「カメを噛め-クサガメ手強し」
by 洲澤育範
谷川健一氏の著作に『日本の地名』という本がある。僕の暮らす田舎町には、この本に紹介される村が、北浦の山並みを縫う「えき(本谷筋から派生した小谷筋)」にある。里山の原風景を今に残す小さな集落だ。
その集落に暮らす老人が、冬眠前のクサガメはうまいぜよと教えてくれた。話しをうかがうと、食物が乏しいからというわけでもなく、うまいから喰ったようだ。
以来、僕の胃袋のヒダに「クサガメうまい」の思いがすりこまれた。
ある年、冬の到来が早かった。僕たちはカヤックで海に出る準備をしていたが、強く冷たい北西の風に天候は荒れた。やむなくお茶でも飲み、今日は解散しましょう、なんて話していたら、携帯が鳴った。
「でかいクサガメ捕まえたけ食べようや」「お~仕事ながれたけぇ、持ってこいや」その日のツアー客は物好きばかりだったのか、誰一人帰らず、クサガメを待った。
大出刃の刃を研ぎ、ブリキの薪スーブに火をおこし、たぶんクサガメ臭かろうとショウガとニンニクと唐辛子を準備した。
強く冷たい北西の風のなか、でかいクサガメを下げた男がやってきた。彼は北浦の海に突き出した半島の突端で暮らしており、その集落でもクサガメを食べる習慣があったようだ。
塩と酒でクサガメの成仏を願い、大出刃を取り出した。
たしかにクサガメ臭いし、つるつるとすべる。スッポンと同じだろうと、甲羅と脇のあいだに出刃を落としたが、刃がたたない。それじゃ首を落とそうとしたが皮膚が硬く、やっぱり刃がたたない。
鉈を取り出し、脇めがけて振り下ろすが、つるりとすべる。今度は二人がかりで、一人は鉈をあてがい、一人は鉈の峰をめがけ金槌を振り下ろした。
てなことを一時間ばかりやって、ようやくクサガメは食材に姿を変えた。クサガメは卵を抱いていた。それはちょうど鶏の金管のようだった。捨てたのは上と下の甲羅。頭は地に還した。しかし、手間と個体の大きさにくらべ、食べられるところが少ない。両の手のひら軽く一盛りだった。
ほんじゃ食べようかと薪ストーブに中華鍋をおき、胡麻油を落とした。胡麻油がゆらゆらとしたところで、バラバラになったクサガメを放り込んだ。あれれれれ。??????。誰もがあの沸き立つクサガメの臭い匂いを予想したと思うが、胡麻油と肉が焦げる香ばしい匂いだけだ。
とりあえず塩を振り、小さな肉片を口に入れた。「臭くない…。あーっ、うまい!」。10人近くいた全員の口にはとてもまわりそうにないので、塩、胡椒のスープ仕立てにした。
これがまた、あなた、いやはや、なんとも滋味深い上品なスープとなった。肉の食感といい味といい、生後1年程度の雄の地鶏を力強くした感じだ。
その日の結論、「クサガメはスープに限る!」。また「クサガメを辿れば谷川氏の足跡も辿れる」かも? だった。
おそまつでした。