命日
我儘な娘で・・
だから、高校に入った時も、大学に入った時も
お友達がちゃんと出来るかしら・・と心配したものだ。
保育園から中学卒業までたった1クラス、
ずっと変わらない仲間と過ごしてきたから余計かな・・・
まいこが亡くなった時、
お通夜や葬儀に来てくれる友達がいるのだろうか・・と心配したくらい・・
中学までの仲間は別として、
高校大学の友達は本当に仲よくしてるお友達のことくらいしか知らなくて、
名前を聞いてもよくわからないし・・・
そんな状態で、お通夜葬儀。
そこには驚くほどのお友達が来てくれた。
勿論、保育園から大学までお世話になった先生方も勢ぞろいだった。
特に高校は家政科2クラス80人、
毎年クラス替えがあったから、同じクラスになってない子もたくさんいたことだろう。
だが、80人のうち70人近くが来てくれた。
こんな山の中の田舎まで・・・
斎場になったお寺の広い境内にはあふれるほどのお友達だった。
親の知らない麻衣子の顔を見た気がした。
そして・・毎年の命日。
次から次へとお友達が来て下さる。
幼馴染、高校時代のお友達、大学、たった9ヶ月しか時間を共にすることが出来なかった麻衣子なのに、
まいこに逢いに来て下さる。
遠く、地元に帰られたお友達もわざわざまいこに逢うために岐阜まで来て下さる。
ありがたい、本当にありがたい。
3年目・・くらいから、もう来て下さるお友達も減るだろうと思っていたが
5年の時間が流れても、逢いに来て下さる。
今年は、写真を撮るのもやめた。
でも、お仏壇のほうから音がしたとか、蝋燭の灯りがゆらゆら揺れるとか、
カメラを持参して、
まいこの存在を確認してくれたり・・
(ちゃんとオーブが写りました)
お友達もまいこの姿が見えないだけで一生懸命、まいこを感じようとしてくれる。
ありがたい。本当にありがたい。
まいこのお友達のお母さんからもお花を届けていただいた。
長男くんのお友達のお母さんからもお花を頂いた。
そして、お母さんが元気でよかったと、
体、休めてくださいねと、優しい心遣いも頂く。
みんなが口にする。
麻衣ちゃんはしっかり者でみんなの面倒をよく見てくれた。
宿題を教えてもらったり、調理実習でお手本を見せてもらったり、
何より、まいちゃんの意志のぶれないさ、自分の意志を貫く強さがうらやましかったと。
そう言えば・・
ピアスも開けたもん勝ちと早々と開けて堂々としてたし、
パーマをかけて奇麗なウエーブを、先生に、
『まいこの髪はパーマか、巻いたのか、寝ぐせか?』聞かれ、
周りの子はしどろもどろになってるのに、
麻衣子一人『寝ぐせで~す』と堂々としてて、
先生も『まいこの寝ぐせは奇麗なウエーブが出るんね』と苦笑いしてたわ・・・と。
楽しい高校時代だったね。
麻衣子だけ・・大学生のままで止まってしまっているけれど、
お友達の今にまいこの姿を重ねる母です。
大学のお友達は、社会人になったまいこの姿が想像できると言ってくれた。
大学も一緒に卒業したし、
同じように社会人になった。
今は教師になってばりばりと仕事をしてる姿がちゃんと見えると言ってくれた。
麻衣ちゃんはそういう子だもの・・と。
最後に、親友の愛ちゃんが来てくれた。
とってもとっても不思議な絆で結ばれた2人だったね。
愛ちゃんはママのもう一人の娘だよ。
愛ちゃんがお手紙を書いて来てくれた。
まいちゃん、ママもパパも封は開けない。
あなた宛てのお手紙だから・・
愛ちゃんはママに話したいことは話してくれてるはずだから、
あえて、お手紙を書いたのはあなたに聞いてほしい事があったんだろうから・・・
たくさんのお友達に恵まれていたのね。
みんなまいこのことをよく理解してくれてたのね。
みんながまいこを頼りにしてくれてたのね。
保育園から中学校、高校、大学とあの子生きた証をみんなの話のなかで聞かせててもらった。
我儘で、自己ちゅーで、甘えんぼなまいこは家族にだけ見せた顔なのかな・・
たくさんのお花、お供え、お心遣いありがとうございました。
まいこに逢いに行けないからとメールをくれたお友達もありがとう。
今はみんながママの支えになってくれます。あたなが遺してくれた宝物、大切にします。
揺れる思いの中で命日を迎えて、
来て下さるお友達を迎えて、
一連の私の中の命日が終わった。
少しは心も身体も楽になるだろうか・・・
6年目の日々もゆっくりゆっくり私の歩みであるこうと思う。
我儘な娘で・・
だから、高校に入った時も、大学に入った時も
お友達がちゃんと出来るかしら・・と心配したものだ。
保育園から中学卒業までたった1クラス、
ずっと変わらない仲間と過ごしてきたから余計かな・・・
まいこが亡くなった時、
お通夜や葬儀に来てくれる友達がいるのだろうか・・と心配したくらい・・
中学までの仲間は別として、
高校大学の友達は本当に仲よくしてるお友達のことくらいしか知らなくて、
名前を聞いてもよくわからないし・・・
そんな状態で、お通夜葬儀。
そこには驚くほどのお友達が来てくれた。
勿論、保育園から大学までお世話になった先生方も勢ぞろいだった。
特に高校は家政科2クラス80人、
毎年クラス替えがあったから、同じクラスになってない子もたくさんいたことだろう。
だが、80人のうち70人近くが来てくれた。
こんな山の中の田舎まで・・・
斎場になったお寺の広い境内にはあふれるほどのお友達だった。
親の知らない麻衣子の顔を見た気がした。
そして・・毎年の命日。
次から次へとお友達が来て下さる。
幼馴染、高校時代のお友達、大学、たった9ヶ月しか時間を共にすることが出来なかった麻衣子なのに、
まいこに逢いに来て下さる。
遠く、地元に帰られたお友達もわざわざまいこに逢うために岐阜まで来て下さる。
ありがたい、本当にありがたい。
3年目・・くらいから、もう来て下さるお友達も減るだろうと思っていたが
5年の時間が流れても、逢いに来て下さる。
今年は、写真を撮るのもやめた。
でも、お仏壇のほうから音がしたとか、蝋燭の灯りがゆらゆら揺れるとか、
カメラを持参して、
まいこの存在を確認してくれたり・・
(ちゃんとオーブが写りました)
お友達もまいこの姿が見えないだけで一生懸命、まいこを感じようとしてくれる。
ありがたい。本当にありがたい。
まいこのお友達のお母さんからもお花を届けていただいた。
長男くんのお友達のお母さんからもお花を頂いた。
そして、お母さんが元気でよかったと、
体、休めてくださいねと、優しい心遣いも頂く。
みんなが口にする。
麻衣ちゃんはしっかり者でみんなの面倒をよく見てくれた。
宿題を教えてもらったり、調理実習でお手本を見せてもらったり、
何より、まいちゃんの意志のぶれないさ、自分の意志を貫く強さがうらやましかったと。
そう言えば・・
ピアスも開けたもん勝ちと早々と開けて堂々としてたし、
パーマをかけて奇麗なウエーブを、先生に、
『まいこの髪はパーマか、巻いたのか、寝ぐせか?』聞かれ、
周りの子はしどろもどろになってるのに、
麻衣子一人『寝ぐせで~す』と堂々としてて、
先生も『まいこの寝ぐせは奇麗なウエーブが出るんね』と苦笑いしてたわ・・・と。
楽しい高校時代だったね。
麻衣子だけ・・大学生のままで止まってしまっているけれど、
お友達の今にまいこの姿を重ねる母です。
大学のお友達は、社会人になったまいこの姿が想像できると言ってくれた。
大学も一緒に卒業したし、
同じように社会人になった。
今は教師になってばりばりと仕事をしてる姿がちゃんと見えると言ってくれた。
麻衣ちゃんはそういう子だもの・・と。
最後に、親友の愛ちゃんが来てくれた。
とってもとっても不思議な絆で結ばれた2人だったね。
愛ちゃんはママのもう一人の娘だよ。
愛ちゃんがお手紙を書いて来てくれた。
まいちゃん、ママもパパも封は開けない。
あなた宛てのお手紙だから・・
愛ちゃんはママに話したいことは話してくれてるはずだから、
あえて、お手紙を書いたのはあなたに聞いてほしい事があったんだろうから・・・
たくさんのお友達に恵まれていたのね。
みんなまいこのことをよく理解してくれてたのね。
みんながまいこを頼りにしてくれてたのね。
保育園から中学校、高校、大学とあの子生きた証をみんなの話のなかで聞かせててもらった。
我儘で、自己ちゅーで、甘えんぼなまいこは家族にだけ見せた顔なのかな・・
たくさんのお花、お供え、お心遣いありがとうございました。
まいこに逢いに行けないからとメールをくれたお友達もありがとう。
今はみんながママの支えになってくれます。あたなが遺してくれた宝物、大切にします。
揺れる思いの中で命日を迎えて、
来て下さるお友達を迎えて、
一連の私の中の命日が終わった。
少しは心も身体も楽になるだろうか・・・
6年目の日々もゆっくりゆっくり私の歩みであるこうと思う。