「キリストの埋葬」 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作 1602年 ヴァチカン美術館 印刷物より
枯れたイチジクの葉まで精密に描いた「果物籠を持つ少年」に代表されるように、写実的で、光と影の効果が素晴らしいカラヴァッジオの作品です。
1571年9月28日生れ~1610年7月18日亡、波乱の38歳の生涯、活躍した当時は、教会の建築ラッシュで数多くの宗教画を描いてます。
「イエスの埋葬」、イエスの遺体を葬った登場人物は、男性2人、女性3人・・・ 12使徒(弟子)はどうしたのでしょう。
主役はアリマタヤのヨセフというユダヤ教徒の裕福な議員です。
左端のイエスの顔から、・・・右上に流れる登場人物の配置・・・、隣の下向きの赤い布を肩から掛けた人物がヨセフ、・・・右手の指先が、イエスの体の重みを伝えてきます。
こちら向きでイエスの両足を抱えている男性は、ニコデモ。(ヨハネの福音書だけに登場します)
他のマルコ、マタイ、ルカの3福音書では、埋葬はアリマタヤのヨセフ、一人だけが登場します。
次の女性は、・・・のマリア、次がマグダラのマリア、両手を上げているのがクレオパのマリアと言われている。(一般的に、出生地○○○のマリアと呼ぶ)・・・
宗教画の題材にするには、ヨハネの福音書がイメージを膨らませやすいと思われます。
最初に書かれたマルコと違って、断片的な記録を多分創作でつないで物語として完成度が高いように思います。
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ンンnnn・・・埋葬する前に、聖母マリアがイエスの遺体を膝に抱いて嘆いている姿、嘆きの聖母像「ピエタ」が物語的には先でしょう?・・・nnnnn
調べてみましょう。・・・
-----聖書のPRパンフレットには、十字架と贖罪、そして復活について次のように書かれてあります。-----
5. 十字架
イエスは、、人間の罪の責任をご自分の身に負い、苦しまれました。それは、私たちが、神の前で正しい者と見なされるためでした。
宗教家たちは、イエスを妬(ネタ)み、死刑にするために、ローマ総督ピラトに引き渡しました。
ピラトは、イエスが引き渡されたのは、憎しみのためだとよく分かっていましたが、宗教家たちの望みどおりに、イエスに死刑を宣告しました。
6. 贖罪(ショクザイ)
人々は、イエスを苦しめ、十字架を背負わせ、エルサレムの城壁の外のゴルゴダという丘に引き立てて行きました。
そこで、イエスの手と足に釘を打ち、十字架に磔(ハリツケ)にしました。
二人の強盗と一緒に処刑しました。
7. 復活
イエスは死んで、墓に葬られ、三日目によみがえられました。
*
・・・・・ 聖書の福音書を見てみよう ・・・・・
最初に書かれたマルコの福音書
15章25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前9時であった。
26 イエスの罪状書きには、「ユダヤの王」と書いてあった。
27.28 略
29. 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。
30. 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
31. また、祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
32. キリスト、イスラエルの王様。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスと一緒に十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
33. さて、12時になった時、全地が暗くなって、午後3時まで続いた。
34. そして、3時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
35.36 略
37. それから、イエスは大声を上げて息を引き取られた。
38. 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
39. 略
40. また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
41. イエスがガラリヤにおられたとき、いつも付き従って仕えていた女たちである。この他にも、イエスと一緒にイルサレムに上がってきた女たちがたくさんいた。
42. すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
43. アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトの所に行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
44. ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。
45. そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
46. そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入り口には石をころがしかけておいた。
47. マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの収められる所をよく見ていた。
・・・・・
紀元30年頃、イスラエルでは十字架刑にされた人は重い罪人です。
遺体はゴルゴダ(どくろの意)の丘近くに掘った穴に投げ込まれ土葬となります。
後に骨になったころに家族が遺骨をもらい受け、身内の墓に納めたようです。
しかし、ローマ帝国では慣習で、身内から遺体の引き取りの願いがあれば、引取り人に渡すこともあったようです。
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聖書には、十字架からイエスを降ろし、母マリアが遺体を膝に抱いて嘆いている姿「ピエタ」は書かれていないようです。
聖母子像やピエタは、教会で信者に説明しやすい人気の題材だったのでしょう。
ミケランジェロ・ブオナローティ作 1499年 「ピエタ」 174×195cm サン・ピエトロ大聖堂
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磔刑の続きは、・・・夕方になり、母マリアも12使徒もゴルゴダの丘にはいなかった。
聖書を調べると4つの福音書全てが、アリマタヤのヨセフが身内でもないのにピラト総督のところに行き、遺体の収容と埋葬の許可を願い出ています。
アリマタヤのヨセフは、熱心なユダヤ教徒で身分の高い議員、自らも神の国を望んでいた。
また、イエスの弟子であったとマタイとヨハネ福音書では書かれている。
*****勝手な解釈の続きです*****
イエスは殉教者になり、復活して神の子になるためのシナリオを描いていた。
それには3人の協力者を必要とした。
(一人は前に述べたイスカリオテのユダ。残念なことに、誤解を受け自殺している)
・・・過越し祭は土曜日から、その前に磔刑になり埋葬されるには、前日が決行日と定めた。
当時の一日は、日没から日付が変わる・・・(日が暮れてから晩餐・・・夜中・・・朝・・・昼・・・夕方までが一日)
決行日は弟子たちと別れの晩餐を開き、その席上弟子達に今後の予言をする。逮捕から磔刑、復活まで。
そして夜半に逮捕され、裁判の結果、律法違反で死刑になるだろう。
3日後に復活の予定だが、ここが問題だ。
・・・アリマタヤのヨセフはユダヤ教に不満を持っていて、イエスを慕う弟子のような存在だった。
イエスは底辺の多くの悩める人々(弱者・病人・罪人・女性たち)に声をかけ救うのが神の子(自分)の務めであり、ユダヤ人以外にも布教をする必要があると説く。
しかし、神の国に戻らなければならない、時間がない、自ら殉教者になるからとヨセフに大切な次の使命を与えた。
過越しの前の日(金曜日)夜逮捕されて裁判の結果、律法違反で磔刑になるだろう。
罪人・ユダヤ教の律法違反者は、しかし「神の子だ」!、誰も私には近づかないだろう!
ヨセフ、勇気を出してピラト総督に申し出て、我が身を引き取り、亜麻布で包んで、用意した所に日没までに埋葬をするように・・・。
そして二日目の夜、そっと誰の目にも触れずに別の墓に埋葬し直すようにと、重要な使命を与えられた。
ヨセフ:なぜ移すのですか?
イエスは、誰も信じない「神の子」神の国を、死んだ人が復活することで預言は成就される、人々が信じることができると答えた。
古い肉体は直ぐには消滅しない、だから隠し埋葬するようにとヨセフに説いた。
(重大な使命を与えられたヨセフは、当日PM3時過ぎ、イエスが大声を上げて息を引き取られると、身内の母マリアを探すそぶりもなく、12使徒も探さない。
決められたいたかのように、ピラト総督の所に向かいます。
これから行う行為は、自分が所属するユダヤ教の指導者に対して反旗を翻す重い行為です。
弟子が皆この場から逃げ出しているのに、なぜ神を冒涜した罪人を引き取るという、今後面倒になるような行為をしたのでしょう。
・・・イエスから使命を受け入れていれば、ためらうことはなかった。その後、亜麻布を買いに走ったのです。
そして打ち合わせの通り、亜麻布で包み一旦、決められた場所に埋葬します。
マグダラのマリアが食い入るように見つめていました。
その二日後、夜間、人の目につかないように遺体を別の場所に移しました。)
*
もう一人、イエスはマグダラのマリアにも使命を与えました。
過ぎ越し祭の前日、逮捕され、裁判で死刑になり、磔になるだろうと予言しました。
そして、母マリアや12使徒達は神の子も、神の国も信じないが、3日後に復活した事を話せば、これから信心を持って布教活動をするだろう。
イエスはマグダラのマリアに、磔刑後その日の夕方までに私は近くの墓に埋葬されるだろう。
埋葬される所をよく見ておくように、と言いつけられました。
そして3日後、朝早くまた墓を見に来るように、・・・「私は復活し、預言が成就されます。」と言われた。
イエスは、「復活したらまず最初に、マグダラのマリア貴方に声をかける。」と約束され、復活を確認するように使命を与えられました。
(さて、4福音書ともマグダラのマリアが墓を見に行っています。ヨハネ福音書は、マグダラのマリアが一人で行っています。
その後、復活したとされるイエスの行動の記述は、4福音書は全て異なった内容になっています。
共通しているのは、身内・師弟関係のある弟子の近くにだけそっと現れています。)
最初に書かれたマルコ福音書を見てみましょう。
マグダラノマリアがイエスの墓を見に行った時の記述が、「墓の中に白い長い衣装を着た若者から、遺体のないことと、復活を告知された。」 とあります。
マグダラノマリアは帰る途中、特別なこともなく、”ただ恐ろしくて誰にも何も言わなかった” と書かれています。
・・・復活は信じられない話です、イエスに事前に聞かされていても、この辺が普通の解釈でしょう。
また、イエス復活の話を聞いても、他の弟子たちは信じなかった。・・・これも、自然です。
では何故イエスが復活したのか?
怖い思い、脳が経験したことのない初めての体験をすると、恐ろしい夢や、ストーリのない夢を見ます、子供は怖い体験後、夜中に夢でうなされます。熱を帯びた脳回路が混乱して乱れた電気信号が飛び交うためでしょうか?
当時の人々は、夜は怖い、恐ろしい時間帯だったと思いませんか。
暗闇になる夜の恐怖を克服したい一心で、夜空を調べ、星座を研究し、また夢を見る不思議を研究したのでしょう。
夢の内容を難しく話される預言者が崇拝された時代です。夢の内容は、現実に準じて重視されていたことと思います。
天使も悪魔も精霊も、神のお告げも、夢の中に出てきた話が大半ですから、誰でも夢の話を、見てきたように創作物語にまとめて話せばよいのです。事実を証明する必要はないのです。
夢の話を真剣に見てきたように説明すれば、信じて理解しようとする人と、しない人に分かれます。
話す人の人格と力量により信ぴょう性に差がありますが、ただそれだけのことでしょう。
あなたは、信じますか?信じませんか?・・・どこかで聞いた言葉です。
マグダラのマリアが、「イエスさまが復活されて、声をかけられた」と弟子たちにいえば、信者が見たなら弟子の私も見てなくては・・・調子を合わせてそんな人も出てくるでしょう。
復活したのなら、こそこそと身内だけに現れないで、何故ユダヤ教の神殿の前で第一声を上げなかったのでしょうか。
・・・復活劇は弟子の奮起を願った・・・ユダヤ教を悩める人に役立ててほしいと願っていたのでしょう。
復活は、弟子たちが信じてくれれば、イエスは救われる。・・・そう!イエスが救われたのです。
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