歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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私のライブ友

2022-11-06 07:26:28 | 日常
二十歳の頃、私は、ある音楽家のファンでした。コンサートへ出かけ、今でいうライブ友ができました。それは、そのとき好きだった音楽家が、ハンディキャップピープルのためのチャリティーコンサートを中心に活動していた時期にあたりましたから、会場には、健常者も障害者も、半々ぐらいで、入り混じっていたと記憶します。

そこでできた、私の「ライブ友」は、車椅子の人でした。彼女の車椅子を押して、いっしょにあちこち出かけて、たのしかったのを覚えています。けれど、彼女に差別の目が向けられるのを感じて、苦しいときもありました。態度を変えてくる相手に憤慨していた私の内心を、彼女は、わかっていたと思います。それから、障害者の皆さんで作った、障害者のためのレストランに、私を連れていってくれたりしました。私は車椅子を押していて、路面がなめらかでないときの振動がハンドルまで揺するとき、彼女の骨格や臓器が圧迫を受けているのではないか、それに、動かさない脚に、風が当たってどれほど冷たいか、自然と考えるようになりました。そして、私がそれを、自然と考えるようになるまで、彼女は黙っていたのでした。

あれから、四十年近く経つのです。二十代の半ばで、私が上京し、生活が目まぐるしく変わるなかで、大阪にいる彼女とは、縁遠くなってしまいました。

ヘレン・ケラーは、なぜ自分が、奇跡の人と呼ばれるまでに学をつけることができたのか、あるとき、気づいてしまったそうです。世の中は、ヘレンの才能と知性を絶賛するけれど、そもそも、それは、質の高い教育を受けられたからであり、質の高い教育を受けられたのは、育った家庭が裕福だったからだと。そして、ヘレンは、貧困を解決するための社会運動に身を投じます。貧困がもとで、教育を受けられずにいる人々を、救済するために。

ヘレンが、貧困という社会問題に目を向けるようになった途端、それまでヘレンを持ち上げていたマスメディアは、ヘレンを叩くようになったそうです。

障害を克服するとは、異能を示し、超人的なパフォーマンスで偉業を見せつけることにあるのでしょうか。それは、オリンピックが古代、身体能力に優れた奴隷に殺し合いをさせた時代の発想、見世物ではありませんか。異能は異能であって、キャプションなどを見るとき、「●●なのに」という、ハンディキャップをわざわざ取り上げた味付けをするのを、私は好きになれません。

若き日の私に、車椅子を押すという貴重な体験をさせてくれた、忘れられない人がいたことを、いま、思い出しています。彼女は、特に裕福な生まれでなく、車椅子も電動ではなかったし、だからこそ、工夫しながら、自立する知恵のもろもろを私に見せてくれました。彼女は、勤め人でもありました。出くわす偏見に戸惑いを覚えながらも、逃げることなく、一つ一つ、潰していく人でした。

ライブ・コンサート、ライブ友といっても、熱狂的、カルト的なる雰囲気、眩しい光源に集まる人たちの押しくら饅頭のなかに、私も、私のライブ友である彼女も、いなかったと思います。

私たちは、祭りのなかに、いませんでした。
そして私は、祭りのなかに、いたくはなかったのでした。

彼女のしてきた、ひそかな闘い、誰からも特別だとか奇跡だとか天才だとか、褒めそやされることなき闘い。立ちはだかる偏見を、一つ一つ、笑顔で潰していく闘い。私は、その片鱗を、まぢかに見ました。

ヘレン・ケラーは、きっと、異能の人と褒めそやされたあとで、気づいてしまったのでしょう。闘わなければならないことに。そして、その闘いを、異能など持ち得ぬ境遇にある人々が、してきたことに……。

その闘いは、いつもどこかに、世の中のどこかに、ひっそりと息をしているのです。
通り過ぎた、この歳月のあいだにも。

私の蒙を啓いてくれて、学びをくれて、ありがとう。
遠き日の友よ。

あまりに時間が経ってしまうと、本当に大切にしなければならなかったことを、見失ってしまう。
異能を見せつけるのでない、愚直の闘い、彼女の生き方。

そうして、私の好きだった音楽は、もう、戻らない歳月の奥。







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