歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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The Labor Pain 月鞠18号百首歌

2018-01-03 23:27:47 | 月鞠の会
結社誌「月鞠」に連載中の百首歌。これらは、18号に掲載されます。
小誌は少部数発行ですが、国立国会図書館において、継続した読者を得るものでもあります。
18号では、他に、連句、俳句についてのご寄稿をいただく予定がございます。
今春出来できればなぁ、と。

皆様、どうぞ、これらを予告編と見なしていただき、お待ちくださいますよう、お願い申し上げます。


レイバー・ペイン The Labor Pain ………………


雇い止めにしてやるというそのひとの指へと渡す脱落切手

小止みしてまた降るのちを夜業せん差出票の湿りて重し

赤提灯に火を点れがけの親方に猫のようだと言われておりぬ

草々不一 君を想えばまたひとつ女男として戯(ざ)れることだになくて

五十一歳にての転職見守りて欲しと数人へ 意中は一人

最上階にありたる小部屋しめきれば船のごとくに揺蕩いて一人

輪転機の音にまみれて考えん涼しき歌を日なたの恋を

断章の二番うたえばわたくしは臆病であるというに尽きたり

すすり泣くかと見える機械のなお猛る昔の愛の壊れしに似て

猫が死んでおかあさんが死んで少年は葬りの土を出でて聖五月

墓石に刻みつけたき愛の一つ 身を投げたきはあの草いきれ

夕水を打たれて風に震えいる薄い膚(はだえ)のように花びら

下野草は肉芽のつぼみ掲げおり三寒四温の国に生まれて

藤棚に隠れてその香嗅ぐごとく頬近寄せしそのときばかり

自転車を押して坂道こでまりの枝垂るる奥から人の見え来る

ピンクの紐と呼ばれて何のこというかわかってしまったので振り向く

ひとつかみの塵をつかんだままにして携帯電話ロッカーの中

あなたにはひらいてみたい夕暮れの作業を終えし手のひらのごと

朝な夕な大陸からの積み荷きて紛れこむタテハチョウの亡骸

朝焼けが鉄路を濯ぎ小刻みに揺れて貨物のゆくを見送る

今ならば駅にいますという電話 黄砂の荒ぶきょうを閉じよう

眠らない仕事の一つマスクかけひとしきりなる営繕業務

スイッチ・バック――眠れるときはうつ伏せて絶対器用になれない感じ

いつか見し汽水の揺らぎ安治川口駅運行表に夕の字の多し

死んでゆく親より逢うてやりたきは私をぶった他人、我が夫(つま)

モーダルシフト運行表を見ておりぬ蝶の紛れし拠点を想い

わたくしも運ばれたくて空仰ぐ いつも笑顔でいろと言われて

目を瞑り新幹線にいるようで血圧を測る束の間、しずか

日の暮れの胸のそこだけ明るくてただあなた一人ぶんの空席

善ければどうぞと言いてくれたるチケットのすべて一枚きりだったこと

捥げそうに傷められたる果実あり捥がずにおけばまだ血の通う

インフルエンザ・ショットといえば三杯で恋の病にほど近く酔う

「トラコスチャン城への道」をゆく二人 老い母と彼は病苦の息子

やがて夜へと振り降ろさるる積み荷あり熱のひかざる夏のコンテナ

失点を怖れていたるときの貌 男それぞれに持てるその貌

煙突がけむり吐くのは夜なのよ 夜業のかたみ燃やして還れ

列島の十八万人都市にいて野分が路上に飛ばす さるすべり

夜業辞めまたも夜業に就きおれば漱石の描く運慶に逢う

傷つけず仏取り出す運慶のようなりここにいる男どち

運慶の取り出すほとけ力持ちその運慶を描きて、ひ弱

夢十夜 おでこを付けん脇の下 百合の精ともなれざれば欲し

ただの真水を豪奢に吞んで炎天下 大きなトラックがそろそろ来る

逆光(さかかげ)にモディリアーニの絵の中の人のようなり 彼、配達夫

これの荷は検査を受けて差立へ カーゴ・ニュースの見えざる現場  

運送屋でも事務屋でもない郵便屋 ここを守れと望まれて君

自分のなかの少女殺していたるとき打ち響くようにトラックが来る

レイバー・ペイン 掌ほどの作業場を走れ! 男がすなり産婆を

薄紙と打ち砕かれし厚紙が肉片のよう 情報を消す 

群青の夜気に明るむ発着所 心弱りの男が吼える

夜業へと渡すちいさな橋の上 落っこちそうな少女が独り

もう一人の私 事実と不実を付き合わせ夜の数だけ死なせた少女 

夜には紙を数えておりぬ手のひらのぬくもり移る証のひとひら

航空搭載禁止の揮発液体か「荷物」のような私でありぬ

大村の海の沈黙果てしなく夜間飛行という名の香り

船底に積まれている子 いつかのあなた あなたを看ていた私の月日

打刻して幽霊バイトとなりてから終いきれない夜風に当たる

「辰巳さん。残業、ちゃんと付けましょう」 夜風の果ての優しい言葉

それぞれの本性が出る土壇場で男気のあるヤツだとわかる

終いきれない夜の狭間でわが口をついて出たるは「ありがとう」

健診の指導よろしく深呼吸しに屋上へ但し打刻してから

打刻してココアを飲んで煎餅を齧りたくなる素直なわたし

定時過ぎようやく向かう事務本務マル付けてうれし答案のよう

中国自動車道 雨に濡れつつ黄落の裸となりてゆく一樹あれ

新造と呼ばれ待たるる荷物あり爪の上から悲しみなぞる

父譲りなる吃音のかなしくてうつむけば石蕗に照らされる

鍼ののち脂のように浮きてくる怒りあり君も疲れているか

労務管理にいまだ院政敷かれいていわば手口の手ほどきもどき

旧弊に風化を狙う手口あり手口を炙り出す手口もあり

エライヒトミテイナイトキコワイヒト 空調にうたう金糸雀が棲む

体力という無けなしのもの絞る 雑談を決めこむひとの傍ら

イジメ返しにゃコイツぶっ差し抜かずにおくとそのかみ荒くれの配管工言えり

新聞をこの頃英語で読むけれど小見出しだけで寝入りてしまう

電話応対トーン高めでいい感じ 研修の指導守りいたれば

牛のように優しい目をして配達夫 ふざけるんじゃねぇと雨に呟く

全身がペットボトルとなるまでに水飲みていしこの夏のこと

かんなづき下着を脱いで映しみるうなじの日焼けいまだ取れない

こうなって蛍の頃がなつかしいたばこの火の粉墜ちゆく高さ

汗あえて塵に汚れて歌うたう織女(おりひめ)のような夏でありしか

かえりみてのちの想いに耽るなり本当はいらない感謝のことば

原発事故逃れ東京へ来し二十歳「ここでやるしかない」との想い

担当者その数だけの抽斗へ 子供の肌着仕分けるように

誰にでも可愛いひとがあるならん目つむれば想う たった一人を

夜業ふたたび火薬にまぶされゆくように輪転機の音にまみれゆく

デバイスの妖怪じみて企業の本音――打刻してから残業に入(い)れ!

官営模範工場をして払い下げ遺産とは血潮かワイン樽

朝焼けてはしゃぐ火の子の雲が飛ぶ 若かりしイザナミを死なせて

クソババアと吐き捨てられてふと気づく 用紙の書式、彼だけ旧い

建物がないんだよぅと野面(のづら)からかけくる電話 声が泣いている

親方のふとした言葉「気持ちのもんだい」 本当に、私も、そう思う

傘さして子供を迎えにいくように抱いてあげたいあなたの背中

ケンケンパケンパの線を踏むからにしてはならないダコクゴザンギョ

使わない銅貨のおもてうらの女男(めお)錆びついたまま引き離せない

血だるまとなりて帰りし人のごと労苦激白す あるいは黙す

これの世の労苦を吸うて青い空 綺麗なままに逝きたくて候(そろ)

精魂を尽くせば塵を握るのみ 一所懸命さえ嗤われ、独り

疲労の極み それぞれの孤独に黙しつつまた結ばんか草の露のごと

何という名前だったか忘れたわ 荒れ地の花に腕を伸ばして

越冬芽となれ閉鎖芽となれ眠り際浮かんでやまぬあなたの微笑

一鎖(ひとくさり)あしたとなれば巻き直す終わりゆるやかなセレナーデの螺子

胎動が大地の虚(うろ)を搔き鳴らし大きなトラックがきょうも来る




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