↓60年代の演奏だから当然LP時代だが、自分が聞いたのはCD化されたもの。LP時代は、なかなかレコードが買えなかった思いがある… twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 01:32
イ・ムジチと言えば60年代後半から70年代にかけてヴィヴァルディの四季がまさに流行。70年代の仙台にはバロック音楽専門の喫茶店「無伴奏」があり、パッヘルベルのカノンやアルビノーニのアダージョ、勿論バッハの無伴奏チェロ、ゴールトベル… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 01:52
ヴィヴァルディの「レストロ・アルモニコ」は、「調和の幻想」と訳されたり、「調和の霊感」と訳されているが、どちらもよく分からない。前者だと「調和」というのは「幻想」に過ぎないの意味にも受け取れるし、後者だとそれが「霊感」によって得るべきものの意味にも解せられる。それに・・・
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:00
それに「アルモニコ」は、そもそも「調和」の意味なのか。もっとヴィヴァルディがそこで意図したかもしれない音楽史的な用語の「和声(ハーモニー)」に近づけた訳が望ましいのではなどと、想像をめぐらせてしまう・・・ twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:27
1970年代の仙台、「無伴奏」ではヴィヴァルディのこのレストロ・アルモニコは、その時代の雰囲気だったのか、「調和の幻想」と呼ばれ、その第8番などがお店の中でよくかかっていた。午前中などお客は一人や二人、などということも珍しくはなか… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:37
#藤城清治 氏は、「#仙波均平 先生という絵の先生に、水彩画、銅版画、油絵を教えてもらいました」。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 16:29
今日の読売「時代の証言者」より
仙波は中村彝関連の作家のひとり。
「原発建設をやった経験のある人間が、どんどん減っている。…放っておいたら10年後には、…廃炉作業すらできなくなっているような事態もあり得ます。」川村隆氏の言葉、今日の読売より。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 16:59
こんな議論も出てくるので建設と切り離した廃炉作業の技術を専門的総合的に研究する分野が必要かもしれない。
いかにその必要性が説かれても、ただ原発を建設するだけでは人々は不安でたまらない。どんな問題が起ころうとも、直ちに後戻りできる技術が常に確立されていなければ、人々の支持は得られない。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 17:14
今日はあらためてヴィヴァルディの「調和の幻想」、敢えてそう呼ぶが、それを聴いてみた。やはりその8番とか10番とか11番とかが特に懐かしい。1970年代の仙台の無伴奏でよく聴いたものだ。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 19:43
ビートルズのポール マッカートニーの曲に「エリナー リグビー」という曲がある。これを聴くと、ヴィヴァルディの「調和の幻想」が彼のインスピレーション源なのかと思ったことがある。今、PCで検索してみると、ポールのこの曲にヴィヴァルディの音楽的イメージがあったことが分かる。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:01
同じような経験は自分にもあります。逆に美術史家だって図版や画集で知っている作品の方が多いと思いますよ。重要な作品でもまだまだ本物に接していない作品はいっぱいあります。 twitter.com/lumiere1874/st…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:27
文学作品なども読んだという記憶はあるが、内容はすっかり忘れている。ただ、読み返すと、だんだん思い出すということもある。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:38
文学作品など、一生のうち、どんなに名作と言われても、とても読みたいと思う本を読みきれるものではありませんよね…
文学、美術、音楽の様々な無限にある作品、その素晴らしいすべてのものに自分の心を触れさせることはできない。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:48
ただ、偶然と直観により、そのいくつかに触れることにより、それが本来自分が求めていたものになるのかもしれないと今は思っている。