天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

人それぞれ

2010-01-05 10:02:19 | Weblog
娘を亡くしてからネットサーフィンにはまった私。

今でもあまり変わらない。



とにかく同じ経験をした人ならこの苦しみをわかってくれる

そう思い

来る日も来る日もそんな人を捜し求めた。

そうして友達が出来、支えあって今日まで来た。



毎日お互いにコメントしあうブログ友もあれば、

日記を読ませてもらうだけの方もあれば、

読んでくれるだけの方もある。




そして思うことは、人それぞれだということ。

悲しみの形も、進み方も、生き方も、

みんなそれぞれで、、

どれが正しくてどれが間違ってるわけでもなく、、




私は、、まいこを亡くして自分を見失った。

長い間、、自分が自分ではなかった。

長い時間引きこもった。

たくさんいた友達とも距離をおいた。

あれやこれやと楽しんでいたおけいこごとも出来なくなった。

毎日手をかけていたお料理すらまともに出来なくなった。

お化粧もおしゃれもせず、

まるで生活にくたびれた中年のおばさんになり下がった。



それでも、時間なのか、支えてくれる人のおかげか、

笑うこともできるようになったし、外にも出られるようになったし、

お仕事にも行けるようになったし、

昨年はおけいこごとも再開したし、

旅行にも行くし、美味しいものも頂くし、



でも、だからと言ってまいこの事を忘れたわけなどなくて、

まいこがいなくなったことを納得したわけでもなくて、

ましてや悲しみが消えるわけでもなく、

今でもまいこを思って泣かない日はないわけで、、、



それでも、私は楽しかった時はたのしい日記も書くし、

嬉しかった時は嬉しい日記も書くし、

馬鹿な日記も書くし、

毎日毎日悲しい、辛い、寂しい、悔しい、とばかりは繰り返せない。

たとえ心の中はそんな思いで溢れかえっていても、、、



わが子を亡くした親は自分が楽しんじゃ駄目ですか・・・

自分の事を考えて生きちゃだけですか・・・

楽しい時は楽しいと、美味しい時は美味しいと、

嬉しい時は嬉しいと、、

そんな風に感じちゃおかしいですか・・・



私は、亡くなった娘が幸せになれる方法があるのなら、

たとえこの目で確認することが出来なくても、

どんなことでもしてやりたい。



今の私が見つけたまいこが幸せになれる方法は、

この私が私らしく生きることなのだ。

それが、まいこを安心させる一番の方法なのだ。




まいこは・・私が毎日あの子を思い泣き暮らすことなど望んではいない。

私らしく生きることを望んでいるに違いない。

そんな風に思っている私。

それでも、そんな風に生きるのはすごく難しいことで、

簡単に前向きにもなれないし、簡単に元気にも明るくもなれないし、

楽しむことも、明るくすることも、

いや生きること自体に必死にならなきゃ無理なのが現実で、、、

元気そうにみえても、楽しそうに見えても

それは私自身のほんの一部であって、、、


偶然目にしたところで

私の考えを否定されるような考えが綴られたものを読んだ。

勿論私に対して書いているのではなく、

ご自身の思いを書かれていただけだが、、、



いろいろ感じた事がある。

だけど、、



やっぱりひとそれぞれなのだ。



私は私のやり方で生きて行けばいいんだ。

まいこがいなくなった事を認めたいわけじゃない。

だけど、、まぎれもなくまいこが今でも存在していて、、

姿が見えないだけで一緒に生きていると信じることで私は生きていられる。

だから、、

やっぱり、まいこが喜ぶように私は生きたい。