天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

内田樹は天皇主義者なんかじゃない

2017-05-03 16:49:12 | 時事
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内田樹 私が天皇主義者になったわけ



天皇陛下の「おことば」を受けて

 昨年の天皇陛下の「おことば」は私たち国民に対して、天皇の役割とは何か、あるべき天皇と国民の関係はどのようなものかということを、根本的に問いかけるものだったと思います。そこで、弊誌としては、各界の識者にお話をうかがい、そもそも日本にとって天皇とは何かということを議論していきたいと考えています。

 ここでは弊誌5月号に掲載した、神戸女学院大学名誉教授で思想家である内田樹氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は5月号をご覧ください。


象徴天皇の本務は「慰霊」と「慰藉」である

── 昨年8月8日の「お言葉」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。



内田樹
昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてこられました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。

 「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。

 ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。

もう一つの「慰藉」とは「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。

 死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。

 憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。

 憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。

 けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。

 「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。

「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。

 天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはその意味においてです。…
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内田樹
日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。





日本的とも言える経歴であるが、イデオロギーは
安倍政権を独裁と呼び、憲法9条改憲には反対というやはりあっち側であることがわかる。

今上陛下のお言葉の「象徴的行為」を独自の解釈に当てはめ読む者を今上陛下=象徴天皇を固定化し、その務めは「鎮魂」と「慰藉」という全く新しい、『床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています』などとこれまで被災者に対する態度を強引に固定化させようとする意図を感じる。

これは宮澤 俊義の「天皇はめくら判を押すだけのロボット」に極めて近い解釈なのである。

あの小林よしのりよりも不敬であり、天皇としての行いを勝手に解釈してこれからを固定化させようとしている。

本人も書いているが、本来『天皇の第一義的な役割は祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること』のみであり、これだけで充分なのだ。

恐らくだが彼は自民党の天皇に元首を付け加える改憲案には反対であろう。

父親が満鉄の職員だったらしいが、関東軍だったなら天皇観も変わっていたに違いない。

バイリンガル左翼(自称一人だけ保守)

2017-05-03 12:43:26 | 時事




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森友学園、教育勅語…小林よしのりが自称“愛国者”たちをバッサリ「無駄。バカバカしい」


 森友学園や教育勅語の問題など昨今、自称“愛国者”たちが騒がしい。その言動は“健全なナショナリズム”の範疇を逸脱し、逆にこの国を歪めてはいまいか? この国の形を改めて考える――

◆言論人から、巷から、上滑りする「愛国の形」に違和感が噴出!

小林よしのり氏

 国会の内外に一大旋風を巻き起こした森友学園問題。今年4月の小学校開校を目指して国有地を破格の安値で取得した経緯の不透明さには誰しも首をかしげるところだ。

 だが、それ以上に世人の眉をひそめさせたのは、同学園の特異な愛国教育だろう。くしくも来年度から公立小学校で道徳が正式教科に格上げされることになっているが、漫画家の小林よしのり氏によれば、どちらも同じ根から発したものだという。

「第一次安倍政権下の’06年に教育基本法が改正されて以来の、安倍晋三や自称保守連中のイマジネーションが花開いたのが道徳教科書であり、籠池の小学校設立。わしは、籠池小学校をプロトタイプとして、あれを全国に広げる計画が絶対にあったと思っている。安倍晋三は、教育勅語を学校教育の中で籠池のように使いたかったはずだし、子供たちが暗唱している光景を見れば、安倍昭恵が泣いたように安倍晋三も泣いただろう」

 籠池氏や安倍氏のように、教育勅語を崇め奉る“愛国者”は少なくないが、小林氏は「無駄。バカバカしい」とバッサリだ。

「教育勅語は単なる歴史文書にすぎず、それ自体にセンセーショナルな効果はない。『教育勅語を復活させたら戦争になる』わけもないし、『教育勅語を復活させたら道徳も復活する』はずもない。『親孝行せよ』『友達と仲良くせよ』と復唱させたり教えたら、親孝行になるか。仲良くなるか。そんな効果のある文書がそもそも存在するわけがないだろう」

 道徳は普遍的なものではなく時代の状況に制約されており、教えることは不可能だとするのが小林氏の基本的な考え方だ。しかし、道徳教育を熱烈に推進する人々は理想と仰ぐ時代の道徳を現代に蘇らせようと懸命である。

「教育勅語を子供に暗唱させていたのは、戦争が激しくなる昭和10年代から敗戦までのこと。戦時下における国家総動員体制の一環で、あくまでも戦前の一時期だけの現象でしかない。彼らにとってはこの時代こそが憧れであり、そのシンボルとして教育勅語がある。戦争を知らず、軍隊がない戦後しか知らない世代は、年長者が懐かしそうに語る戦争体験にコンプレックスを抱く。そこから『昔の軍人はすごい、教育勅語のおかげ』という意識に発展していく」

 彼らの日の丸、君が代、靖国神社へのこだわりは、こうした文脈上にある。

 一方、小林氏は保守を自任しつつも、自らが主宰する言論道場には日の丸を掲げていないと言う。

「形式主義にハマりたくないからです。日の丸を掲げさえすれば愛国心があることの証しとされ、ヘイトスピーチをやっても愛国無罪だと考える人間が現れている。国旗を掲揚し、君が代を歌い、靖国神社に参拝しても、それだけでは愛国心とは言わない。そういうのは愛国心というよりも石原慎太郎みたいな自己顕示欲だ」

 愛国心があるように見られそうな行為をなぞり、同じことを周囲にも強制するのは、極めてグロテスクな光景だ。

「形式だけを守れば『この人は正しい』と認知されるようになってしまったのは、’98年にわしの『戦争論』が売れたのも一因なんです。この本では、戦時の神風特攻隊は国家権力のためではなく、『公(おおやけ)』のために死んでいったのだと描いた。なのに、『日本は悪くなかった』という部分しか読み取れない人たちがいて、間違った愛国心と排外主義を抱えてしまった。今の安倍政権を擁護して支え続けているのが彼らだ」

 小林氏が言う「公」とは、個人に対置される公共を指し、天皇によって象徴される概念だ。

「『戦争論』では国と公が本来一緒になればいいと描いたが、この2つは今の日本のように、ズレることが多い。公である天皇陛下と、国である安倍政権が対立状態にあることは、今回の退位問題で明白になった。わしはもちろん天皇陛下につく」

 君主の心に逆らう者を逆臣と呼ぶなら、彼らが唱える“愛国”とは一体なんなのだろうか。

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日本人の政治家の中で保守と呼べるのは安倍政権だけである。6割の支持率がなにより物語っている。

未だに森友だ、教育勅語だと騒いでいる小林氏は正しい歴史観を兼ね備えたバイリンガル左翼であることは何度も言ってきた。

最近は公の為に尽くすと神風特攻隊と自らをだぶらせこんな保守は儂一人だけと自負している。

儂は天皇陛下につくといいながら女系を推進し、皇統を断絶させる為に女性宮家設立を画策するだろうか。

彼が批判している愛国者とは恐らく街宣右翼や民族派の革新右翼であり、明らかに絶滅したか一部のパフォーマーとしてのマイノリティーを安倍支持派とする倒錯は第二次安倍政権誕生時の右傾化と同じレッテルである。

この様な保守に擬態しての左翼への擁護は明らかに自身の漫画とパチンコ業界への恩返しに他ならない。

あえて小林氏に贈る言葉は"国賊"がピッタリなのであり、或いは利己的敬愛主義者の教祖でもいい。

看過できない香山リカ

2017-05-03 08:23:19 | 時事
 
医師には守秘義務が課せられている。

『医師の守秘義務とは、医師・患者関係において知り得た患者に関する秘密を他に漏洩してはならないという医師の義務のことである。このような義務が医師に課される理由は、心身に不具合をもつ患者はそのことを他に開示したくないのが通例であるところ、よき医療を施すためには患者からの率直な事実の開示が不可欠であり、そのためには開示した事実が他に漏洩されることがないという医師に対する信頼がなくてはならないと考えられたからである。』

香山リカが精神科医の肩書を全面に出して、あるいは肩書を付けずとも、香山リカ自体が精神科医であることを広く認知されたペンネームであることからも医師であることは周知の事実である。

勿論診断結果や患者の情報を漏らせば医師法ではなく刑法上の罪に問われる刑事事件となることは134条を見れば明らかである。

刑法134条(秘密漏示)第1項
 「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産婦、・・・の職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」

また医師法には第一章の総則に於いて

第一条  医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。

とある。決して自身のイデオロギーで政府に反する一部マイノリティーな国民の健康な生活を確保することは医師法の総則から著しく逸脱している。

百歩譲ってこのことに目を瞑るとしても、彼女の診断と保守に対するコメントの境界が余りにも曖昧でネットで批判される者の人格にまであたかも診断結果を公に晒す事と同等の効果を齎している様に感じる。

つまり、診断書を発行せずとも、病名を告げずとも医師であること特に精神科医を表明してのコメントは少なからず守秘義務を違反し、公に対象者のプライバシーを侵害するのと何ら変わりがない。

5年前に大阪市の橋下徹市長を激しく批判した精神科医の香山リカ氏が橋下氏を診察もせずに「病気だと診断」したとして、橋下氏からツイッターで「サイババか!」と罵倒されたことがあった。


写真は精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏であるが、彼は橋下氏の大阪府知事時代に発売された「新潮45」11年11月号に「大阪府知事は『病気』である」と題して寄稿したことがある。

その記事に
「挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情――それらから導き出せるのはある精神疾患である」

「これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者(C・K・シュナイダーの10分類のひとつ)に振り回されてはならない。WHOの分類(ICD10)を使えば、演技性人格性障害と言ってもいい」とある。

著しい人権侵害であり、当然のごとく橋下氏は発行元の新潮社などに1100万円の損害賠償を求めて提訴し、判決では、「橋下氏の社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容」と新潮社側に110万円の支払いを命じた。


橋下氏の当時のツイートに「頼んでもいないのに俺の精神鑑定を8流雑誌で勝手にしやがった8流大学教授が勉強不足を露呈していた」

「この大学教授は光市母子殺害事件の加害者について、母体回帰説なる珍説を唱え、無罪の根拠とし、このことが最高裁で反省の欠如と断罪され死刑となった。母体回帰説なる珍説を唱えた責任など微塵にも感じない俺の最も嫌いな無責任学者だ。野田正彰氏。もう評論家になったのか」とあるが、弁護士で公人であった橋下氏は一旦弁論で反論を試みたが、ラチがあかないと提訴したのだろう。

かたや香山リカ氏は
「私は、橋下さん個人が病気だとは言っていません。確かに、大阪市長選挙の際は反対陣営の平松さんを応援する中で、これまでマスコミで報じられている橋下さんの特徴を分析し、そこに見られる心理的傾向を類推する発言はしました。それでも、橋下さんご自身を病気だと『診断』したわけではありません」と反論しているが、病理という言葉で下のように発言している。

「そういうやり方に対して、迷ったすえにやっぱりそっちが正しいんじゃないか、みたいなためらいを含んだ曖昧さではなく、バトルの構図の中でどっちを取るのかと迫ってくる方が、魅力的に見える。そういうふるまい方というのは、私たち精神科医からすると、ある種の危機や不安を抱いている病理のひとつの証拠だと思えてしまいます」
「つまり黒か白かという判断しかできない人たちを見ると、私たちは、ああこの人自身が今かなり不安に心を占拠されてるんだなと。精神医学的な病理を感じてしまいます」

とハッキリ『精神科医からすると』、『病理を感じてしまいます』と勝手に診断し、結果を公にしている。

この香山リカ氏の発言は確かに名誉毀損には当たらないが、守秘義務違反であることは明白である。一国民として看過出来ない。

とおりすがり さんからのコメントとお返事

2017-05-03 06:35:55 | コメント





自作自演⁉︎朝日オピニオンへのコメント

・タイトル
実在するようです

・コメント
両投稿者の名前でググってみると実在の人物であるようです。
粟野という人物は市民団体「浜・川・山の自然たんけん隊」の事務局長。
伊賀という人物は元高校教師で「ギルガメシュ王のものがたり」という本の作者。


・お返事

わざわざググっていただき、またコメント有り難うございます。どうやら本物の投稿者のようですね。これだけ解約と押し紙が問題化しても未だに健在な朝日新聞、この様なコアな読者に支えられているのでしょう。黙祷!




私たちは共謀罪法案に大反対ですへのコメント


・タイトル
変換ミス

・コメント
安田浩一が「安脱肛一」になってしまっています。

・お返事

意図的に変換しております。お察しください。宜しければ過去ブログ17年3月8日の『安脱肛一』をお読み下さい。