天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

反靖国政治学者白井聡を斬る

2017-05-07 14:00:06 | 靖国
政治学者・白井聡のリテラの記事に誘導するツイートをよく見かける。


〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉


『靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ』
こんな野蛮な国などあろうはずがなく、その姿勢はまるで9条信者とも思える「日本を責める国などない、仮に攻めてきたとしても抵抗せず、黙って植民地になろう」の逆説的思考であり、大義ではない、大義などないと言いたいのであろうが、それを言わず一度だけ参拝し、その後控えている安倍首相を批判したいだけなのだろう。



〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉

その思考ではアーリントンにも世界的な普遍性は無いと言える。


〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉

神道をカルトと見てしまうこと自体日本の伝統、歴史を否定し、象徴である皇室まで否定することとなる。軍国主義の行きすぎた否定であり、反日的思考の入り口となる。




〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉

行き過ぎた戦後の反省、つまり軍国主義の否定は明治維新まで遡り昭和の戦争であるもののその存立の根本を否定するようになる。



〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉

賊軍ですから当時としては当然だったのでしょう。



〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉

神道の考え方では逆賊の怨みを嫌い逆に丁重に扱うことで強力な守護神となったからです。
靖国神社とは逸脱しますが、"大きく"との主観が入っている。靖国は鎮霊社でバランスをとっている。



〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉

敗者、勝者 で勝者だけを祀って来たと勘違いしているようである。
 



〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉

戦いの精神的支柱となった靖国を厄災などと貶めることは単にあの戦争を厄災とだけしか捉えておらず、彼の頭の中には周辺諸国が敵であったという概念が欠落し全てを日本の戦争指導者の責任に
転嫁しようとする浅ましさしか存在しない。




〈「政治家の靖国参拝は平和の誓いをするためなのだ」というレトリックは、神社の来歴からして到底通用し得ない。仮に、靖国神社を戦没者追悼のための公的な施設として使い続けるのであれば、靖国は過去の戦争神社としての在り方を公的に自己否定しなければならないし、政教分離の観点からして神道から切り離される、つまり神社であることをやめなければならない〉


全くの暴論であり、靖国参拝は個人の心の問題である。従って宗教的儀式として参拝しているのではなく、日本国の為に犠牲となった先人を英霊と呼ぼうが、平和の誓いをしようが、後に続きますと誓おうが、すべては個人の心の問題なのであり、一般国民であろうが、政治家であろうが、とやかく神社としての存立に口を挟む資格も権利も無い。




〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること――すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること――がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう〉

死んだ人間を神として祀る。しかもその大部分が大東亜戦争の犠牲者であり、死んだら靖国で会おうと国家存亡の危機を自ら積極的にその命を捧げた。この事実を恣意的な解釈であまりに陰惨に捉えて犬死にとすること、英霊と呼ぶ事も認めず、カルトと捉え靖国を消し去る思考は過去を裏切る「忘恩の徒」でしかない。




反靖国教授 西谷修を斬る

2017-05-07 08:50:46 | 時事
 西谷修



アベくん、アメリカさんが怒ってるよ!



『安倍があたりかまわず靖国参拝をやった。「戦争で命を落とした英霊に尊崇の念を表する」とか、諸外国の首脳もみんな自国のために戦った死者たちを弔うのだから普通のことだ、とか言い、それにいちいち目くじら立てる方が「靖国参拝の政治化」であって、その方がおかしいといい、諸外国には「ていねいに説明して理解してもらう」と言うが、誰も無反省の「説明」などに耳を傾けない。

 政府筋は、「日中、日韓関係は底だから、同じ底なら影響ない」と、これも事態を読めない無思考を晒している。

 だが今回、文句を言ったのは中国と韓国だけでなく、中国との肘の付き合いで安倍政権が頼みにしている(いつでもその袖の下に駆け込もうとしている)アメリカもだ。アメリカ政府はわざわざ異例の声明を出して「失望」を告げた。この前、日米安保の2+2でケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日したとき、出来の悪い生徒の振舞いを心配して、わざわざ靖国ではなくて千鳥ヶ淵を参拝して手本まで示したのに、安倍はそれも無視して「軍神」を祀る靖国参拝をやったわけだ。アメリカは「失望」する。アホッ、まだわからんのか、と。アメリカ様(宮武外骨)は怒っている。

 だが、それでも安倍に分かるかどうかは分からない。ちょうど、何が秘密か、それ答えられないのと同じように。かれには、何を分からなければいけないのかが、分からないのだ。お祖父ちゃん、教えてくんなかったモン、というわけだ。残念なことに、多くの日本人にもそれが分からなくなっているようだ。だから、「個人的な信念だからいいでしょ」とか、「他国にとやかく言われる筋合いではない」とか、「戦争で死んだ人を国を代表者が参拝して何が悪いの?」とか言っている。

 それは文部省が戦後一貫して、歴史を直視し日本の戦争を反省するということを教育の場から追放してきたからだ。学校でアジア太平洋戦争の意味を教えようとすると「偏向教育」だと教師を締め上げ、戦争について無知な日本人を育てる。反省なんかしちゃーいかん、それは「自虐だ、国辱だ」というわけだ。その度合いは近年ますますひどくなり、文科省の圧力も強いから(教科書検定に露骨に表れている)、学校では日本の戦争は避けて教えない。それが無知な大人たちを作り出す。

 おさらいしておこう。まず、靖国神社が何か、ということ。これは単に戦争犠牲者を弔う施設というだけではない。安倍のような軍事オタクの指導者のやりたがる戦争のために兵隊にとられて、無理やり戦場で人殺しをやらされて、そのあげくに憔悴して飢えてのたれ死んだ人々も、みんな「お国のために喜んで身を捨て雄々しく戦った」兵隊として、国家がひとまとめに祀る祭壇だ。だからみんな合祀されると「尊い英霊」ということにされる。女々しいのや、いやいや死んだ者が、本当のことを言うと困るから(誰が?人びとを戦争に駆り出そうとする連中が)、ひとまとめに管理して、みんな「英霊」ということにする。そして、それを「国民の見本」として、できたら道徳教育で子どもたちに「お前たちもああなれ」、国家の尊い犠牲になれ、と教えようとする(今日、そのための中教審の答申が出た)。


だから靖国は、単なる神社ではなく軍国のための国家的祭祀の場所なのだ。戦後はここは国家の管轄を離れて一宗教法人になったはずだが、復員や遺族年金を引き継いで管理する厚生省が密かに名簿を靖国神社に渡しており、その名簿で靖国は、本人や遺族の承諾もなく死者を合祀し、国家的役割をヤミで担っている。それは、日本国家のための死者の貯金箱と言ってもいい。どんな死者もみんな「英霊」ということにして、お国のために死ぬ「手本」にし、将来の国民の命の「浪費の時」に備えるのだ。(後略)』➖➖➖➖➖➖➖➖



安倍首相が靖国に参拝した時の西谷氏の記事だ、安保法制で頭に血が上ったのか冷静を欠いた余りにも酷い記事である。西谷氏は東大法学部出のフランス哲学者であり、世界的な戦争論にも明るい。

『無反省の「説明」』とあるが、言いがかりに近く、カタカナでアベくんは余りにも一国の首相を馬鹿にした稚拙な表現を使わなければならない程、安倍首相を貶める必然性が自身でも誤りであると気付いてしまっているのかもしれない。

従って『日本国家のための死者の貯金箱』の表現にも見られる全くの言いがかり的解釈を靖国と政権にかけて、貶めている。

唯一の心配はそのわかり易さから歴史認識に乏しい若者達がどんどん洗脳されていくことである。

その後の広島、真珠湾、アーリントン、民主党の大敗を見ればアメリカの失望は取るに足りないそして、何の意味も持たない"声"であったことが理解されると思う。