靖国神社の英霊のことを良く太平洋戦争の戦没者達は「天皇陛下の為に死んだ」と言われる。
それは「天皇陛下万歳」と叫びながら突っ込んで行ったからというイメージからくるものであり、
一緒に「無駄死に」「犬死に」「餓死」等の陰惨な言葉と併記して国家神道をカルト宗教の様に印象付ける。
戦争を放棄し二度と繰り返さない為の反省として行われてきたことであり、仕方の無いことかも知れないが、「戦争」「靖国」「天皇」があまりにも同列に扱われすぎタブー視されることで遠ざけ過ぎて来たのではないだろうか。
国民主権とは西欧諸国の王政を国民が倒して得られる権利であり、日本の君民一体ではあり得ない言葉である。
つまり、国民は国と天皇を守るため天皇は国民、と国を守る為に戦ったのであり、天皇は国民と国を守る為にポツダム宣言を受け入れ、国民はその条件に天皇を守ることとしたのである。
そして國體は護持された。
いや、護持されたのだろうか、それさえ曖昧に國體という言葉を占領軍が奪ったから護持しておきながら日本国民にはチョコレートの様に国民主権を配ったのだ。
靖国は解体されずに残った。
戦争を放棄した国民に何故靖国神社が必要なのか、この答えこそ難しい。そしてその答えは何故天皇が必要なのか、と同じであるようにも思える。
『この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれいは深し』
天皇陛下、少なくとも昭和天皇は崩御される寸前まで靖国のことを心配されておられたことが御製から読み取れる。
その心配は靖国が無くなりはしまいか、との御心配である。
以前に書いたが、靖国は広島の原爆ドームの14万人、その20倍近くの英霊が祀られている。
ドームと同じ平和へのモニュメントの役割も靖国は果たしている。
しかし、靖国は逆に戦争を想起させ或いは戦争をしたいから、戦犯も祀るから、単なる宗教法人だから、とドックレース場でも作るかの勢いで問題化されてきた。
皇室はどうだろうか、天皇陛下万歳は右翼のイメージとして避けられ、国旗すら満足に掲げない、
そして、女性宮家を創設しようとする勢力。
もう一度言う、國體は護持されたのだ。