藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

アスベスト被害者遺族と中皮腫患者家族との面談

2011-12-15 21:55:46 | 社会・経済

  しいアスベスト曝露者との出会いそして、スベスト被害者遺族と中皮腫患者家族との橋渡し。

  今朝偶然にも、って同じ釜の飯を食べた人間に出会い、「康管理手帳」(石綿)取得しているか訊ねたところ、度自体知らず、速手続きの書類をさし上げ、入方法など説明した。ずは筆書きで私のところへ持参することになった。午後は一時からアスベスト被害者遺族遺族二名と現在闘病中の家族の引き合わせをしたところ、族の一人が、前私が住んでいた六軒隣の人であった。も歩けば棒にあたるではないが、んな縁で再びお会いするとは、うしたことがこのところ連続して起きる。を伺うに、主人が二年の闘病生活の末、年末に胸膜中皮腫で亡くなられたとの事であった。のよい大工であったが、スベストには勝てなっかたのだ。射能には半減期がありードの摂取により外に排出されることもあるが、スベストは一度取り込まれるとなかなか排出されない。こから悲劇が始まる。り込まれたアスベストは、年から三十年の年月を経て、魔のつめを出す。宅し夕餉の支度をしていると、所に住む昔からの友人が訪ねてきた。「健康管理手帳」(石綿)の取得を勧めていたが、まり気が進まぬ様なので、の侭にしていたところ、続き方法をたづねてきたので、請書類一式と記入方法を説明した。の場合、十年間勤めた会社が現在も営業しているので、単に交付を受けることが出来そうである。んと今日という日は、の回るような一日であった。のせいか、中から胸に包丁を突き立てられるような痛みが今、続いている。み止めも効かないこの痛みの中で、日一日の記録をと思いこの文章書いている。のほうが気がまぎれ、みを忘れさせてくれる。夜は、眠薬が必要な感じである。部プラークでこの痛み。皮腫を発症したらどんな痛みに襲われることか想像もつかない。

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