よく訪れる仕事先の近くで、たびたび見かける光景がありました。中腰になった男性が支えているのは、もう自力では歩けなくなった柴犬。背中はネコのように丸くなり、顔は怯えたときのしっぽのように、胸の間にうずもれ、4本の脚はいずれもしっかりと地に着いていません。それでも飼い主さんはハーネスをつけた胴を支えながら、一歩一歩、何とか歩かせてあげています。
私が見かけるのは、お昼休みの時間帯であったり、夕方の早い時間であったり。横を通り過ぎて行くたびに、飼い主さんに応えようとするその犬の、切ないまでの思いが感じられ、心の中で「頑張れ、頑張れ」と言いながら、泣いてしまう。
今日、久々にその仕事先でお昼休みを迎えることになり、私はいつもしているように緑道のベンチで、風を感じながら一人でランチを取りました。このままどこかに行ってしまいたくなるほど、気持ちのいい昼さがり。食事を終え、会社に向かってぶらぶら歩いているとき、視線の先にいたのです、あの飼い主さんとワンコが…。
私は近寄って、思わず犬の歳を聞いてしまいました。長い髪を後ろで束ねた、30代くらいの飼い主の男性が「20歳です」と答えました。「まあ、えらい。よくやっていますね、飼い主さん」と叫ぶように言ってしまいました。
男性は「よかったね、ぴーちゃん。えらいって」と言って、その犬、ぴーちゃんの頭をなでました。私は触ってもいいか尋ね、そおっと背中や脇を手の甲でなで、大腿部などにも触ってみました。どこもだいぶ強張っていました。
目は白内障でほとんど見えないかもしれないし、耳も遠いとのこと。そうでしょうよ、だってもう20歳なんだもの。私が直接触れたことのあるワンちゃんの中では最高齢です。
それから、しばらくお話をしたのですが、飼い主さんはぴーちゃんが若いころから、ずっとマッサージやストレッチをしてあげていたとのこと。ネコが伸びをしているのを見て、きっと気持ちがいいのだろうと思ってストレッチを取り入れ、マッサージも頻繁にしてあげているとのことでした。
本当に、飼い主さんの手こそ、犬の健康を支える魔法の手ですね。
「きっとそのおかげで、ぴーちゃんはこんなに長生きなんですね。えらいなあ、飼い主さん」と私が言うと、「えらいのはこの子です。いつもいろいろなことを教えてくれてきたから」だって。くぅぅ~、泣ける!
それから、犬の介護用品の話になりました。ぴーちゃんにもさまざまなグッズを、通販で取り寄せては試したそうです。もちろん歩行を補助するベルトも何種類も。完全に吊り下げるタイプだと、ぴーちゃんが丸まってしまって歩けなくなったり、胴回りにシワが寄ったり、不安定につれてしまったり…。結局、ハーネスと手で支えて歩かせる方法が、ぴーちゃんには一番合っているとの結論に達したそうです。
最近、読んだ角川SSC新書・中塚圭子著『犬の老いじたく』にも、「高齢犬の介護用品は数々出ているけれど、そのほとんどが人間用の転用で、それ自体はいいとしても、ただ小売店のニーズに答えているだけで、それを使う老犬の暮らしを研究しているかというと疑問だ。結局、老犬の実体をしっかり把握しているつくり手があまりにも少ないのが現状」と、書いてありました。ぴーちゃんの飼い主さんの結論も、ここにあるのでしょう。
ぴーちゃんは食欲はあるそうですが、一度に食べると吐いてしまうので、2時間ごとに少量ずつを食べさせてあげているとのこと。欲しがって要求吠えをするのだそうです。「夜中もそうなので、疲れます」と言っていましたが、その言い方にはまったく大変そうなニュアンスがありませんでした。
「食べたい」と言ってくれるだけ、生きようとする力があるのだと思います。たとえ、それが飼い主にとっては受け入れ難いボケの症状だとしても、いずれ食べられなくなってしまう日が来るのだもの。
多分、ぴーちゃんの飼い主さんもそれが分っているから、2時間置きの食事を厭わずに続けられるのだと思います。
飼い主さんはぴーちゃんのしっぽには触ったことがないと言うので、自分の高齢犬の話を例に出し、しっぽを握ってあげる方法を話してあげると、やってみると言っていました。 「この体勢だとこっちの腰が痛くなるんですよ」という飼い主さんに、自分の腰もいたわるよう告げ、仕事に戻りました。
ぴーちゃんを介助している飼い主さんの様子は、傍目には大変そうだけど、2人はお互いに、かけがえのない濃密な時間を過ごしているのだなと思いました。