小川芋銭の『草汁漫画』125頁は「北風」と題されている。この頁には上下2図が載っているのだが、いずれも北風の題に相応しているものと私は考えている。
上の図には「木枯や何に世渡る家五軒」の蕪村の句があるから、これが題目に一致することは問題ない。
だが、下の図はどうだろう。画面前景に黒い影法師となった人物が大きく描かれ、川べりに佇んでいるようだ。冬の部に描かれているこの図は、その背を向けた大きな影法師のためか、謎に満ちた雰囲気がある。
この黒い影法師の人物は誰だろう、前から気になっていた。そしてこの図は全体的に何を意味するのだろう。
だが、なかなかその意味が解けないでいた。そもそも図の左上の文字がうまく読めない。
北畠健氏の研究でも「妹が夕?」となっていた。
「妹が」までは間違いない。その下の「夕」にも見える文字が、はっきりしないのだ。
確かに「夕」と読んで川べりの夕方の景色とすれば、影法師の人物の図像的意味に繋がりそうだ。だが、「妹が夕」の全体的意味内容ははっきりしない。その典拠も今ひとつ曖昧のままだ。
だが、これは木版に問題があって読めないのだろうと思う。この本には、他にも彫りが甘くて、それだけでは読めない文字がある。
この図は「妹がり」と読むべく書いてあったのではなかろうか。
これを「妹がり」と読むなら、この図の主要モティーフをすべて統合的に解釈できる。と言うより、むしろ図像内容がそう読むことを要求しているように思われる。
すなわち、紀貫之の「思ひかね 妹がりゆけば 冬の夜の 川風寒み 千鳥鳴くなり」の歌の内容を典拠に、これを現代的にアレンジしたものとしてこの図を解釈できる。
都会の男の影法師、北風になびくその男のマント、冬の夜、川辺り、寒さ、千鳥…。特に鳴く千鳥なら、この歌のように恋情を示しているのかも知れない。
そして、さらに、これらは、同じ「北風」の表現であっても、蕪村の句を典拠とした同じ頁の上の図、すなわち田舎の風景と、すべてが対置されている、そう思うのだ。
なお、紀貫之の上の歌を、芋銭が戯画風に描いている図があることは、前のブログで紹介した通りであるから、彼がこの歌を確実に知っていたことは間違いない。
追記:賛の読みが「妹が*」の*に相当する熟語には、「妹許(いもがり)」の他にどんなものがあるのだろう。熟語ではないが、越人のこんな句が目に留まった。
あやにくに煩ふ妹が夕ながめ