寝姿といっても、色っぽい話じゃありません。
トチはもう耳が聞こえないので、私が帰宅しても迎えに出て来ないこともあるし、別の部屋で寝ていると呼んでも気付かないので、ときどき探しに行ったり(そんなに広いうちじゃないけれど)します。
あまりに熟睡していると、揺すってもすぐには起きず、死んでしまったのかと思うこともしばしば。寝姿そのものが、遺体みたいなんだもの。おなかがたぷついているので、呼吸もしているんだか?という状態。慌てて「あああ、トチーッ!」などと叫んで揺すると、はらっと目を開け、迷惑そうに「何?」という顔をする。
でも、知らぬ間に(というのもちょっと淋しいかも知れないけど)、ひっそり息を引き取ったとしても、いいかなとも思います。長い闘病生活で苦しい思いをしたり、入院しっぱなしで懐かしい布団の匂いも嗅げずに逝くのなら、今のように特にどこか痛いとか、悪いとか、そんな状態ではなく、寝入っている間に静かに心臓が動きを止めても、トチにとったら、使い古した肉体から離れただけということになるのかも…。
な~んて、まだトチが健やかそうだから言えるでしょうね、きっと。
ブナの姉妹犬ほたるのうちを訪ねたとき、飼い主の清美さんが「(カヌーイストの)野田知佑さんは、愛犬ガクの亡骸を自分で捌いて、ガクの毛皮でベストを作ったというけれど、ノエルやほたるの毛皮で作ったベストを私が着てたら、どう?」なんてことを言い出したので、愛犬の死について、というより、事後処理について、たった二人ながら騒然となったのでした。
ガクは日本初のカヌー犬として、14年にわたって野田さんと行動を共にした犬です。野田さんにしたら「愛犬」などという甘っちょろい関係じゃなかったのだろうと思います。ガクの毛皮を自らなめし、肌身離さず着用しているんだもの。
清美さんも私も、毛皮は残したいかも? でも、自分で捌くなんてできない。いや、やっぱり自然に還したほうが…。でも、何か残しておきたい。いやいや、そこまで執着するのはどうか…、などなど、ああだこうだ言い合ったものの、結局、何にも答えは出ませんでした。
妹にもその話をしたら、「あまご(数年前に急逝した、彼女がとても可愛がっていた猫)なら、襟巻にして身につけたいと思うけど、自分で亡骸を処理することはできないな」と申しておりました。そうだよなぁ。