聖書を時々斜めに読んで約100日、宗教画と関連する部分を断片的に読んでいるので、全体像はまだはっきりしない。
イエスの活躍した時代(30年頃)を想像するには、・・・聖書ですか?
口伝を後に弟子が文書化した資料や、各地のイエス伝説を聞き取り、物語として書かれたのが貴重な資料のようです。
イエスの死後最初に発表されたパウロの書簡では、生前のイエスの話は書かれていないようです。
イエス死後20~40年後に最初の福音書(マルコの福音者)がまとめられ、その後マルコの福音書をベースにさらに時代が進んで20~40年後に書かれたであろうマタイ福音書、ルカ福音書があります。
一方、全体の流れに矛盾がないよう吟味されたヨハネ福音書も、イエスの死後約60年後の頃にまとめられたようです。
これらの資料には、出来事や話の内容が諸説書かれているので、当時のキリストの行動の記録・解釈を統一することはできず、新約聖書には教会で厳選された27の文書が収められています。
従って、これ以外の文書、福音書も存在するようです。
いずれにしても、当時の人々の苦労はとても想像できないが、ローマ帝国の支配下で大変な時代であったようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ1473年頃 「最後の晩餐」 イタリア ミラノ、サンタ・マリア・デル・グラツィエ教会食堂壁画 売店の画集より
あまりにも有名な「最後の晩餐」 ですが、登場人物の配置が長テーブルに一列とは演劇のようですね。
当時ユダヤ人の食事風景は、
足を洗い、幅広長椅子の台に3人位で肩肘ついて横になる。そんな台がテーブルを囲んでいる、上のような食事風景だったようです。
最後の晩餐の日時:過越(スギコシ)の祭り(エジプト時代、神が起こした事件)当日とする説、その前日とする説があります。
最後の晩餐の場所:エルサレム市内、神殿の南西部、シオンの丘、マルコの母の家の2階
先程のレオナルド「最後の晩餐」は、・・・保存状態が悪く、剥落が多くみられる作品で、何とかしなくてはと、作品を洗浄して余分な加筆部を落とし修復された結果、1999年に蘇りました。
イエスのこめかみに釘を打った跡がある(遠近法の消去点)とか、食事は羊でなくて魚だとか話題を提供しています。
書籍で公開されましたNHKのCG(コンピュータ・グラフィック)で、描かれた当時の再現版を見てみましょう。
「ダヴィンチ・コード」にもこの絵が登場しました。
イエスの右隣、画面に向かってイエスの左の人物はイエスの愛された人、定説はヨハネ、しかし、どう見ても女性にみえます! マグダラのマリアという説もあります。
ヨハネの福音書には、弟子ヨハネの名前が出てきません、「イエスに愛された弟子」が登場し、名前が特定されないのはどういう意味か? ヨハネはイエスに愛されたようですが・・・
どう思いますか?、裏切リ者とされるユダがその隣、一番弟子のペテロがイエスから3番目
この席順も謎を呼んでいます。作者、レオナルドの思惑は?
ペトロが右手にナイフを握りしめています。ユダは銀貨30枚の入った袋を握りしめています。
続いて、アンデレ、小ヤコブ、バルトロマイ(ナタエナル)が一番端。
イエスの左側は、大ヤコブがトマス、フィリポを抑えています。
そして、マタイ、タダイ、シモンのグループと各々3人セットの構図です。
ヨハネの福音書では、ユダの裏切りは、ユダにサタンが入ったからだという。
簡単に説明すれば、イエスは周りの者に「父のもとに行くべき時が来た」と自らの死を予告し、裏切者が出てくること、磔刑になるが、3日後に復活し預言の通りに成就することを話すが、弟子たちには理解されていなかったとあります。
ヨハネ13章21 ・・・「よくよくあなた方に言っておく。あなた方のうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」
22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互いに顔を見合わせた。
23 弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った。「だれのことをおっしゃたのか、知らせてくれ」。
「最後の晩餐」はこの瞬間をストップモーション、静止画にしている。
25 その弟子はそのままイエスの胸に寄りかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると。
26 イエスは答えられた。「わたしが一切れの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一切れの食物をひたして取り上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27 この一切れの食物を受けるやいなや、サタンがユダに入った。そこでイエスは彼に言われた。「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29 略
30 ユダは一切れの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
・・・・とにかく良くできた作品です。
このような福音書から真実を探そうとするのは無理があります、どう解釈しようかと努力する前に、作品がまとめられた時代背景、そして時の流れを考えると違って見えて来ると思います。
・・・信頼性がないとボツになった雑情報から、大きく違った展開を想像してみたいと思います・・・
ナザレのイエスと自称する人は存在したと思います。「神の子」発言をしました、そしてユダヤ教が見向きもしない弱者・罪人・女性に言葉をかけ、奇跡の業もされたようです。
しかし、弟子も12人となり、活動して1年も過ぎると、一部の弟子や信者から不満が出てきた。
イエスは「ユダヤの王」だという、王はダビデのように戦って自分たちの国を再興するだろうと期待して弟子になったのに、エルサレムには行かないし、戦う様子もない、期待外れだった。
ユダヤ教の布教では弱者の支持はあるものの、ユダヤ教の指導者、祭司達からも睨まれて、イエスを処刑しようとしていた。
展望が開けないと悟った賢いイエスは、「まだ時が来ていない」と話し動かないが、当然弟子たちは納得しない。
何とか名声を残す事ができないか・・・自分で予言をして、成就する、そしてやはり「神の子」と言わせようと考えるようになった。
そこで弟子たちに、「あなた方は私を何者だというのか」と聞くと、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
これを聞いたイエスは、ペトロを誉め、ペトロに天国の鍵を授けた。
そして、この時から自らの死と復活を預言し始めたとあります。
ヴァチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂内 聖ペトロ像
ペトロは哲学者の衣をまとい、大理石の司教座に座る。左手にイエスから受け取ったとされる天国の鍵を持っている。
弟子の中で神の国の話についてこられるのは、会計係もしていた優秀なユダだけであった。
そこでイエスはユダを呼び、秘密の特別の教えとして預言の内容と行動を具体的に説明した。
過越の日にエルサレムで最後となる晩餐をする。
その席上、弟子たちの前で、時は来た、この中で私を売り渡す者がいると予言する、・・・そしてユダ、あなたを指名するので、祭司達の所に行きイエスを引き渡しますと言って兵隊を連れて来なさいと役目を与えた。
晩餐後は、夜になるが皆と近くのオリーブ山の麓のゲッセマネの園にいるから・・・そこに連れてきなさい・・・と。
(明りのない真夜中に、山裾で静かに寝ていた弟子たち、・・・事前の打合せがなければ、イエスは見つからないでしょう)
その後のことは心配しなくて良い、裁判にかけられ磔刑になるが、三日後に復活する手はずになっていると説明した。
そして最後の晩餐が始まり、イエスが言う「あなた方のうちの一人が、私を引き渡そうとしている。」
・・・
更にイエスは、パンをユダに渡すと、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と告げた。
レオナルドの最後の晩餐、・・・ナイフを持ったペトロは、”裏切り者は誰だ!” 他の弟子たちも誰ですか? ユダが何をするのですか?・・・とはならずに、弟子たちはあまり関心を持たなかったのでしょう。
その後、ゲッセマネで弟子たちは起きていなさいと言われても寝てしまいましたとあります。
キリストは、多分筋書き通りにうまくいく・・・そして死んだ後に名声が残るのを期待したのでしょう。
・・・神の子は復活して・・・すべての預言は成就される・・・、イエスは、まさに救世主・メシアとなり永遠にあなた方を見守ることができることを発見したのでしょう。
・・・復活の役目は誰に・・・
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