今朝だったでしょうか、
満開のフジの花を刈り取るニュースをアップして、
これは酷い、と怒る記事を出しました。
けれども後になってよく考えて見て、
酷いのは刈り取った人やそれを決めた市長でもないと気づきました。
人を喜ばせるために丹精込めて咲かせてきた花です。
誰がいそいそと切るものでしょうか。
心を痛めてやむなく作業をしている人の気持ちを思えば
非難などできる立場にありません。
酷いのはこんな事までさせるコロナです。
聞く耳持たずに自由を謳歌する一部の人たちや、
経済のために苦しんで死ぬ覚悟のある市民たちなのです。
怒りの矛先は多分そこにあります。
で、す、が
やはり気になるところもあります。
刈り取りに対して、是可否かの議論はなされたのでしょうか。
花にも命があることを、
人間の勝手で刈り取ってしまうことに対する罪悪感、
良心に訴える意見などは一つも出てこなかったのでしょうか。
例えば誰かが、
花が咲いているから人が来るのよね、いっそ切っちゃおう
花がなければ人は来ないと言う意見を述べました。
するとそこにいた人全員がそうだ、そうだといっせいに賛成したとしたら怖いですね。
例えばこんなアイデアはどうでしょう。
ネットでアンケートを取るのです。
藤の花が満開です、しかし今年は皆様にお越しいただけません。
閉鎖をしています。
にも関わらず先週もたくさんの人がやってきました。
考えた末
花がなければ客は来ないだろうと、そこで質問です。
来訪者を防ぐために花を切る事をどう思いますか?
この機会に花の命に関しての指摘とか
あったら良いのにね。
しょうがないねばかりに流れてしまうのは
やっぱり寂しいものがあります。
今までに経験した事のない出来事が次から次へと起こって
その度に試行錯誤していくしかありませんね。
コロナ後の世界は人にも地球にも優しい世界になって欲しいです☆