美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

中村彝の書簡(4) 自殺した画家の衝撃

2016-03-16 20:00:23 | 中村彝
中村彝は大正4年4月3日の書簡で伊藤隆三郎に書いている。

「太平洋は九日までですから早く御上京なさらないと閉会して了ひます。ルノアールは是非見て置く必要があります。」

このルノワールこそが、特別出品された大原家所蔵の「泉による女」1914年作)である。

書簡の文面から彝はこの作品を明らかに見ていたと考えてよいだろう。まだルノワール存命中の、当時の日本ではめったに見られないこの画家の最新作と言ってもよい作品だった。

この作ついては伊豆大島から同年3月に出した彝の書簡でもすでに「今度の太平洋展覧会にルノアールが出品される相ですから、それも是非見度ひし、風邪がなほつたらすぐにも東京へ帰り度く思つて居ります」と触れている。


こちらの書簡は中村春二宛てのもので、この中で彝は「○○君はその後如何ですか。一時発狂したとも言ふ噂がありましたがその後よくなつたのでせうか。今村様にも丸で手紙を書きませんからどうぞ宜しく御伝言を願ひます」と認(したた)めている。

『藝術の無限感』で○○君と伏字になっているこの○○君とは、中村春二(成蹊の校長で今村と彝との仲介の役を果たしていた人物)の息子秋一の「彝の手紙」によれば、近藤芳雄のことであり、この中村家に近藤作品もかつてあったことが知られるのである。

ちなみに近藤は大正元年12月、中村春二の成蹊実務学校で開かれたコカゲ洋画展覧会において中沢弘光、山本森之助、三宅克己、彝、相田直彦らとともに小品を展示したことがあった。

さて、ここで思い出されるのは約1年後の大正5年4月28日の彝の手紙である。

そこに書いてある「発狂自殺」した彝の友人、この手紙ではこれが誰なのか書いていないが、前年の春の中村春二宛て上記書簡から、この友人が近藤のことではないかと推測されるのである。


それほど彝と親しかったとも思われない近藤の自殺が、彝に強い衝撃を与えたのはどうしてだろう。

それは、近藤が彝と同じ肺の病を抱えて、同様に今村から援助を受けていた画家仲間であり、しかもその原因も今まさに彝自身が悩んでいた「恋愛」問題にあったからではなかろうか。彝は大正5年4月28日の書簡で近藤の自殺の原因をそう述べている。

しかも彝自身、大正4年の夏ごろには俊子との恋愛問題において、危うく周囲から狂人視されていたことがあるからと言ってもよいかもしれない。

それに近藤自身も自ら命を絶ったとはいえ、本当に発狂していたのかどうか、単に外面的にそう見えたのか、それは分からない。

人の精神や内面はそう簡単には定義付けできないだろう。そういう人の内面を知っている彝だからこそ、近藤の自殺の衝撃を深く受け止めたのではなかろうか。
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中村彝の書簡(3) ルノワール模写、岡山行の計画

2016-03-16 14:03:31 | 中村彝
『藝術の無限感』における大正5年4月(?)28日付とされる中村彝の書簡は、新潟県立近代美術館では2月28日付としたが、そうではなく大正5年4月28日の書簡と見てよい。

その際、括弧のなかの疑問符も外してよく、この手紙は明らかに大正5年4月28日のものだ。

これは手紙の内容からもそう言える。

例えば彝は岡山に行ってルノワール(「泉による女」)を模写する計画(希望)をしばしば書簡の中で語っている。

大正5年2月27日の書簡では、感冒を克服して2,3週間後に

    3月5日の書簡では、4月に

    3月26日の書簡では、4月23日頃に

    4月14日の書簡では、ルノワールが「もう十日餘で見られます」とあるから4月24日頃に岡山に行く計画を具体的に語っている。

かくして28日の書簡になるのだが、ここでは「岡山行は少し遅れましたが、よくなり次第発足致します(来月7日頃多分)」と矛盾なく繋がる。

つまり、彝は3月時点では、岡山行を4月23,4日ごろに計画していたが、それが4月28日時点で「少し遅れ」たことを認め、(5月)7日ごろには出発したいという表現になったと考えられるから、この手紙はやはり4月と考えるのが妥当なのである。

しかし実際には5月14日になってもまだ岡山には行けなかった。それで5月14日の手紙では、病気がやっと快方に向かいつつあると述べ、「ここ数日もしたらきつと全快するでせう。そしたら早速床上げをして岡山へ飛び出さうと思って居ります」書くのである。

そして『藝術の無限感』で7月(?)21日(新潟近美では7月31日とされている)書簡では、「秋になつたらあのルノアールを今度こそ模写に行けるのです」となっているから、岡山行の計画はこの時点で秋まで引き延ばされ、その後も彝は生涯そこに行くことができなかった。

では中村彝は、現在、大原美術館にあるそのルノワールを見ることができなかったのかと言えばそうではない。彼はそれを以前に1回だけ見たことがあるのだ。





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3月15日(火)のつぶやき

2016-03-16 03:17:21 | 日々の呟き

近年注目のアドラー心理学の研究者岸見一郎さんが新聞で「人間の不幸は、過去を後悔し、未来を心配することから来ています」と数日前に述べていた。さらに例えば怒りの感情は自分の目的によって自らが作り出した感情だとも言っていた。その感情で相手を思い通りにしようとしてもダメだとも。

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こないだ読んだアドラー心理学の『嫌われる勇気』で、他人のことは変えられない、よって「自分がどうするか」だけ考えよう、未来はわからない・過去も変えられない、よって「今・ここ」だけを考えよう、とあって、そりゃそのとおりだと思った>RT

Riki67さんがリツイート | 3 RT

ピカソの肉筆文字、どのくらい読み取れるかな?
それにしても、ためらいのない筆跡そのもの、ピカソのデッサンと同じで、やはりいいな! twitter.com/jimmoske/statu…

2 件 リツイートされました

自由とは無限空間である。そのような空間がないときに、肉食獣や鳥たちが己れの空間、なわばりをめぐって闘うように、暴力が生まれるのである。

Riki67さんがリツイート | 8 RT

ジョルジュ ド ラ トゥールのこの作品、たいへん論議の多い作品ですね。 twitter.com/metmuseum/stat…


@metmuseum
でも議論されるのはよいことだ。公に論議されれば美術史の方法自体も発展するし、外野席で見聞きしている学徒にとっても研究の仕方など大いに参考になる。メットのこの作品はその意味でもよい例を示したのだ。


なるほど。批評家はあまり悪口は言いたくないのか乱暴とは言わないで迫力と言うのかな?偉くなればなるほど乱暴とは誰にも言われないから気をつけないと。乱暴とはっきり指摘されるのは徒弟時代だけで、それは幸せなことなのかもしれない。 twitter.com/fukushinsancha…


人が孤独から解放される条件は、恋人や友人のようなプライベートな関係より、みんんなの役に立つことを1人で淡々と始め、続けていく延長線上にある。たった1人で町内の汚い道路や公園、公衆便所などを定期的に掃除するだけでも、その良い活動に共感する仲間は必ず現れる。誰かのためは、自分のため。

Riki67さんがリツイート | 25 RT

今日の名言です。

「やる気がなくなった」のではない。「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。

アルフレッド・アドラー

我々は頭の中で自分の都合のいいように言葉をすり替えてしまっているようです。

Riki67さんがリツイート | 16 RT

美術分野に文学哲学心理学精神医学の人たちが来て色々書いている。また美術批評家は、創作者に対してその作品は哲学文学演劇映像の分野だとは言わないで好んで批評の対象とする。私から見ると美術分野は他分野よりかなり寛容で、対象を拡散させている。

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