私の友人の夫は、私と同じ昭和二十年生まれの被爆者である。
その彼が今まさに、アスベストによる中皮腫で、公立のA病院で、抗癌剤での治療を受けている。 二クール目である。 かなり苦しいらしく、夜、彼女の病院からの帰宅を、嫌がり始めたらしい。 一人で過ごす病院の夜、若き時、経験した私には、その不安と寂しさがどの様なものか、手に取るように分かる。 そのことを思い出し、思わず涙を流してしまった。 原爆被爆者であり、アスベスト曝露者としての夫、最悪の状況下での、彼女の心境を察するに、余りあるものがある。 彼の場合五十五歳で、体の変調を訴え、仕事から退き、趣味に生きる生活をしていたが、それすらも出来なくなり、六ヶ月前、健康診断の結果「中皮腫」と診断された。 そして今日に至っている。私の心を、大きく動揺させているのは、中皮腫の発見から、死亡にいたる平均的期間が、一年六ヶ月と短いことである。 クリスマスイブをふたりで、如何にに過ごしているか、気がかりで眠りに付けなく今こうして、ブログの一ページを書いている。彼と彼女に、に神のご加護があらん事を、願うのみである。 迎える新しき年を、自宅で過ごせるように願うのみだ。 今日は、午前十時から広島市西区のファミレスで、アスベスト曝露者三名と、面談する。 少しでも、「健康管理手帳」(石綿)手帳交付に尽力出来れば、幸いである。 どうも、アスベスト被害者救済が、私に残された時間の、使い道と決まったようだ。 これもまた、神から授けられた、運命なのであろう。
クリスマス 友を見舞いし その帰り
あまりの細きに 一人涙す