学生時代、音楽通にエッシェンバッハが弾くモーツァルトのロンド イ短調もいいと言われた。ピアノ協奏曲23番の第2楽章と同様、モーツァルトの有名な曲の中では、最も胸に迫る切々とした孤独感が感じられるように思えたものである。 twitter.com/ina_fantasie/s…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月20日 - 11:19
「文学賞とは… 一つの共有できる文学観を作ること。それは決して一致しないけど、議論を尽くした後では、この人たちとは文学を語り合えるという信頼感が生まれる。」#池澤夏樹 氏の言葉、今日の読売より
— rk70 (@tikarato) 2019年2月19日 - 12:10
慶応の「パレットクラブ」というサークルの先生が #仙波均平。#藤城清治 氏はそこで「裕福な家庭の子」と「運命的な出会い」をする。「1年先輩の稲村立春君です。」
— rk70 (@tikarato) 2019年2月19日 - 13:39
昨日の読売、時代の証言者より
戦後、時代が変わり、 #藤城清治 氏の「1年先輩の稲村立春君」は、「かつては絵の具がぎっしり詰まっていた引き出しを痩せた手で開け、『ここからお金が出てきたらいいのに』と言った。それが忘れられません。ほどなくして亡くなりました。」昨日の読売、時代の証言者より
— rk70 (@tikarato) 2019年2月19日 - 13:46
「稲村君の親は彼ら(猪熊、脇田、小磯ら新制作協会の若手画家)のパトロンでした。…稲村さんの家には猪熊さん、荻須高徳さん、藤田嗣治さんなどの絵が飾ってありました。」昨日の読売、時代の証言者より
— rk70 (@tikarato) 2019年2月19日 - 16:46
昨日、読売新聞が三浦瑠麗氏の『21世紀の戦争と平和』刊行という紹介記事。「血のコスト」を少数の職業軍人だけが負担するようになると「抑制的な軍を押し切り、…不必要で攻撃的な戦争を安易に選択してしまう…」。徴兵制は血のコストを「国民が体感するような仕組」だから必要との趣旨、恐ろしや。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月19日 - 19:03
シスレーの下記のリンクに見られる作品は、辻永の作品よりもかなり遠景のテラス(高台)から橋の方を眺めた構図のパノラミックな作品で、画家の立っている視点は同一とは言えないだろう。art.thewalters.org/detail/17847/t…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月18日 - 11:33
サンジェルマン アン レーは人口4万人ほどの町だが、ドビュッシーはここの生まれ。オルガン奏者のマリー クレール アランも。モーリス ドニもゆかりの画家。サッカーファンには知られた町らしいが、辻永の「サンジェルマンの春」のサンジェルマンも実はサンジェルマン アン レーのことだった。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月18日 - 12:03
1970年代の頃、仙台モーツァルト協会ができた。事務局が喫茶店の無伴奏で、東北通産局長、大学教授、電力会社の方を中心に組織し、学生は雑用をこなした。ある時、通産局長が将来何か困ったことがあったらいつでも来ていいと親切に言ってくれた… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月18日 - 16:46
学生時代、先輩が卒業して仙台を離れるというのでハスキルが弾くモーツァルトのPC23番が入ったLPを贈った。自分はシューマンのピアノ四重奏曲のLPを貰った。グールドとジュリアードの演奏で、この曲のアンダンテ・カンタービレがロマンティ… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月18日 - 18:11
1年の浪人後、大学に入った。在学中、最初の夏に母が、次の年に父が、さらにその後祖母が1回だけそれぞれが初めての仙台に来た。だが、いずれの時も自分は、父母や祖母たちを喜ばせようと少しの努力もしなかった。それどころか早く帰って欲しいと思った。今はこの世にいない。#ペンチメント
— rk70 (@tikarato) 2019年2月18日 - 18:20
「他人に怒りを感じる能力がなければ、たやすく食い物にされてしまう」「自信ある態度は競争に有利」「感情は生き延びる可能性を高めるために生み出され、適応、発展してきたという行動経済学の最新理論」今日の読売、ポケットに1冊より
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 11:38
#阿部真大 著『「地方ならお金がなくても幸せでしょ」とか言うな!』を紹介する今日の読売より
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 11:45
「都会で起きている問題は地方では…もっと深刻なのだ」
#ダグラス・マレー 著『西洋の自死』について #鈴木幸一 氏が今日の読売で書評を。「多文化共生とは聞こえがいいが、著者は否定的な立場だ。欧州各地における人権の文化、特に女性の権利というものは、必ずしも『我々の社会にやってくる人々』が共有するものではなく、…」
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 13:44
「そして政治家やマスコミが移民問題について、『人種差別主義者』と批判されることを恐れて、腰が引けた対応しか取らないことを(著者のマレーは)批判する。」今日の読売、#鈴木幸一 氏の書評より twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 13:48
静かな、晴れた夕暮れ、しばらくぶりに今、穏やかな空に清い月を見た。十三夜ほどの月だった。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 17:43
辻永が描いた「サンジェルマンの春」はこの写真の風景の視点に近いかもしれない。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 19:09
fr.m.wikipedia.org/wiki/Viaduc_fe…
辻永の作品はもっとロング・ショットだが。 twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 19:11
茨城県近代美術館にある辻永の「サンジェルマンの春」は同館HPの「所蔵作品検索システム」から探せます。そして、それをクローズアップしてみるとこの写真の視点に近づくことがわかります。fr.m.wikipedia.org/wiki/Viaduc_fe…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 19:36
写真のタイトルは、サンジェルマン アン レーの小テラスから見たル ペックの鉄道高架橋となっています。 twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 19:41
辻永の作品は、かなりの遠写であり、おそらくサンジェルマン アン レー城のテラスから、鉄道の高架橋方面を眺めているのだろう。描かれている中の島はコルビエール島。パリの西方にサンジェルマン島というセーヌ川の中の島があるが、そこを描いた… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月17日 - 20:19
↓60年代の演奏だから当然LP時代だが、自分が聞いたのはCD化されたもの。LP時代は、なかなかレコードが買えなかった思いがある… twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 01:32
イ・ムジチと言えば60年代後半から70年代にかけてヴィヴァルディの四季がまさに流行。70年代の仙台にはバロック音楽専門の喫茶店「無伴奏」があり、パッヘルベルのカノンやアルビノーニのアダージョ、勿論バッハの無伴奏チェロ、ゴールトベル… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 01:52
ヴィヴァルディの「レストロ・アルモニコ」は、「調和の幻想」と訳されたり、「調和の霊感」と訳されているが、どちらもよく分からない。前者だと「調和」というのは「幻想」に過ぎないの意味にも受け取れるし、後者だとそれが「霊感」によって得るべきものの意味にも解せられる。それに・・・
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:00
それに「アルモニコ」は、そもそも「調和」の意味なのか。もっとヴィヴァルディがそこで意図したかもしれない音楽史的な用語の「和声(ハーモニー)」に近づけた訳が望ましいのではなどと、想像をめぐらせてしまう・・・ twitter.com/tikarato/statu…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:27
1970年代の仙台、「無伴奏」ではヴィヴァルディのこのレストロ・アルモニコは、その時代の雰囲気だったのか、「調和の幻想」と呼ばれ、その第8番などがお店の中でよくかかっていた。午前中などお客は一人や二人、などということも珍しくはなか… twitter.com/i/web/status/1…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 11:37
#藤城清治 氏は、「#仙波均平 先生という絵の先生に、水彩画、銅版画、油絵を教えてもらいました」。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 16:29
今日の読売「時代の証言者」より
仙波は中村彝関連の作家のひとり。
「原発建設をやった経験のある人間が、どんどん減っている。…放っておいたら10年後には、…廃炉作業すらできなくなっているような事態もあり得ます。」川村隆氏の言葉、今日の読売より。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 16:59
こんな議論も出てくるので建設と切り離した廃炉作業の技術を専門的総合的に研究する分野が必要かもしれない。
いかにその必要性が説かれても、ただ原発を建設するだけでは人々は不安でたまらない。どんな問題が起ころうとも、直ちに後戻りできる技術が常に確立されていなければ、人々の支持は得られない。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 17:14
今日はあらためてヴィヴァルディの「調和の幻想」、敢えてそう呼ぶが、それを聴いてみた。やはりその8番とか10番とか11番とかが特に懐かしい。1970年代の仙台の無伴奏でよく聴いたものだ。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 19:43
ビートルズのポール マッカートニーの曲に「エリナー リグビー」という曲がある。これを聴くと、ヴィヴァルディの「調和の幻想」が彼のインスピレーション源なのかと思ったことがある。今、PCで検索してみると、ポールのこの曲にヴィヴァルディの音楽的イメージがあったことが分かる。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:01
同じような経験は自分にもあります。逆に美術史家だって図版や画集で知っている作品の方が多いと思いますよ。重要な作品でもまだまだ本物に接していない作品はいっぱいあります。 twitter.com/lumiere1874/st…
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:27
文学作品なども読んだという記憶はあるが、内容はすっかり忘れている。ただ、読み返すと、だんだん思い出すということもある。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:38
文学作品など、一生のうち、どんなに名作と言われても、とても読みたいと思う本を読みきれるものではありませんよね…
文学、美術、音楽の様々な無限にある作品、その素晴らしいすべてのものに自分の心を触れさせることはできない。
— rk70 (@tikarato) 2019年2月16日 - 20:48
ただ、偶然と直観により、そのいくつかに触れることにより、それが本来自分が求めていたものになるのかもしれないと今は思っている。