4月6日
今月初め、四国の障害者施設から電話があった。
入所している姉の容態があまり良くないらしい。
「食事を摂らないし、反応が鈍い。延命処置をするため入院するか否か判断
して欲しい」と言われた。「明日訪問しますが今日明日と言うことになるのか?」
と聞くと「そんなことは無い」との返事をもらったが、翌日朝早く「息をしていない」
との連絡を受ける。急きょ四国まで出かけた。
施設の人の言うには急変したらしい。80歳でもあり、認知症も進んでいたことから
延命処置はもともと行わないつもりであったが、あまりにもあっけなく他界して
しまった。一ヶ月ほど前から食事量が減っていたらしく、ここ一週間くらいはほとんど
食べていなかったようで骨と皮だけになっていた。
私たち姉弟は物心つく前に両親を失い、その後姉は奉公人として働き、その後は
障害者施設に入所。10年前くらいから認知症の症状が出て車いす生活ののち
寝たきりとなってしまった。健常者から見ると、何とも不憫な一生だったと思う。
淋しい葬儀(出席者は私と妻、施設の事務員の3人)ではあったが安らかな顔で
眠っていたいたのを見て心を込めた合掌で見送ることが出来た。
いつの間にか福田公園のサクラも満開になっている。
遠く広江のサクラもやさしいピンクの絨毯を見せている。この景色を気に入っている。
散るさくら、残るサクラも散るサクラ
今月初め、四国の障害者施設から電話があった。
入所している姉の容態があまり良くないらしい。
「食事を摂らないし、反応が鈍い。延命処置をするため入院するか否か判断
して欲しい」と言われた。「明日訪問しますが今日明日と言うことになるのか?」
と聞くと「そんなことは無い」との返事をもらったが、翌日朝早く「息をしていない」
との連絡を受ける。急きょ四国まで出かけた。
施設の人の言うには急変したらしい。80歳でもあり、認知症も進んでいたことから
延命処置はもともと行わないつもりであったが、あまりにもあっけなく他界して
しまった。一ヶ月ほど前から食事量が減っていたらしく、ここ一週間くらいはほとんど
食べていなかったようで骨と皮だけになっていた。
私たち姉弟は物心つく前に両親を失い、その後姉は奉公人として働き、その後は
障害者施設に入所。10年前くらいから認知症の症状が出て車いす生活ののち
寝たきりとなってしまった。健常者から見ると、何とも不憫な一生だったと思う。
淋しい葬儀(出席者は私と妻、施設の事務員の3人)ではあったが安らかな顔で
眠っていたいたのを見て心を込めた合掌で見送ることが出来た。
いつの間にか福田公園のサクラも満開になっている。
遠く広江のサクラもやさしいピンクの絨毯を見せている。この景色を気に入っている。
散るさくら、残るサクラも散るサクラ
2回目のカテアブ後の御不調が快癒に向かわれたと感じられて安堵致しました。例の<北品川藤クリニック院長のぶろぐ>3月20日の紙上にてカテアブとAFについて専門家の見解が書かれています。ご参考になれば。
ありがとうございます。障害があって認知症の姉の方が長生きしたらそれこそ不憫と思っていましたが、その点ではこれで良かったと納得しています。とかく自分も含めて身内の生活はずっとこのまま永遠に続くかのごとく錯覚をしてしまう時がありますが、今回は生者必滅を実感しました。自分の人生も残り短いものですが、しっかり供養してやりたいと思っています。