政治学者・白井聡のリテラの記事に誘導するツイートをよく見かける。
〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉
『靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ』
こんな野蛮な国などあろうはずがなく、その姿勢はまるで9条信者とも思える「日本を責める国などない、仮に攻めてきたとしても抵抗せず、黙って植民地になろう」の逆説的思考であり、大義ではない、大義などないと言いたいのであろうが、それを言わず一度だけ参拝し、その後控えている安倍首相を批判したいだけなのだろう。
〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉
その思考ではアーリントンにも世界的な普遍性は無いと言える。
〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉
神道をカルトと見てしまうこと自体日本の伝統、歴史を否定し、象徴である皇室まで否定することとなる。軍国主義の行きすぎた否定であり、反日的思考の入り口となる。
〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉
行き過ぎた戦後の反省、つまり軍国主義の否定は明治維新まで遡り昭和の戦争であるもののその存立の根本を否定するようになる。
〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉
賊軍ですから当時としては当然だったのでしょう。
〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉
神道の考え方では逆賊の怨みを嫌い逆に丁重に扱うことで強力な守護神となったからです。
靖国神社とは逸脱しますが、"大きく"との主観が入っている。靖国は鎮霊社でバランスをとっている。
〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉
敗者、勝者 で勝者だけを祀って来たと勘違いしているようである。
〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉
戦いの精神的支柱となった靖国を厄災などと貶めることは単にあの戦争を厄災とだけしか捉えておらず、彼の頭の中には周辺諸国が敵であったという概念が欠落し全てを日本の戦争指導者の責任に
転嫁しようとする浅ましさしか存在しない。
〈「政治家の靖国参拝は平和の誓いをするためなのだ」というレトリックは、神社の来歴からして到底通用し得ない。仮に、靖国神社を戦没者追悼のための公的な施設として使い続けるのであれば、靖国は過去の戦争神社としての在り方を公的に自己否定しなければならないし、政教分離の観点からして神道から切り離される、つまり神社であることをやめなければならない〉
全くの暴論であり、靖国参拝は個人の心の問題である。従って宗教的儀式として参拝しているのではなく、日本国の為に犠牲となった先人を英霊と呼ぼうが、平和の誓いをしようが、後に続きますと誓おうが、すべては個人の心の問題なのであり、一般国民であろうが、政治家であろうが、とやかく神社としての存立に口を挟む資格も権利も無い。
〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること――すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること――がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう〉
死んだ人間を神として祀る。しかもその大部分が大東亜戦争の犠牲者であり、死んだら靖国で会おうと国家存亡の危機を自ら積極的にその命を捧げた。この事実を恣意的な解釈であまりに陰惨に捉えて犬死にとすること、英霊と呼ぶ事も認めず、カルトと捉え靖国を消し去る思考は過去を裏切る「忘恩の徒」でしかない。
〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉
『靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ』
こんな野蛮な国などあろうはずがなく、その姿勢はまるで9条信者とも思える「日本を責める国などない、仮に攻めてきたとしても抵抗せず、黙って植民地になろう」の逆説的思考であり、大義ではない、大義などないと言いたいのであろうが、それを言わず一度だけ参拝し、その後控えている安倍首相を批判したいだけなのだろう。
〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉
その思考ではアーリントンにも世界的な普遍性は無いと言える。
〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉
神道をカルトと見てしまうこと自体日本の伝統、歴史を否定し、象徴である皇室まで否定することとなる。軍国主義の行きすぎた否定であり、反日的思考の入り口となる。
〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉
行き過ぎた戦後の反省、つまり軍国主義の否定は明治維新まで遡り昭和の戦争であるもののその存立の根本を否定するようになる。
〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉
賊軍ですから当時としては当然だったのでしょう。
〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉
神道の考え方では逆賊の怨みを嫌い逆に丁重に扱うことで強力な守護神となったからです。
靖国神社とは逸脱しますが、"大きく"との主観が入っている。靖国は鎮霊社でバランスをとっている。
〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉
敗者、勝者 で勝者だけを祀って来たと勘違いしているようである。
〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉
戦いの精神的支柱となった靖国を厄災などと貶めることは単にあの戦争を厄災とだけしか捉えておらず、彼の頭の中には周辺諸国が敵であったという概念が欠落し全てを日本の戦争指導者の責任に
転嫁しようとする浅ましさしか存在しない。
〈「政治家の靖国参拝は平和の誓いをするためなのだ」というレトリックは、神社の来歴からして到底通用し得ない。仮に、靖国神社を戦没者追悼のための公的な施設として使い続けるのであれば、靖国は過去の戦争神社としての在り方を公的に自己否定しなければならないし、政教分離の観点からして神道から切り離される、つまり神社であることをやめなければならない〉
全くの暴論であり、靖国参拝は個人の心の問題である。従って宗教的儀式として参拝しているのではなく、日本国の為に犠牲となった先人を英霊と呼ぼうが、平和の誓いをしようが、後に続きますと誓おうが、すべては個人の心の問題なのであり、一般国民であろうが、政治家であろうが、とやかく神社としての存立に口を挟む資格も権利も無い。
〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること――すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること――がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう〉
死んだ人間を神として祀る。しかもその大部分が大東亜戦争の犠牲者であり、死んだら靖国で会おうと国家存亡の危機を自ら積極的にその命を捧げた。この事実を恣意的な解釈であまりに陰惨に捉えて犬死にとすること、英霊と呼ぶ事も認めず、カルトと捉え靖国を消し去る思考は過去を裏切る「忘恩の徒」でしかない。