歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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悪妻目線

2018-02-25 01:09:01 | 日常
小紋さんが、ご本を書きました。1971年から2007年までの自身の短歌作品を編み、「蜜の大地」と名付けました。
このご本は、2016年8月7日に上梓され、前川佐美雄賞、筑紫歌壇賞に輝きました。
2008年に故郷、長崎に帰って、その後、病身の小紋さんの身の回りの世話を、短歌結社「心の花」の皆さんがなさっています。そして、この集も、皆さんが出版に漕ぎつけてくださいました。
御礼申し上げます。

この集から31首を選び、小紋さんの子であるあなたに向けて、ここで、いくらかの解題を試みたいと思います。

「蜜の大地」 小紋潤(1947年生まれ)

雨に濡れて紫陽花咲(ひら)く稚ければ藍より青きことを信じる
語り合ふことかぎりなく展がりてわたつみ寄せるわたつみの色
待宵草花盛りなるこの夜の天にくれなゐの花火上がれり
燦然と身は光るゆゑ薬玉のしら骨をわれは目守りてゐたり

相思ふもののごとくに寄り添へる椎の実二つあるこの世の秋は
陽は今も遍く満ちて夢の中に釣り落とされしブリキの兵士
冬の日はただ直截に火が恋し一月十四日の夕暮れに
苦しみてゐるのは一人のわれのみならずエゴンシーレの窓に女見ゆ
明治とは青春の謂 これの世に遺恨を持たぬ父を寂しむ
しあはせは幾重なりの雨だれか吾子に告げたきことひとつある
相思ふことなくわれのみ思ひゐるぬばたまの夜に咲(ひら)く黄の花
風のなき夜空にあまた星のゐて男星女星のいさかひあらん

夏は来てひとりしづかに捲りゆく『絵のない絵本』の中のあかとき
やるせなき夜に思へばまだわれは伝へたきことの一つ伝へず
わが友は静養中でありたればパジャマで出て来、顔色よろし
朝もやの中にお前がゐるやうで口漱ぐときの心はづかし
抱きたきこころの底に香焚きてやるせなく水のほとりにゐるも

この春はひばりもあがれ幼子がひとり遊びてゐたる草生に
春夏秋冬過ぎて昔の恋の部は苦しく雑の部はなほ苦し
家族(うから)なきわれはともがらしたがへて蛍見にゆく青梅の街へ
銀河、その下に眠りて石蕗の夜もかがよふことをさびしむ
肩車よろこぶ声は父よりも高きところに麒麟を仰ぐ
クレヨンに描かれてゆく麒麟なりさうだ象よりずつと喬いぞ
子を前に飲めば真昼の蝉の声この世に満ちて溢るるごとし
いつ来てもライオンバスに乗りたがるライオンバスがそんなに好きか
夢ひらく水木の花に沿ひてゆくお前のゐない動物園で
玲瓏と夢に丹頂白かりき 檻に高鳴く二つのつがひ
捨て置かれ乗るもののなき三輪車きづなといふはいかなる時間

飯食ふは一日の恥労働は一生の恥されば酒飲む
アブラハムとその妻サラがともに老いて疑はざりしことを羨しむ
見下ろせばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ

※「蛍」「蝉」は原典旧字。

解題しやすいように、私のほうで、五つの連に分けました。

最初の連は、若い頃の作品のようです。ただ、小紋さんが65歳を過ぎて若書きを見返ったとき、これらを残そうと思ったのですから、現在の小紋さんの思いでもあると受け取って、差し障りないでしょう。

友人の多い人で、一緒に暮らしていたときは、来客が絶えず、そのまま何日間も居着く人もあって、お客の前で喧嘩になることもザラでした。それでも帰らない人のほうが多かったです。小紋さんは、信じる心と疑う心の、行ったり来たりが激しく、私の前では、専ら、疑心に取り憑かれた小紋さんでした。友人に見せない想いが、あったと思います。

「ブリキの兵士」は、アンデルセン「しっかり者のスズの兵隊」が元になっているでしょう。集中、特に小紋さんらしい、屈折感のある歌です。『絵のない絵本』もアンデルセンです。しかし、私があなたに、アンデルセン童話を贈るとしたら、「最後の真珠」にしましょう。

「わが友」は、高幡不動の小笠原賢二さん。「蛍見にゆく」は、松平修文さんを訪ねた折の歌でしょう。両の御仁は、小紋さんの大親友であり、あなたは、この人たちの名を覚えておいてください。小笠原賢二さんはすでに鬼籍に入られましたが。

「石蕗」は、花の名で、小紋さんの長崎の実家に咲いていたし、私がこの花の名を覚えたのも、まだ乳母車の入用だったあなたを連れて、長崎を訪ねた折でした。
「遺恨」とは、死後に、恨みを残すこと。
「春夏秋冬」「恋の部」「雑の部」は、古今和歌集の部立てをいうのでしょう。
「喬(たか)いぞ」の「喬」という漢字には、高くそびえる意味、おごりたかぶる意味もあり、男子の人生が、概ね自尊心の闘争であることを予感させます。

「子を前に飲めば真昼の蝉の声この世に満ちて溢るるごとし」、この歌は、私が、別れてから小紋さんとあなたを逢わせていた折の歌でしょう。ここに、妻に去られた男の苦悩を読み取る歌人もありますが、私はそうではないと思っています。小紋さんは、周りの人に、寂しい気持ちを常に訴えていましたから、そうした訴えを日常的に見聞きしていた人々は、そこに引っ張られて読むのでしょう。しかし、それは、小紋さんを、「妻に去られた男」としてどこか見下げた読み方で、小紋さんが最も嫌った、自尊心の軋み撓むところでしょう。男は誰も一人の王であり、自分以外の者を王とし優越感を与えなければならない、相手にかしづかなければならないとき、秘かに自尊心を軋ませます。そして、自分自身を王と認められる空間を望み、また、求めて裏切られもするのです。自分が王でないとき、そのような世の中のほうが狂っている。男の誰もが、本能、本性の部分でそう思っているでしょう。この歌は、うるさい妻の不在を、一人の王となってほしいまま十全に支配しつつ、また、王と、王たるべき自己が王でない自尊心の軋みをいつかは思い知る幼い王子と、その男と男の力の牽き合いがすでに始まっている。そのような歌として、私は読みました。

「篁」は竹群。もっと高いところから、篁を見下ろしている。風に騒ぐと見えて、すぐに静まっていった。この歌は、集中最後に配された一首であり、小紋さんの、「王」でありたいとの心ばえが端麗に結晶しており、よい歌だと思います。

このなかで、私の、特に小紋さんらしいと思う歌は、一つはやはり、「ブリキの兵士」の屈折感と、もう一つは、最初の連の、花火を詠んだ2首です。
待宵草の、夜目にも明るい黄の色と花火の鮮やかさが、対照的で絢爛です。小紋さんは、絢爛を好みました。そして、花火には、骨があるというのです。ただ一度きり打ち上げられて、夜空に流す火の粉が、花火のしら骨だというのです。その一度きりのために、丹心を捧げる。そのような生き方の気骨をいうのでしょう。

私はあなたに、小紋さんのような屈折を望んではいず、「労働は一生の恥」といった世間虚仮の面など被らずに、じっくりと構えて在ってほしい。

この文章は、1000字程度に凝縮し、あなたではなく一般読者に向けたリライトしたものを、月鞠18号に掲載する予定です。
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