歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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芭蕉

2012-11-07 04:31:22 | 日常
もう一葉、迫力満点のとこ、アップしときます。



芭蕉の葉。
すんごく葉の大きな、南国の植物です。
葉も、生えてすぐは、きれいな形してるのですが、すぐこんなふうに、ぼろぼろになって、しかもこのように、ぼろぼろなまま、風に狂うのが、普段のさま。

松尾芭蕉は、その前の俳号を、桃青といったんですが、門人のくれた芭蕉が、野分に荒れ狂うのを見て、この芭蕉のように、風雅の道を究める決意を、固めたといいます。

わたしは、「佇む花」の、お寺の住職さんよりは、やっぱ、そっちに近いかな~、、、
目指すところ。

芭蕉は、作品だけでなく、アーティストという、これまで存在しなかった階級ごと、この世に作り出した人ですから、そのえらさも覚悟も、もちろん、よい作品を書きたいと願うばかりの、わたしのような羅漢とは、かけ離れているのですが。


芭蕉野分して盥に雨をきく夜かな    芭蕉

羅漢には羅漢の空が拡ごりて梅雨(ばいう)がのばす無花果のやう    泰子

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佇む花

2012-11-07 02:28:26 | 日常
散歩道にある、いつものお寺の門口で、撮りました。



真っ赤な鶏頭花。
この日は、鶏頭花を探しに出た日でした。
これが鶏頭花だという花に、逢いたい、逢いたいと、おもっていたのでした。

でも、この花は、花というより、じっと佇むひとのようで。
……それに、アスファルトが濡れています。
根方だけ。

撮って、なぜか胸騒ぎがし、しまってあった一葉。

しばらくして、ここのお寺のご住職が、亡くなられたとうかがいました。

夏には海芋の咲く池があり、そこには弁天様がいらして、鯉が棲み、花の寺といっていいほど、いつも花が咲いています。
そして、ご住職は、お見かけするときいつも、掃除をなさっていました。

手入れが大変だろうに、檀家やお参りの人だけでなく、一般の通行人にも開放されて。

わたしはただの通行人ですが、掃除をなさっているお姿を見かけるにつけ、ただ通るだけでも汚すのだから、少しの硬貨を、お賽銭箱に入れさせていただくことも、多かったんです。

亡くなられたとうかがい、鶏頭花の、根方が濡れていたのを思い出し、はっとしました。
花は、お寺の中に咲いたものでないのです。
門口の、アスファルトを打ち破って、自生したものでした。

それにも、水を、遣っておられたのだ。
茎が太くたくましいのは、今年限りの花で、なかったからでしょう。

ただそれだけのことですが、こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。

わたしの住まいは、首都の、旧農村部にありますから、大阪弁でしゃべっていれば、大阪人のくせに、余所者のくせにと、いう人だって、ありますよ。
だけど、皆が、ではない。
それを言うひとこそが、居場所のない思いを、なさっていたりするのです。

こころざし、また、こころばえというのは、本当に、誰に気づかれてしまうか、わからないもの。

ご住職の、ご冥福を、お祈りします。

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