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当博物館がある田川市石炭記念公園にそびえ立つ、明治時代の鉄鋼製巨大建造物『竪坑櫓』。
田川市のシンボルとして、また古き良き時代の筑豊炭田を代表する建造物として親しまれています。
ところで、竪坑櫓とはいったいどのようなものなのでしょうか?
「竪坑」とは、垂直に掘られた坑道のことで、地下深部の炭層を採掘するために掘られます。「櫓」は竪坑上部に設置される建造物です。
竪坑は垂直ですので、ケージと呼ばれるエレベーターを使って石炭を巻上げ、人を昇降させます。そのケージを昇降させるためのもの、それが竪坑櫓です。
現存する竪坑櫓は、三井田川鉱業所伊田第一竪坑の櫓として1909年に竣工しました。
櫓自体の高さは最長高で28.4mです。イギリス様式のバックステイ型であり、巻上げ設備を別にするタイプの櫓です。
ケージを巻綱で吊るして上下させる巻上機室が櫓の西側にあったため、巻綱の引っ張られる方向に補強のバックステイが延びています。
この竪坑櫓は、三井が英国のアレキサンダー・ファインドレー社(ALEXANDER FINDLEY & Co Ltd.)に発注して製作したことが判明しています。その下請けでの製鋼メーカー名と思われる「GLENGARNOCK STEEL」と「LANARKSHIRE STEEL Co.ld. SCOTLAND」、「GLASGOW STEEL」の刻印を、現在でも櫓のあちこちで見ることができます。
日本国内でも、1901年、筑豊の石炭を利用する目的で、ドイツ式の「高炉」を備えた「製鉄所」が八幡で操業開始しています。国内産の鉄鋼を使う方が自然ですが、当初八幡製鉄所では鉄鋼生産が軌道に乗らなかったため、先進国であるイギリスから輸入した方が、工期的にも都合がよかったと思われます。
竪坑櫓の直下には、直径:約5.5m・深さ:約314mの竪坑が掘られ、降りたところから採炭現場へ続く坑道が延びていました。
竪坑櫓が現役の当時は、鉄製の二段式ケージがひっきりなしに竪坑内を上下し、石炭を運び出していました。
当時、日本三大竪坑と謳われた伊田竪坑の完成により、日本最大の産炭地であった筑豊炭田の中心地のひとつ田川に、欧米風の炭坑設備が出現しました。