天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

当たり前に朝が来る

2022-09-13 16:47:00 | Weblog
夫の叔父が亡くなった。
闘病していたのでこの日が来るのは覚悟してた。

でもね…
やっばり当たり前だけど悲しい。

まあなかなか癖のある人だったけど
私はいつも優しくしてもらった。

もう残された時間が少ないとわかった時
顔を見に行った夫。

「お前の所は夫婦仲がいいから
何も心配してないから…」と
別れ際に叔父に言われたと。

現実はどうであれ、
叔父には心配はさせてなかったようだ。

子供と孫が揃ったのち
静かに息をひきとった叔父。
病気から解き放たれ楽になっただろうか。

コロナ禍だが
甥や姪たちにも見送って欲しいという望み通り
たくさんの甥や姪が勢揃いでお別れをした。

闘病中もみんなが代わる代わる顔をだし
叔母が幸せな人と言っていたが
それが叔父の生きざまそのものだったのでしょう。

大切な人がいなくなったのに、
やっぱり当たり前に朝が来ることを
思いしらされる現実。

年を重ねると、、
大好きな人がいなくなっていく。
さみしい。

2022/07/06

2022-07-06 08:47:45 | Weblog
極楽浄土に咲く話といわれる
蓮の花。

庭で咲き始めました。





私は昔からお花が好きだけど、
庭や花壇で色とりどりの花を咲かせるが、

仏様のお花といわれる蓮の花を
愛でるようになるとは、、
まいこが当たり前にいてくれたら…
私には縁のない花だったと思う。


花言葉は「清らかな心」「神聖」



日々

2022-04-21 08:20:04 | Weblog
なかなか更新されないこのblogに来てくださる皆様
ありがとうございます。

元気に過ごしているのかといえば
そうでもなく、
心穏やかならぬ日々を過ごしているかといえば
そうでもなく、

流れるように過ごしている毎日です。
















庭の花たちが賑やかです。
出掛けなくてもリビングから楽しめる我が家の庭。

枝下梅が咲き
枝下桜が咲き
チューリップが咲き
芝桜が咲き
藤が咲き
ハナミズキが咲き

順に花を楽しんでいます。
花壇ではしゃくなげ、牡丹
芍薬、オデマリが出番待ちです、

穏やかな日々なんでしょうかね、、

先日鈴虫寺で聞いたお説法。

夢の持てない世の中、
希望は打ち砕かれる世の中、
まずは今いる場所で
今出来る事を一生懸命やりましょう。
そして一生懸命生きましょう。

年明けあたりから諸事情にて
夫の会社でフルタイムに近く仕事をして、
4月から 週3で
孫の学童と保育園のお迎え、
ご飯を食べさせて、お風呂に入れて
長男宅へ送るという仕事がプラスされた。

そんなふうにパワフルに過ごす私は
ある意味穏やかなのかも知れない。

でも私の一番の望みは
早く自分の命が終わりますように
その思いはいまだに変わらない。

そして16年目に。

2021-12-17 12:20:00 | Weblog
今年の祥月命日は穏やかだった。

前日は長男家族が、
当日は次男夫婦と娘夫婦が来てくれて
みんなで静かに手を合わせました。

やっぱり冬に続く空が苦手で、
何度も何度も気持ちが揺られで、
何でもないことに心が打ちひしがれ、
結局この季節になると全然進めてないことや
ちっとも強くなれてないことに気が付いて
やっぱり苦手だな、、とそんなことばかり考えて過ごしていました。

当たり前に生きられるようになって、
当たり前に楽しめるようになって
何にも知らない人から見ればなんて能天気なお気楽な人にしか見えないだろう。
でもそれでいい。

心の中は誰にも見えない。
見えたところで何をしてくれても、どんな言葉をかけられても
結局自分との戦いでしかない。
長い年月を掛けて気が付いたのはそれだけ。
私は私の思いを抱えて命が終わるまで生きていくだけ。

そしてまいこは死んでしまったけれど、
決して私にとっては死んでなどいなくて
ただ姿が見えなくいだけで
今も私はまいこと一緒に生きている。
それでいい。


15年の間、心を寄せくれ続けてくれたまいこのお友達には
長い間の感謝を伝え、
これからはそれぞれの場所でそれぞれが思うときに
まいこを思ってやってくださいと伝えました。
それでも、私や夫の友人たちが順にお参りに来てくれて。
それで十分。

15年も経つと、思いも状況も変わる。
何より私自身が変わった。
それでいい。

15年が経って初めてどんなことも「それでいい」と
そんな風に思える私になった。
それは私の小さな小さな進歩だろうか。


まあちゃんねんねとあの時言っていた孫は高校生になった。
写真のまいこしか知らない孫たちも「まいちゃん」と認識してくれている。

年明け早々、娘に3人目の子供が生まれる。
年明け早々、長男家族は新居が完成して地元に帰ってくる。
そして、あの時小学2年だった次男は無事就職して夏に結婚し、来春に父親になる。
昨日は次男夫婦のお供で安産祈願に行ってきた。
ここにまいこの近況を記せればどんなにいいだろう。
仕方ない。。

私の新しい年が始まりました。
16年目の日々も私らしく生きていきたいと思います。





やっとなのか…とうとうなのか…

2021-09-24 08:09:00 | Weblog
この子が独り立ちするまでは頑張ろう。
ただそれだけを自分に言い聞かせて…
夫とふたり踏ん張ってきた。


次の参観日まで、運動会まで、文化祭まで、
目先の行事に目標を定めて
必死に生きてきた。

あれから15年。
あの日、まだ小学2年生だった次男。
専門学校を卒業して、
幼い頃から大好きだったものを扱う会社に
就職して
8月に、付き合って2年半の彼女と入籍、
そして先日家を出て新婚生活を始めた。

長かった。
本当に長かった。

この子がいなければまいこの所に行けるのにと、
この子がいるからこの地獄を生きていかないといけないと、
どれだけ馬鹿なことを考えただろう。

私は、どうしてももうひとり子供が欲しくて、
夢にみるほど子供が欲しくて
夫を騙すようにして次男を授かった。
なんであんなに子供が欲しかったのか…

まいこがいなくなってから…
もしかして、私達夫婦が生きていくために
産まれてきてくれたのかもしれないと思った。

次男はあの日から私達を困らせるような
言動は一切しなかった。
幼いなりに、親が喜ぶことを考えながら
一生懸命頑張っていた。
学級委員、運動会の応援団、生徒会長
凄いねと私達が喜ぶことを頑張っていた。

やんちゃを言うことも
わがままを言うこともなく、
ママ友からは
○○くんの事叱ったこともないでしょって
言われるくらい穏やかな優しい子だった。

ふたりのお姉ちゃんとおにいちゃんとの
4人姉弟なのに、
お姉ちゃんは早くに結婚し、
まいこはいなくなり
お兄ちゃんとは8歳違い、
姉弟いるのに、喧嘩したこともなく
叱られたこともなく、
年が違いすぎて一緒に遊ぶこともなく、
競うこともなく、、
姉弟なのに姉弟じゃないような…
まるで一人っ子ね、、
悲しいとか寂しいとか、
そんなことを共感も出来ず
多分孤独だったんだろうと思う。

でも、
人生を共にしようと思える彼女と出会い
初めて本当の意味で甘えられる場所をみつけたのだろう。

長かった。
ムスコが自分の家族を持つまではと
それが私の大きな目標だった。

目標達成。

次の大きな目標。

「死ぬまで生きる」かな、、