図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

八雲立つ

2024-09-13 17:01:07 | 日記



函館の北、蝦夷松山、雁皮山、横津岳より12日夕、雲が湧き出るようでした







標準レンズの24-70では入りきらないので超広角で撮影







天頂を越して延びています







八雲町は1878年(明治11年)に旧尾張藩主徳川慶勝が旧藩士授産のために士族を移住させたのが起源

遊楽部川の河口にある、開拓者上陸の地で

尾張徳川家 17代当主の 徳川慶勝 が豊かで平和な理想郷建設を願い

日本最古の和歌である須佐之男命(スサノオノミコト)が読んだ

「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

を引用して名づけたことに由来

八雲立つの詩を見た後、函館に着くと、ちょうど湧き立つ出でる雲







刻々と広がり







夕陽に染まります

現在は、広い牧場が拡がる八雲町ですが

開拓の当初は、困難が続き

武士の世からの開墾へと理想郷の夢は、困難の連続だったようです

開墾を祈願するため徳川慶勝が熱田神宮から分祈を願い八雲神社を建て









立岩には、開拓の豊穣を大山祇神社に祈願








立岩の開墾記念碑には

永祖維天 報功覃恵

永い祖先の天を維持する思いが、報われる恵みをもたらす

というような意味でしょうか?









武士の世から資本主義の移行は、様々な人の困難への挑戦があったと思えます



経済優先から、人を育てる世は、総理大臣の顔ぶれをみると困難が続くような



仁を掲げる人もいますが、影が薄いですね



思い付きのフレーズで失敗して困難が続き



その後にしか、日の目を見ないのでしょうか



「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」



天地開闢の八雲立つ時より



人を育てるには、八重垣に八重垣を作り、さらに八重垣を作るほど



努めることが必要という詩なのか???
















コメント (2)
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