今回は、「河川の探検隊」の構成や、仕組みを知りたくて参加しました。
結果、見たくもないものを、見ざるを得なかった切ない感じです。
弥富川の最上流部には、大規模な残土・産廃地が、本来の谷津田であった箇所に
大きな山になってのし上がっていました。周囲は雑草と灌木が入り乱れて、どうしようもない荒れ地です。
でも、驚きました。そのすぐ横の、斜面林(里山)に、何と老人用の大規模なケアセンターが立てられておりました。
どう見ても、この場所にケアセンターを作るという意志が、どのようにして生じたかが計画を立てた方々が、この場所をどのような観点で見て、ここに決められたのか。まさか、現場を見ずして、里山と谷津田と弥富川がある場所だから、
すばらしい景観のある箇所として考え、現場を見ないで決められたことなのか。
あるいは地価が安いから、施設設置への反対者がいなかったから?
地域の方々への、結果として安易な、また短期的な見通しによる施策が重なって
それぞれは、それなりに意味のある重要な施策結果が、最終的には、さらに事態を
どんどん悪化させてしまう。
ケアセンターに入居した老人方は、人里から離された場所にある
誰も立ち寄れない雰囲気の残土・産廃廃棄箇所の真ん前に建てられている。
とても、人ごとでない残念なイメージが焼き付きました。
人が喜んで住めるような箇所ではなく、行く末の哀しい現実を垣間見てしまいました。
日本のこれからを垣間見たような、水草の調査(探検)に参加したつもりが、結果として
「楢山節考」を連想してしまう羽目に陥ってしまいました。
さらに、少し下った所では、神社があって、先年焼けてしまったらしいのですが、毎年9月にあるお祭りが行われます。と言うところをテブラで、「行われていました」と過去形に書き換えてあったと、同行者がぽつりと言っていました。
景観を喪失し、地価が下落し、所得得る方法を喪失しどんどん人が住めなくなって、無人となったの里山を連想してしまいます。
地域のゴーストタウン化が進んでいるとしか言いようがないのかも知れません