中村彝が1918年(大正7年)8月に、今村繁三から借用して模写した作品だ。
オリジナルのシスレーは1917年10月6日にデュラン=リュエルから松方幸次郎に売却された。それが早くも翌年には今村蔵となっている。その証拠が彝のこの模写である。
彝はこの模写を高橋義雄(箒庵)に遺贈した。落合のアトリエ建設時に彝を支援したからである。
彝はその恩に報いるため箒庵の肖像画を描きたかったが、かなわず、このシスレー模写を贈ることを遺言していたようだ。
その遺言は実行され、鈴木良三がこの模写を箒庵宅に運んだ。
そして、良三はこれが機縁となって、彼もまた箒庵からフランス滞在の支援を受けたのである。
箒庵は水戸藩士の子で、実業家であり、茶人としても著名な人物であった。
このシスレー模写、その後、箒庵から酒井億尋へと渡ったらしいが、限られた時間で当時の所蔵者に辿り着けず、展示させてもらう機会をついに逸してしまった。
1967年(昭和42年)の新宿ステーション・ビルでの中村彝展までは、展示される機会があったが、その後は出品されていないようである。
今村蔵のシスレーのオリジナルも、今、どのような運命をたどっているのか。これと似た作品がネットで検索できたが、それは今村蔵の作品ではなかった。
今村のもっていたルノワールの庭園を描いた風景画同様、戦前に旧知の財閥の手に渡った可能性もあろう。だが、その後は、戦災に遭ったか、海外に流出したか・・・
シスレーのオリジナルが既に失われているとすれば、彝のこの模写は、彝研究にとっても、シスレー研究にとっても、いっそう貴重な作品となるはずだが、その行方が分からないのである。
シスレーのオリジナル、または彝のこの模写について、何か情報をお持ちの方からご教示をいただきたい。
【追記】彝のシスレー模写は、現存する可能性が大きい。戦後まで出品されているからだ。これまでの所蔵家の繋がりから検討していくのが筋だろう。
(追記2)2024〜2025年にかけて開催(茨城県近代美術館)の「没後100年 中村彝展」では、この模写作品がついに展示された。喜ばしいことである。模写とは言え、実に見事なものである。彝は誇りをもってこの模写を箒庵に贈ったと言ってよいのではないか。
『松方コレクション西洋美術総目録』には記載がなかったものだと記憶しておりますが、いま何処にあるのでしょうね。
ギャルリー・ブラム・エ・ロランソーでシスレーの作品総目録を編纂中のことのようですので、何かしらの情報があればと期待しております。早期に出版されると、良いのですが・・・。
問題のシスレーはドールト650番に間違いありません。
他にも、探している方がいるのですが、まだわからないようです。彝の方も、オリジナルも。焼失などしていないとよいのですが。