新しいアスベスト曝露者との出会いそして、アスベスト被害者遺族と中皮腫患者家族との橋渡し。
今朝偶然にも、かって同じ釜の飯を食べた人間に出会い、「健康管理手帳」(石綿)を取得しているか訊ねたところ、制度自体知らず、早速手続きの書類をさし上げ、記入方法など説明した。まずは鉛筆書きで、私のところへ持参することになった。午後は一時から、アスベスト被害者遺族遺族二名と現在闘病中の家族の引き合わせをしたところ、遺族の一人が、以前私が住んでいた六軒隣の人であった。犬も歩けば棒にあたるではないが、こんな縁で再びお会いするとは、こうしたことがこのところ連続して起きる。話を伺うに、ご主人が二年の闘病生活の末、昨年末に胸膜中皮腫で亡くなられたとの事であった。腕のよい大工であったが、アスベストには勝てなっかたのだ。放射能には半減期があり、ヨードの摂取により体外に排出されることもあるが、アスベストは一度取り込まれるとなかなか排出されない。そこから悲劇が始まる。取り込まれたアスベストは、十年から三十年の年月を経て、悪魔のつめを出す。帰宅し夕餉の支度をしていると、近所に住む昔からの友人が訪ねてきた。以前「健康管理手帳」(石綿)の取得を勧めていたが、あまり気が進まぬ様なので、其の侭にしていたところ、手続き方法をたづねてきたので、申請書類一式と記入方法を説明した。彼の場合、三十年間勤めた会社が現在も営業しているので、簡単に交付を受けることが出来そうである。なんと今日という日は、目の回るような一日であった。そのせいか、背中から胸に包丁を突き立てられるような痛みが、今、続いている。痛み止めも効かないこの痛みの中で、今日一日の記録をと思いこの文章書いている。そのほうが気がまぎれ、痛みを忘れさせてくれる。今夜は、睡眠薬が必要な感じである。胸部プラークでこの痛み。中皮腫を発症したらどんな痛みに襲われることか想像もつかない。