていたけれど、彼女の言葉を最近になってよく思い出す。
確かに慣れてゆく。彼女の言っていた通りだなと思う。そして彼女の言葉からもう少し思考を深めて極論を言えば、人の死も業務の一環という不気味な感覚に襲われる。おそらく、彼女の「普通になる。」と言う言葉はこういうものだったのかと考える。
そして、おばあちゃんの死の後、驚いたのはまだこの仕事について月日の浅い若い職員さんがかなりドライで、自身の事になると大変執着するのに、他者の死については無関心であったことである。
人の死は尊いはずであり、無関心でいられないはずがないと思うのですが、よく分からなくなってきた。
生きてきた時代が違い価値観が違うから死に対する考え方も異なるのだろうか。
では、ドライに割り切ってしまう社会福祉が人の死に対してどこまで手を差し伸べられるだろうかという疑問と、「サービス」と呼称されるものが死の尊厳を果たす事が出来るのだろうかと疑問が浮かび上がってくる。
また、そこまで社会福祉制度に頼ってよいものなのだろうとも考える。
人生が誰かの仕事上の中で終わりを告げるのは、その人が今までに無意識に選んできた選択肢の帰結であったのだろうと思う処もあるが、医療や福祉が行き過ぎているのではないかと思う処もある。
しかし、社会が希求し対価が発生し続ける以上、必要な事はあるけれども、人の死が対価を生んでいいのだろうかとも考える。
すべてが矛盾し、もたれ合いが生じ、軽薄さが横行しつつも、どこかに誠があり、支え合いが生まれ、愛が育まれているから不安定ながらもその体を保っているのが実情である。
現在の特養待機者が全国で52万人いると云われていて、それはまるで他人事のように報じられているけれど、それは誰かの未来図でもあって、現在の選択がそこに繋がっているのだと考えると、様々な意味で人の死まで社会に依存する事は大変危険なように思うのです。
しかし、改めて我が人生を振り返ってみると、福祉の仕事に従事したて頃は関わった人が死んでしまうと言葉にならない複雑な気持ちになったけれど、最近はどうも違った意味で複雑な気持ちになる。
随分昔、ガールフレンドが看護婦さんで僕はまだ会社員だった頃、彼女の仕事の話をたびたび聞く事があって、彼女が人の死について「最初は悲しんだりしたけれど、不思議と慣れていって普通になるんだよ。」と言っていた事があった。その時は「人の死について慣れる」という感覚がよく理解できなくて曖昧な返事をしていたけれど、彼女の言葉を最近になってよく思い出す。
確かに慣れてゆく。彼女の言っていた通りだなと思う。そして彼女の言葉からもう少し思考を深めて極論を言えば、人の死も業務の一環という不気味な感覚に襲われる。おそらく、彼女の「普通になる。」と言う言葉はこういうものだったのかと考える。
そして、おばあちゃんの死の後、驚いたのはまだこの仕事について月日の浅い若い職員さんがかなりドライで、自身の事になると大変執着するのに、他者の死については無関心であったことである。
人の死は尊いはずであり、無関心でいられないはずがないと思うのですが、よく分からなくなってきた。
生きてきた時代が違い価値観が違うから死に対する考え方も異なるのだろうか。
では、ドライに割り切ってしまう社会福祉が人の死に対してどこまで手を差し伸べられるだろうかという疑問と、「サービス」と呼称されるものが死の尊厳を果たす事が出来るのだろうかと疑問が浮かび上がってくる。
また、そこまで社会福祉制度に頼ってよいものなのだろうとも考える。
人生が誰かの仕事上の中で終わりを告げるのは、その人が今までに無意識に選んできた選択肢の帰結であったのだろうと思う処もあるが、医療や福祉が行き過ぎているのではないかと思う処もある。
しかし、社会が希求し対価が発生し続ける以上、必要な事はあるけれども、人の死が対価を生んでいいのだろうかとも考える。
すべてが矛盾し、もたれ合いが生じ、軽薄さが横行しつつも、どこかに誠があり、支え合いが生まれ、愛が育まれているから不安定ながらもその体を保っているのが実情である。
現在の特養待機者が全国で52万人いると云われていて、それはまるで他人事のように報じられているけれど、それは誰かの未来図でもあって、現在の選択がそこに繋がっているのだと考えると、様々な意味で人の死まで社会に依存する事は大変危険なように思うのです。