田川市石炭・歴史博物館のブログ

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作兵衛翁と明神坂 その2

2017年07月04日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回のブログに引き続き、ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)『山本作兵衛翁 炭坑記録画』の墨絵(【166】番目と【181】番目)に出てくる「黒田如水【官兵衛】」が、関ヶ原の戦い(1600年)の後、息子長政との福岡入りをきっかけに整備したと伝えられる「明神坂」のお話しです。

炭坑【ヤマ】のガス爆発事故で火傷を負った患者を戸板で作った担架に乗せて、飯塚からこの「明神坂」を上って八木山峠を越え、はるばる二日市の温泉まで仲間を担いで行ったことが、上記二枚の墨絵に描かれています。

八木山峠の国道201号線飯塚側最終カーブそばにある「明神坂」の頂上については、以前地元の人に教えてもらいました。

飯塚側から上ると、最終カーブ右手から国道に合流する坂の頂上があります。

そこから少し下ると案内表示があり、付近には祠や石碑などもあります。

さらに下ると右手に廃屋があって、その先は荒れた急坂になり歩行には適しないようなので、それ以上の探索は困難でした。

◆廃屋付近から坂の頂上を見上げたところです。◆

そこで、未確認だった登り口はどこかと考えてみると、麓の地形から想定される場所に見当を付けました。
それは国道の飯塚側、その名も「坂の下」というバスの折り返し点の上、八木山峠の第一カーブ近くで、麓にある「蓮台寺【れんだいじ】の谷」の集落から上ってきて国道と直角に交わる古い細道です。

この道が上に繋がっているに違いないと、カーブに沿った駐車スペースにやってきました。
※ここには人気のスイーツ店と自動販売機があります。

蓮台寺の集落と反対側に建物に挟まれた小道があって、祠があります。
「明神」の言い伝え(坂の整備に係った黒田如水を地元住民が明神になぞらえた)と関係がありそうですが、案内板はないようです。

そこを抜けると舗装路があり、渡ると左方向へ山に向かう未舗装路が続いています。

未舗装路の入り口には案内板が。

そこから木々に囲まれた薄暗い坂を少し登ると木の柵で塞がれていました。



以上確認できたこの道こそが、黒田如水・長政親子の福岡入りの際に造られ、江戸時代から明治・大正と飯塚と福岡を結び、山本作兵衛翁も炭坑記録画で触れた「明神坂」そのものでした。

今回のフィールドワークで「明神坂」の入り口を確認することができ、筑豊の歴史の一部を掘り起こすことができました。

なお、「明神坂」は国道201号線で断ち切られて途中のルートがわからなくなり、また長く使われず、整備されていないので、通行はできません。

このように、作兵衛翁の炭坑記録画には、歴史書や公文書には残らない、当時の人々の歴史が描き込まれており、それらの背景に想いを巡らすことも、絵の味わい方のひとつではないかと思います。

なお、「明神坂」の麓の入口は、国道の脇でアクセスしやすい場所にありますが、すぐそばのスイーツショップと販売機に訪れる車も多く、奥には個人の住宅もありますので、訪問される際は周辺の方々の迷惑にならないようマナーを守っていただき、事故等には十分お気を付けください。