天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

YES 三ヶ根 殉国七士廟

2017-05-20 08:05:40 | 時事



愛知県蒲郡市に、三ヶ根山という山があります。

ここには、三ケ根山スカイラインという約5kmの有料道路があり、三ケ根山の標高320メートルのの尾根を縦走することができます。
爽快なドライブコースですが、知る人ぞ知るスポットとなっています。

山の中腹にある三ヶ根山グリーンホテル


そして山頂にある殉国七士廟は東京裁判で、日本を背負って殉職された、板垣征四郎・木村兵太郎・東条英機・土肥原賢二・広田弘毅・松井石根・武藤章の七名の寄せ集めの遺骨と廟です。

所謂、A級戦犯が祀られています。靖国神社にも合祀されている七名で、彼等が合祀されていることで閣僚や首相の参拝が問題視されます。ですから三ヶ根山の方は表立って政治家、しかも閣僚が訪れてニュースになることはありません。

あまり知られていませんが、昭和天皇が昭和54年にグリーンホテルを希望なされお部屋から廟の方角に立たれ暫く御親拝なされました。

この事は世間には伏せられ、富田メモが強調され
るようになり、実は山頂にはもう1つ三州園ホテルがありましたが、平成2年に食中毒をだし、廃墟となりスカイライン途中の茶屋も同様に潰れ、荒れ果て、放火までされ現在では地元若者にとっては肝試しの山、心霊スポットとなっています。





このように酷い状態で人々の記憶から忘れさられようとするときに、あの高須クリニックの医院長高須克弥氏が参拝し話題となったのです。

陳腐大西w YES◯◯

2017-05-19 20:20:49 | 時事


民進党の大西健介議員が美容外科の広告に関連する質問の中で、同クリニックのCMを「陳腐」と発言したことに対し、名誉毀損で1000万円の損害賠償と謝罪文の掲載を求めて提訴することを明らかにした。党代表としての責任を問い蓮舫氏に対しても連名で提訴するという。





個人的感想

CM制作会社と広告代理店も共同提訴しなさい。

村上 騎士団長殺し 南京 恐ろしい文章

2017-05-19 17:06:57 | 時事
村上春樹「騎士団長殺し」からリテラが抜粋したものを抜粋。
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『「日本の歴史に目を向けても、その前後にはいくつかの重要な事件が持ち上がっています。いくつかの致命的な、破局に向けて後戻りすることのできない出来事が。思い当たることはありますか?」
(略)
「盧溝橋事件があったのはその年でしたっけ?」と私は言った。
「それは前の年です」と免色は言った。「一九三七年七月七日に盧溝橋事件が起こり、それをきっかけに日本と中国の戦争が本格化していきます。そしてその年の十二月にはそこから派生した重要な出来事が起こります」

 その年の十二月に何があったか?

「南京入城」と私は言った。

いわゆる南京大虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市内の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?
もちろん私にもそんなことはわからない。


〈叔父(=継彦)は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。
(略)
帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな。叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわけがない。うまくとどめは刺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたうちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった。〉

〈叔父(=継彦)はそのあとで吐いた。吐くものが胃の中になくなって胃液を吐いて、胃液もなくなると空気を吐いた。
(略)
上官に軍靴で腹を思い切り蹴飛ばされた。
(略)
結局彼は全部で三度も捕虜の首を切らされたんだ。練習のために、馴れるまでそれをやらされた。〉

 しかも、ここで描かれているのは、加害者になることの悲劇だ。雨田具彦も弟・継彦も戦争に深く傷つけられ大きく人生を変えられた。しかし作中、具彦のことも、継彦のことも、戦争の「被害者」という立場だけにとどめることはしない。 

それは、継彦の手による殺戮について、継彦の甥である友人・雨田政彦が
〈「(叔父は)ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生まれてきた男だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃない」〉

〈いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込まれ、上官から命令を与えられたら、どんなに筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない〉と同情的な姿勢を示したときの反応によく表れている。

〈私〉は、〈「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」〉と反論し、〈私は自分自身について考えてみた。もし同じような状況に置かれたら、私はどのように行動するだろう?〉と自らに問いかけるのだ。

 雨田具彦についても同様だ。ナチスに抵抗しようとした勇敢な日本人がいた、というような書き方はしない。恋人もふくむ同志たちは全員殺害されたが、雨田具彦だけは日本とナチス・ドイツの同盟関係のおかげで生き残った。日本に強制送還されたことは、実質は「救出」だと繰り返し指摘する。



〈その一年半ほど前に日独防共協定が結ばれたばかりで、日本とナチス・ドイツとの結びつきは日を追って強くなっていきました〉
〈一九三六年十一月には日独防共協定が成立し、その結果日本とドイツは歴然とした同盟関係に入っていきます〉
〈ミュンヘン会談でとりあえず戦争は避けられたが、ベルリンと東京の枢軸は強化され、世界はますます危険な方向に向かっていった〉


わたしはドイツ兵のために色彩画を描いている。肖像画なんかを。連中は親戚やら奥さんやら、母親やら子どもたちやらの写真を持ってくる。誰もが肉親を描いた絵を欲しがるんだ。親衛隊員たちは、自分たちの家族のことを感情豊かに、愛情を込めてわたしに説明する。その目の色や髪の色なんかを。そしてわたしはぼやけた白黒の素人写真をもとに、彼らの家族の肖像画を描くのさ。でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじゃない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅にもって帰らせ、壁に飾らせたいんだよ。ちくしょうどもめ!」』
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リテラは「歴史学者の中で異論がある、40万とも10万とも言うものがある」と断定はしていない、
これを40万人という数字だけあげて批判し、騒ぐ
百田氏はネトウヨとリテラにしては抜粋もして、正確に分析している。

しかし、問題の南京事件部分は酷く、無責任で不確実な歴史の引用である。

【いわゆる南京大虐殺事件です。
日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の
"殺人"がおこなわれました。戦闘に関連した
"殺人"があり、戦闘が終わったあとの
"殺人"がありました。
日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、

《降伏した兵隊や市内の大方を殺害してしまいました。》

正確に何人が殺害されたか、細部については
"歴史学者"のあいだにも異論がありますが、

《とにかくおびただしい数の市民が戦闘の
"巻き添え"になって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。》

中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?
もちろん

《私にもそんなことはわからない。》】


"殺人"という言葉を3回も繰り返し、不確実な降伏した兵隊や市内の大方などの曖昧な表現、歴史学者の間では異論があるにもかかわらず、おびただしい数、市民が殺された、と虐殺部分は何度も強調している。

"打ち消し難い事実"を最後に書き、10万〜40万とするところを意図的に40〜10とする事で40を印象付けている。

これでは何も知らない者が読めば『南京事件は40万人近くの無抵抗な兵士と市民を虐殺したことは事実』と読めてしまう恐ろしい文章なのである。



憲法無効論をパンツに置き換える

2017-05-19 12:34:03 | 時事

始めに断って置きますがこれは憲法無効論者を馬鹿にするものではありません。




自分なりにわかりやすくご理解頂ける様にと例え話にしてみました。

まず帝国憲法を褌とします。


そして、日本国憲法をブリーフとします。


つまり、憲法無効論とはブリーフ無効論です。
このブリーフは米国の発案で日本人の手により作らされた押し付け下着なのです。
更にこんなブリーフを履いているのは日本人だけ、世界ではトランクスが主流でボクシングで戦うことも出来ます。独立した大人のパンツなのです。



そこでブリーフを無効とする論は我々は褌を無理矢理ブリーフにさせられたのであり、こんなブリーフは無効だから破棄しようとしています。

ここで問題となるのがパンツの連続性です。

実はあの褌は絹で出来ていて、その生地を使用してブリーフを製作していたのです。つまり、天皇陛下が絹な訳です。

つまり、ブリーフを無効そして破棄することはこれからノーパンで生活することとなるのです。
要するに現憲法を無効、破棄することとは天皇不在の全く新しい憲法、国、なのです。従って國體のなくなった国はもう国としての体を成していない物になるのです。

つまり、ノーパンがいやなら絹のブリーフのまま行くか(護憲)、その絹と褌の余り布を使った現代人らしい絹のトランクスに作り変えるか(改憲)
しか無い訳です。


4.靖国神社と天皇陛下

2017-05-18 15:24:59 | 時事


靖国神社の英霊のことを良く太平洋戦争の戦没者達は「天皇陛下の為に死んだ」と言われる。

それは「天皇陛下万歳」と叫びながら突っ込んで行ったからというイメージからくるものであり、
一緒に「無駄死に」「犬死に」「餓死」等の陰惨な言葉と併記して国家神道をカルト宗教の様に印象付ける。

戦争を放棄し二度と繰り返さない為の反省として行われてきたことであり、仕方の無いことかも知れないが、「戦争」「靖国」「天皇」があまりにも同列に扱われすぎタブー視されることで遠ざけ過ぎて来たのではないだろうか。

国民主権とは西欧諸国の王政を国民が倒して得られる権利であり、日本の君民一体ではあり得ない言葉である。

つまり、国民は国と天皇を守るため天皇は国民、と国を守る為に戦ったのであり、天皇は国民と国を守る為にポツダム宣言を受け入れ、国民はその条件に天皇を守ることとしたのである。

そして國體は護持された。

いや、護持されたのだろうか、それさえ曖昧に國體という言葉を占領軍が奪ったから護持しておきながら日本国民にはチョコレートの様に国民主権を配ったのだ。

靖国は解体されずに残った。

戦争を放棄した国民に何故靖国神社が必要なのか、この答えこそ難しい。そしてその答えは何故天皇が必要なのか、と同じであるようにも思える。

『この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれいは深し』

天皇陛下、少なくとも昭和天皇は崩御される寸前まで靖国のことを心配されておられたことが御製から読み取れる。

その心配は靖国が無くなりはしまいか、との御心配である。

以前に書いたが、靖国は広島の原爆ドームの14万人、その20倍近くの英霊が祀られている。
ドームと同じ平和へのモニュメントの役割も靖国は果たしている。

しかし、靖国は逆に戦争を想起させ或いは戦争をしたいから、戦犯も祀るから、単なる宗教法人だから、とドックレース場でも作るかの勢いで問題化されてきた。

皇室はどうだろうか、天皇陛下万歳は右翼のイメージとして避けられ、国旗すら満足に掲げない、
そして、女性宮家を創設しようとする勢力。

もう一度言う、國體は護持されたのだ。