お墓の取り壊しが始まります。。
取り壊す前に1枚カメラに収めました。。
以前私は我がままを言いました。
このお墓に祖父母と入るのは嫌だと・・
夫は夫の祖父母の養子になっていて・・両親は別に住んでいるんです。
跡取りが亡くなったため、自分の父親の実家のあとを継ぐように
社会人になってからこの家に来ました。
そして私が嫁いできました。
10年ほどで2人も空へ旅立ちましたが、水入らずの新婚生活というのを経験していない事もあり
せめてお墓は夫婦水入らずで入りたい。。そう思っていました。
そのうち夫婦生活も長くなると
お墓に入ってまで夫婦で一緒にいなくても・・などと思ったり。。
かといって今さら両親と一緒に・・という気持ちもないし・・
私が死んだら、その辺の川か山にでも散骨してよ。。と言っていたんです。
そんな時まいこが
「お母さん、心配しんでいいよ~まいこが一緒に入ってあげるから~」って。。
ああ、まいこは嫁に行かないつもりか??
それとも長男次男を差し置いてこの家の後を継いでくれるのかぁ??などと思ったのですが。。。
そのときは息子と住むよりやっぱり娘と住んだほうがいいよね・・と夫と話していたんです。。
まいこが亡くなった時、思いました。
「こういう意味だったのか・・」と。
まいこが私達と一緒のお墓に入ることになりました。
生まれたときから、お母さんっ子でした。中学生になっても高校生になっても
大学生になっても、「おかーさん、おかーさん」と甘えていた娘です。
4人の子供のうち誰よりも親密な時間を過ごした娘です。。
早く別れなければならないゆえだったのでしょうか・・
あっさりと親離れをしてくれてもよかったのに・・
冷たい娘でもよかったのに・・
生きていてさえくれたらお母さんはそれだけで充分なのに。。。
やっぱり私はまいこの遺骨を手放せないかも知れません。。
取り壊す前に1枚カメラに収めました。。
以前私は我がままを言いました。
このお墓に祖父母と入るのは嫌だと・・
夫は夫の祖父母の養子になっていて・・両親は別に住んでいるんです。
跡取りが亡くなったため、自分の父親の実家のあとを継ぐように
社会人になってからこの家に来ました。
そして私が嫁いできました。
10年ほどで2人も空へ旅立ちましたが、水入らずの新婚生活というのを経験していない事もあり
せめてお墓は夫婦水入らずで入りたい。。そう思っていました。
そのうち夫婦生活も長くなると
お墓に入ってまで夫婦で一緒にいなくても・・などと思ったり。。
かといって今さら両親と一緒に・・という気持ちもないし・・
私が死んだら、その辺の川か山にでも散骨してよ。。と言っていたんです。
そんな時まいこが
「お母さん、心配しんでいいよ~まいこが一緒に入ってあげるから~」って。。
ああ、まいこは嫁に行かないつもりか??
それとも長男次男を差し置いてこの家の後を継いでくれるのかぁ??などと思ったのですが。。。
そのときは息子と住むよりやっぱり娘と住んだほうがいいよね・・と夫と話していたんです。。
まいこが亡くなった時、思いました。
「こういう意味だったのか・・」と。
まいこが私達と一緒のお墓に入ることになりました。
生まれたときから、お母さんっ子でした。中学生になっても高校生になっても
大学生になっても、「おかーさん、おかーさん」と甘えていた娘です。
4人の子供のうち誰よりも親密な時間を過ごした娘です。。
早く別れなければならないゆえだったのでしょうか・・
あっさりと親離れをしてくれてもよかったのに・・
冷たい娘でもよかったのに・・
生きていてさえくれたらお母さんはそれだけで充分なのに。。。
やっぱり私はまいこの遺骨を手放せないかも知れません。。
頼りにしていた。私が子育て手伝うから、安心して働いていいよ。なんんて先の話までしていた。私が夢を見すぎたのか、先のことまで考えすぎたのか、いろいろ思った。
うちも建て替えの話が進行中です。家族の中では、あとは親戚に話さないとならないようです。
群馬は、なんだか春っぽい陽気になってきています。悲しさが増してきました。
悲しいね・・
やっぱり 娘はいつまでたって娘・・
将来 結婚して 子供が出来て
そんな先でも 多分仲良くやって過ごせる日を
思っていました。
娘と会えるのは 一緒のお墓に入る時・・
なんて悲しすぎるし 遠すぎます。
まいこは学校の先生になりたくてね・・・
結婚して子供を産んでも仕事を続けたいって言ってた。
だからお母さん、孫のおもりは頼むね。。って・・・
私は一緒に住まなくてもそばに住んでくれるものと
信じていた。。
まいこのために出来る限りのことをしてやろう。。
そのためには健康に気をつけなければ・・なんてことまで思っていた。
こんな形でそばにいてくれるとは・・・
うちはパパが強引なので・・自分のやりたいようにです。
それだけはありがたいかな・・・
本当に何でお墓なんでしょう・・
娘のために・・結婚出産・・母としてしてやれることを楽しみにしていたのに。。
もう何もしてやれないなんて。。
ただただ手を合わせ冥福を祈ることしかできないなんて・・
悲しすぎます。。
まいこさんの言葉に、意味があるような気がしますね…
お嫁に出して、孫を抱いて、親として普通の望みなのに、どうしてこんな形で未来を奪われなければ、ならなかったのでしょう
うちは、四十九日の法要後に、お墓に納骨しました。
でも、小さい骨壷に分骨して、仏壇の中に七瀬はいます。
まだ、一緒にいたいので…
このやり場のない思いと、ずっと向き合っていかなければならないのでしょうね。
うちも家からは絶対に出ないからって豪語してて、
ずっと私たちと寝てて、甘えん坊で・・・。
まいこちゃんとまったく同じ。
読ませてもらって、涙が止まりません
早く逝く事が解かってて、人の何十年分もくっついていたのかなあって。
うちは保育士か養護学校の先生かパパと同じ学校用務職のどれかになりたいと、悩んでいました。
お墓で我が子が待ってるなんて、考えた事もなく・・・でももう死ぬのは全然怖くない待っててくれるから・・・。
でも・・・生きていてくれさえすれば、どんなに冷たくされてもいいのにねそう思います。
何かを予感していたかのような言葉。
息子も、お年頃で親離れしていたようですが、何かと母さん、母さんと頼ってきてくれていました。
最後の何ヶ月かは、特に私達の間は密だったように思います。
本当に…心配させられてもいい。生きていてくれさえすれば。
小さな七ちゃんを一人納骨するには葛藤もあったでしょうね。。
我が家も、夫が全部でなくても少しだけは入れよう・・と。
お友達もお墓が出来たらお参りしたいといってくれていますから・・
やはり少しはまいこを入れないわけにはいきません。。
事故車の中から奇跡的に見つけた3本の歯をきれいなジュエリーケースに入れておいてありますが
時々抱きしめます。。
本当に逢いたくて逢いたくて・・声が聞きたくて・・
ぎゅっと抱きしめたくて。。。です。
自分が死ぬそのときまで思い続けるのでしょうね・・
卓君もお母さんっ子でしたか・・
家のまいこも自他共に認める特別お母さんっ子で。。
卓君も将来の夢をちゃんと持っていたんですね。。
まいこもそうでした。
やると決めたことは必ずやり遂げる子でしたから
必ず先生になると信じて疑いませんでした。。
楽しみもなくなってしまいました。。
心のすき間をうめるものが見つかりません。
ただあの子に会える日を楽しみに生きていくのはあまりにも辛いですね。。
達也くんもそうだったのでしょうか・・
まいこも最後の1年は地区の行事などにも積極的に参加して
いろんな人と楽しい時間を過ごして・・
後で思うと
今までお世話になった方にお別れをしたかのようです。。
自慢の娘でした。
親から見ても非の点けようのない娘でした。
でも思います。
馬鹿な娘でもいい、わがままばかりでもいい、心配ばかり掛けられてもいい、
生きていてくれさえすれば・・と思います。。