天使の梯子の彼方へ

ママのひとり言
  天使の梯子の彼方のまいこへ。。

そして今9年目の日々

2015-12-15 23:41:59 | Weblog
今年も命日が来た。
どんなに悲しかろうがどんなに理不尽であろうが
時だけはみんなの上を平等に過ぎていく。


それでもやっぱりもう9年なのかまだ9年なのか
よくわからない。

ただ、よくここまで生きてこれたなって思う。
まいこが突然に命を失い、、
私はたくさんのものを一緒に失くした。

平凡だけど穏やかだった日々、
ただ家族みんなが揃ってるだけだけど
ありふれた日常。
母は壊れ父は弱くなり
家庭から笑いが消え
空気までよどみ、、
ひとつ間違ったらどうなってしまうかわからぬ不安定さ、、

いつ死んでもいいと投げやりになり、
不謹慎だが大きな災害に巻き込まれたい、
テロの標的になってもいい
無差別殺人の的になってもいい
誰かどんな形でもいいから私の命を奪ってくれないかと
真剣に願っていた日々。

おいしいものを食べることも許せず、
楽しむことも許せず、
まして幸せになることなど絶対に許せなかった日々。
わが子があんな形で死んだのだ、
わたし自身が自宅や病院のベッドの上で死にたいなどと、
誰かに見守られて死にたいなどと
願うことなどとんでもない話で
どんな形であれ死ねるのならそれでいいとさえ思いながら生きる日々。

確かに、、
知らぬ間に穏やかな日々を取り戻した。
知らぬ間に笑うことも思い出した。
何かが欲しいとかどこかに行きたいとか思うことも出来るようになった。

時にそんな自分が許せず、そしてそれでいいのだと自分を納得させて
ここまで生きてきた。

人様から見れば能天気に生きてるようにさえ見えるだろう。
誰も、、
ベッドに潜り泣く私など想像できないだろう。
何でもないことでスイッチが入り自分を見失う程心が乱されるなんて思いもしないでしょう。

眠れぬ夜、どうやってまいこのところに行こうと大真面目に考える私など想像もつかないでしょう。
片意地張って頑張ってる主人が
私と一緒に涙する夜があるなどと想像もつかないでしょう。

どんなことも、、
きっと周りの人には想像もつかないことばかりでしょう。
でも私たちはそんな日常を送っています。
確かに、、そんなときばかりではなく
穏やかな時間も、静かな時も、笑いにあふれる時もある。

でもどんなときにも私たち夫婦には足りないものがある。
まいこさえいれば、、当たり前にまいこもいれば、、
思っても仕方がないが
きっと生きてる間ずっと思わない時はないのだろう。

夏が終わり秋が始まるころには少しずつ自分を見失う。
何年たっても12月は苦手だ。

主人は、、主人は変わりなく
当たり前に仕事を精力的にこなし
日々の生活も滞りなくこなし、、
あぁ、もう割り切って生きてるのだろうとと思って
一人イライラしてみたり、、

そんな夫が

息が出来なくなるような苦しさはなくなったけど、、
やっぱり12月はきついねとぽつりと口にする。

そうか、一緒なのか、、
あなたもやっぱり私と同じ気持ちで生きてるんだと、、
そんな本音を知るとほっとしたりする。
勝手なものだ。

9年って、、
3285日、
78840時間、、
4730400分、、

よくここまで生きてきた。
あの怒涛のような地獄の時間を
よくここまで生きてきた。

自分の事ほめてあげてもいいかな・・


私の9年目が終わる。
そして10年目が始まる。

毎年言うが・・
私の一年の括りはまいこの命日。
ここから新しい1年が始まる。


今年もたくさんのお友達がまいこに会いに来てくださいます。
たくさんのお花とたくさんのお供えに囲まれています。
ありがとうございます。
命終えてなお幸せな娘だと思います、