十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

わかり易さの罠

2020-12-16 05:00:00 | 投稿

 

令和2年11月26日、NHKラジオ「朝イチ真剣勝負!」で、ニュースキャスター大越健介氏が、“わかり易さの罠”について、次のことを言っていた。

『わかり易さの罠とは、私たちは難しいことを行なうのが苦手で、あまり考えることをしないので、そこに罠に陥る可能性があります。夫婦にしてもお互いによく理解しようとせず、反対の方向にいってしまうのではないでしょうか。また、他人のことをすべて理解しようとするところに無理があります。』と言っていた。

相手の立場に立って理解しようとする努力を欠き、自分優先になりがちだということだろうか。今年12月6日に放映されたNHK総合テレビで、ドキュメンタリー米中の対立”新たな冷戦の時代”でも、同じようなことを言っていた。番組では、セルビアの首都であるベオグラードやボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992年~1995年)で有名なサラエボのことも話していた。

サラエボといえば、ボスニア・ヘルツェゴビナで最大の人口を持つ都市で、第一次大戦の引き金となったサラエボ事件のほか、1984年に開催された冬期オリンピックサラエボ大会のことが記憶に残っている。

スピードスケート500mで、黒岩選手が期待に反して10位となり入賞出来なかったが、その後に滑ったすい星のごとく現われた北沢選手(法大、釧路市出身)が2位に入って、国民を驚かせたのを覚えている。来年の東京オリンピックの開催が危ぶまれているが、どちらにせよ新型コロナ禍が早く終息してほしい。

また大越キャスターは、池上彰アナウンサーが11年間担当していた“週間子供ニュース”が分かり易いのでいつも見ていたそうである。子供ニュースは、子供向けに分かり易く説明するため大人にも人気のある番組で、アナウンサーはわかり易く、視聴者の立場に立って話すことが大切である。人の立場に立つことは本当に難しいことであるが、近づく努力は欠かせない。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争

19923月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に勃発した,国内に居住するムスリム (スラブ人のイスラム教徒)セルビア人クロアチア人3民族による武力衝突。

独立に賛成するムスリム、クロアチア人勢力と反対するセルビア人勢力とが衝突したが、しだいにムスリムとクロアチア人勢力の対立も生じ、三つ巴の内戦となった。セルビア人勢力はボスニア・セルビア人共和国を、クロアチア人勢力はヘルツェグ・ボスナ・クロアチア人共和国をそれぞれ樹立し、3勢力が「民族浄化」の名のもとで他民族の追放、虐殺を行なうなど凄惨な戦いが続いた。

ヨーロッパ共同体 EC (1993 11月以降ヨーロッパ連合 EU) と国際連合が仲介にあたり,国連保護軍 が派遣され、3勢力に対し4度にわたって和平案を提示したが、3勢力すべての同意を得ることはできなかった。政治的解決は困難をきわめ,19958月末,セルビア人勢力に対する北大西洋条約機構 NATO軍の空爆が実施され、セルビア人勢力は大きな打撃を被った。

死者 20万人,難民 250万人を出した末、1995 11月アメリカ合衆国の主導で紛争3当事国の代表がアメリカのデートンの空軍基地に集まり、デートン和平合意が成立した。

これにより,国連と多国籍軍の監視のもとで,ムスリムとクロアチア人の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」 (領土の 51%を管轄) とセルビア人の「セルビア人共和国」 (領土の 49%を管轄) 2政体からなる一つの主権国家を目指すことになった。

最高意思決定機関は定数3の幹部会 で,連邦から2人,共和国から1人が選出される。幹部会議長 (国家元首) には,3人が8ヵ月交替で就任する。ボスニア・ヘルツェゴビナの和平プロセスは,民生面で和平実施を統括する機関として和平実施会議 PICと、軍事面での和平安定化部隊 を中心として進められた。デートン和平合意に基づき、二つの政体にまたがる中央議会も設置された。

(出典:ブリタニカ国際大百科事典より抜粋)

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ゴミ処理場(中間処理場)

2020-12-15 05:00:00 | 投稿

 

北海道の十勝で、約300億円のゴミ処理場建設計画が進んでいます。十勝の人口は34万人余りですから、東京都にすれば、13千億円の大プロジェクトであります。そんな大プロジェクトなのに、いとも簡単に計画が進められようとしています。

 

一部の人びとしか明確に反対していませんので、行政に対しても十勝人に対しても、あまりにも無責任で呆れて何も言えません。なぜなら地球はいま、ご存知の通り「地球温暖化」で大変なことになっているからです。

 

ゴミ処理は燃やすのが基本ですから、地球温暖化を一層促進するようなゴミ処理場は作るべきではありません。ゴミを燃やすのではなく、生ごみをたい肥にするとか再利用すべきです。

同じ予算がかかるのなら大きなゴミ処理場を作るのではなく、ゴミの発生を少なくするような「教育」にお金を回すべきです。1215日、このゴミ処理場に関して「住民説明会」があるので、以下の質問をする予定です。

【質問項目】

①帯広市の燃えるゴミ袋に係る他地域との価格差

②建設予算額の比較

(各対象メーカー、処理能力、ランニングコストの比較など)

③建設予定場所について

(A地点とC~F地点の違い、C地点が一番安全であるという根拠)

④新聞によれば、「安全、環境、コスト面から、C地点が最も効率的である」と記載されていますが、その比較した検討資料の明示 など

 

秋田市新屋に配備予定だったイージス・アショアが、防衛省のデータ捏造などを理に、配備計画が撤回されました。新しいゴミ処理場は、十勝人一人当たり10万円という多額な予算(税金)が投入される予定であり、綿密なチェックが必要と思います。様々な要因で経済性が良くない計画であれば、イージス・アショア計画と同じく再考する必要があります。

 

帯広市では、クールチョイス、即ち、賢い選択を推奨しています。ゴミ処理場の建設計画は、予算額などから見てクールチョイスだとは思われません。また、帯広市のホームページには、「環境にやさしいまち」と書かれていましたが、このまま計画が進められるようであれば、環境にやさしい町という表現は削除すべきだといます。

なお、横浜市在住の「あやめさん」のブログによりますと、帯広市は実質的に、日本一「ゴミ袋が高い町」のようです。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 地球温暖化

地球温暖化とは、地球の気候系の平均気温が長期的に上昇することである。これは気候変動の主要な側面であり、気温の直接測定や、温暖化の様々な影響の測定によって実証されている。気候変動とは、地球温暖化とその影響(降水量の変化など)の両方を含むものである[7]。地球温暖化は有史以前からあったが、20世紀半ば以降の変化はかつてないほどの速度と規模で推移している。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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ひとりぼっちのつばめ

2020-12-14 05:00:00 | 投稿

ひとりぼっちのつばめ

十一月六日の朝
街の中の電線にわたしは
一羽のつばめを発見しました。
陽は高く昇りながら
空気の冷たい朝でした。

つばめだとわかったのは
椋鳥の群がきてそれを追い払った時です。
ひぇびぇとした空気の中を
飛び立った姿は
まちがいなくつばめでした。

夏の頃の敏捷さはなく
気のせいか
なんだか弱々しい飛び方でしたが
椋鳥に追われて
空の彼方へ飛んでゆきました。

仲間の群から外れて
南へ帰りそびれたつばめでしょう。
ここは間もなく
冷たいカラッ風が吹くから
つばめの冬越しはできません。

海を渡って仲問のところへ
飛んでゆく力がないならば
少しでもあったかい
南の方へ飛んでゆくがいい
あったかいところで
来春、仲間のくるのを
じっと待つがいい

椋鳥よ、
多勢を頼んで
ひとりぼっちの
つばめをいじめないでくれ
ひとりぼっちのつばめは
お前達にいじめられても
声も出さずに逃げたじやないか
「お父さん!! お母さん!!」
と、声を出しても
飛んできてくれる
親がいないからです。

どんなにいじめられても
どんなにつらくても
親のない子は
声を出しては泣かないそうです。

声を出せないのじゃない
出しても空しいからです。
どんなに泣き叫んでも
だれもきてはくれないからです。
声をだして泣ける子はしあわせなんです。

椋鳥達に追われた
ひとりぼっちのつばめは
泣き声も出さずに
冷たい空の彼方へ飛んでゆきました。
声は出さないけれど
つぼめは泣いていたのです。

声を出さずに
小さなからだをふるわせながら
泣いて行ったのです。

相田みつを

 

人間の生きる哀しみ弱さをそっと包んでくれるような書、
私の人生に役に立っています。     会員C

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よみがえる酪農のまち

2020-12-13 05:00:00 | 投稿

 

酪農大学名誉教授 荒木和秋著 “よみがえる酪農のまち”の紹介。この本には、放牧酪農経営のことが書かれていたので、大変参考になった。

 

『本書作は、20年にわたる壮大な農家群による「社会実験」の記録である。自然科学分野では実証実験の記録の成功は、再実験によって有効が証明されるが、社会科学の場合は長い時間と多数の農業者を対象とするため簡単にはいかない。足寄町の事例は、既存の農家グループによる集約放牧事業の導入による経営実験と新規就農者による再実験というべきもので、見事に放牧経営、定置放牧の効果が実証されたことは、日本の農村社会において極めて稀な事例である。

この「実験」の成功は、集約放牧と定置放牧の経済的有効性が示されたことで、日本における放牧の普及の可能性を示すものである。現在の日本における酪農の経営方式は、重装備の施設、機械と輸入穀物を使った高泌乳牛酪農が展開している。この経営方式は、アメリカの飼養管理技術を導入した工場型畜産で、北海道においてもその傾向を強めている。

しかし、これまでの規模拡大による多額投資、輸入穀物による高泌乳牛酪農の追及は、国際競争力の低下のみならず、家族労働に過重労働を強い、乳牛の疾病増加、農地の許容能力を超えた糞尿の投入による環境問題、等を引き起こしている。

また、より深刻な問題は、過重労働や嫁不足などによる後継者の離脱で離農が増加し、農村の衰退が深刻化していることである。時あたかも2020年の春は、世界中が新型コロナウイルスの蔓延で大混乱に陥り、社会・経済システムの大転換が予想され、酪農生産のあり方も問われている。 (後略)』

私の従兄も農地130ヘクタールを持ち、牛500頭(乳牛250頭、肉牛250頭)の酪農をしており他人ごとではない。十勝の農家戸数は、既述の理由などから5分の一に減って約5,000戸であり、日本の食料基地と言われる十勝であるから、地球温暖化と共に、何とかしなきゃと思う。参考までに、宮崎県と全国町村会のホームページに書かれていたものを載せよう。

【宮崎県ホームページより】 『平成22年に本県で発生した口蹄疫では、29万7,808頭もの家畜の尊い命が犠牲となり、畜産業のみならず、地域経済や県民生活に甚大な影響を及ぼしました。その発生から、今日4月20日で10年となります。当時は次々と感染が拡大し、都道府県で初となる「非常事態宣言」を行うほど困難な事態に直面することとなりました。そのような厳しい状況の中、全国から温かい支援をいただきながら、生産者のみならず、県民総力戦で、見えないウイルスの封じ込めや感染の拡大防止に取り組み、8月の終息宣言を迎えることができました。(中略)

あれから10年。奇しくも私たちは、再び見えないウイルスとの戦いに直面しております。現在、世界的に猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症について、本県では、人の往来が多い4月を「感染拡大防止強化月間」と位置づけ、感染対策の徹底に努めてまいりました。これまで感染集団(クラスター)の発生や経路が不明な感染までは確認されておらず、市中感染が広がる状況にまでは至っておりませんが、感染が拡大している地域を訪れた方やその接触者など17名の感染者が確認され、予断を許さない状況にあります。

【全国町村会ホームページの佐呂間町長の言葉)

『本町の歴史は、明治27年にアイヌの人達が住んでいたこの地に半農・半漁を営むべく、青森より和人が定住したときから始まった。

現在、農業は年間を通して安定した収入が得られる酪農が中核となっており、乳牛約10,600頭、肉用牛約11,000頭が飼育されている。

昨年の9月11日、ニューヨークの貿易センタービルがテロリストによって破壊され、世界中を震撼させた翌日、新たに衝撃的なニュースが突然、我が町に飛び込んで来た。佐呂間町生まれの牛が、千葉県において牛海綿状脳症(BSE)の疑いがあり、精密検査をしているので調査に協力して欲しい旨の連絡が家畜保健所を通して入った。その時、すでに報道機関では、天下の一大事とも思えるような取材活動が始まっていた。

私は今、町長職として4期目、13年間務めているが、元来は経済動物を主体として診療していた獣医師であったこともあり、BSEの恐ろしさは充分に認識していたが、大変な事態が起きたことに対する心配とある面では、とうとう来るべきものが来てしまったのかとの思いが脳裏をよぎった。

思えば一昨年の3月、宮崎県に、5月には北海道の本別町に、牛の口蹄疫の発生をみた。その時日本の畜産界は大きなショックを受けたが、幸いにも迅速にして適切な対応によって広範囲への蔓延を防げたことは、他国で発生した時に比べると、被害はまさに奇跡的とも思える程、最小限であった。

しかし、その原因は未だ明らかではなく、中国、または台湾から輸入した稲ワラか麦ワラに口蹄疫のウイルスが付いて来たと言う説が主流となっている。

さて、今回のBSEの問題については、昨年の10月18日以降は、と畜場において全頭検査がなされ、全く安全な牛肉が市場に出回っているにもかかわらず、消費の方が遅々として伸びず、いつになったら発生前の状態に戻るのか予測のつかない現状にある。BSEの問題は想像をはるかに超える大きな被害が全国的に広がってしまった。そしてBSEに感染した牛が出た町村においてはあらゆる風評被害が出て、他の産業にも大きな影響を及ぼしていることも事実である。

今の日本の畜産における飼料の大半は諸外国からの輸入に依存しているのが現状である。食糧にしても家畜の飼料にしても、安全性を最も重要視しなければならないにもかかわらず、収益性のみを追求してきた結果がこのような事態を招いたものと思う。更に、過去において使用されていた牛用の配合飼料や代用乳には、BSEに感染していた疑いのある牛や羊の肉骨粉が使われていたと言う。このことは本来、牛は草食動物であるにもかかわらず仲間の肉骨粉を知らずに食べさせられ、いわゆる共食いを強いらされていたのであり、この行動は神様が自然界で生きる動物に対して定めた掟を冒したことになるのである。

したがって、今回のBSEの発病は物言えぬ動物が自らを犠牲にして、我々人間に警鐘を鳴らしたものと受け止めなければならないのであろう。日本の食糧自給率は、カロリーベースで40%と世界の先進国では最低のランクである。故に、少しでも安価な食糧を輸入しなければならない国情は理解できるが、神の掟を無視することは人間のエゴそのものである。

(中略)

古い中国の仏教書の中に身土不二(体と土は1つ・人間は足で歩ける身近なところで育った物を食べ生活することが良いの意)の悟りがある。BSEの発生により地産地消への再認識が高まることを期待し、また努力して行きたい。』

現在、新型コロナで世界中が大混乱しているが、今年の10月に開催された「北海道肉牛シンポジウム」でも、牛の口蹄疫などの伝染病がテーマになった。口蹄疫は口蹄疫ウイルスが原因で、偶蹄類の家畜(牛、豚、山羊、めん羊など)や野生動物(ラクダやシカなど)がかかる病気である。

 

酪農家にとって口蹄疫は、新型コロナ以上に恐ろしい病気で、一刻も早いワクチンなどの開発が待たれるところである。また、九州の宮崎県では、鳥インフルエンザウイルスが発生して、養鶏業者は大変なことになっているらしい。人類と新型コロナウイルスとの闘いは、まだまだ続く見通しである。

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カラスと赤ん坊 (読み聞かせ)

2020-12-12 05:00:00 | 投稿

萱野 茂著「アイヌと神々の物語」より

私は母に育てられていた一人の少年でありました。二人が暮らしている家は小さな家で、少し勤くと、体が家からはみ出るぐらいの広さです。
そのような小さな家に暮らしていながら、母は私を本当に大事に育ててくれて、私は何不自由なく大きくなり、今では一人前の若者になりました。
小さな時から母は私に、ウサギの捕り方やキッネの捕り方などをいろいろと教えてくれていたので、今では、シカやクマも、たくさん捕ってくることができて、食べることにはまったく困らないで暮らしていました。
 子どもの時から私を大切に育ててくれた母なので、母へは特別おいしい肉などを食べさせ、不自由をさせないようにしていましたが、私たちの家のほかには、家が一軒もありません。したがって、母のほかには人間を見たこともないので、それだけは寂しく思いながら暮らしていました。
 母とたった二人きりの暮らしでしたが。毎日毎日狩りのために山へ行っていたある日のこと、いつもと同じように狩りに行き、家へ帰ってきました。そのようなことをしたことのない私であったのに、その日に限り、足音を忍ばせ、そっと家に近づきました。
 家の中から母の声が聞こえているので、背中の荷物を音のしないようにそっと下ろし、こっそり立ち聞きをしました。声の様子では、母は囲炉裏に向かって火をたきつけようとしても、火が思うように燃えないので、胸いっぱいに息を`吸い、火を吹いているらしいのです。やがて母が、
 「パックルタサプ プー、イソンカシパプー、チナナイネ プー、チテケカ プー、オケムヤラケ プー(カラスと取り替えた者 ブー 狩りが上手すぎて プー、 私は皮張りばかり プー、 私の手がプー、針で破れ プー)」
と言いながら火を吹いているのが聞こえました。
 それを聞いた私は、驚きのあまり声も出ませんでした。今が今まで人間が私を育ててくれていたと思ったのに、母は人間ではなく、カラスであったらしいのです。
腹を立てた私は家の中へ飛びこみ、母と思っていた女の髪の毛を手に巻きつけて、
「今何をいった。もう一度いって聞かせろ」
 と言いながら、大地へたたきつけました。
 そうすると女がいったのは、
 「いってはならないと思っていましたが、神が私に罰を与え。自分の口から出てしまいました。ずうっと昔に、ウバユリを掘る季節に山へ行くと、あなたは生まれて間もない赤ん坊で、子守用のシンタ(揺すり台)に入れられ、三脚から下げられていました。
あなたの母はウバユリを引き抜いては、葉のついたまま、あなたを入れてあるシンクの前へ運び集めていました。あなたの母の考えは、たくさん集めてから、一か所に座って、子どもを見ながら葉を切るつもりであったのでしょう。
その様子を見ていた私は、あなたの顔があまりにも美しいので、急に欲しくなり、私の子ガラスをシンクへ入れてあなたを盗み、ここへ連れてきて、今まで育てていたのです。アイヌの神があなたを守ってくれたらしく、こんなに立派な男に成長されて、私を大事にしてくれていたのです。
しかし、私の悪事を神が許すはずはなく、自分の口から白状してしまったわけですが、こうなったら、殺されようがどうされようが、仕方ありません」
と言つたかと思うと、一羽のカラスになりました。その姿を見ると、毛は抜け落ち、あちこちがはげてしまい、自分の力で飛べるような姿ではない、哀れな年寄りカラスです。それも、くちばしの太い、シエパシクル(くそ食いカラス)でした。
それを見た私は、人間として生まれながらこんなものに育てられていたかと思うと、腹が立って、二度三度と大地へたたきつけると、ガラスは声も出さずに死んでしまいました。
 急に一人になり、寂しくなった私は泣きながら早々と寝ましたが、目がさえてなかなか眠れませんでした。眠ろうとも思わなかったのに、いつの間にやら眠ってしまうと、今日まで母と思っていたあの女が夢に出てきていうことには、
 「あなたを盗み育てたことは本当に悪かった。神でも人間でも、死んでから神の国へ帰るのには、お土産物がなければ神の国へ帰れないのです。悪さをしたあと勝手なことをいって申しわけないけれど、明日になったら一つまみのヒエと、粗末なイナウ(木を削って作った御幣)でいいから私にください。それを持って神の国へ帰り、神の国からあなたを守って一生幸せな人間にしてあげます。
それと、これからあとも、何かの祝いごとがあったあとで、いちばんおしまいに粗末なイナウと酒の搾りかすを私に贈ってください。それだけでも育てた息子からの贈り物として、私は食べたり飲んだりしたいものです。どんな悪い神でも扱い方で役に立つものですから」
という夢を見ました。

次の朝早く起きた私は、夢のことを思い出し、私を盗み育てた悪い神であっても仕方ないと思い、半分は悪口をいいながらではありましたが、カラスの死体に粗末なイナウと一つまみのヒエを添えて外の祭壇のかたわらへ置き、これらをお土産に神の国へ帰るようにといいました。
それともう一つ夢で教えられたとおりに、本当の父や母がいるコタン(村)を目ざして川を下りました。しばらく行くと、大勢の人がいるコタンへ着き、コタンの中ほどに島ほどもある大きい家があったので、その家の前に立って、「エヘン、エヘン」とせきばらいをしました。
 私の声を聞いて、一人の女が家の中から出てきて、「どうぞお入りください」と言ってくれました。私は静かに家に入っていき、左座の方へ座り辺りを見ると、家の中では老人夫婦にその息子や娘らしい人たちと、小さい子どもも大勢います。
私はその家の主らしい老人に丁寧にあいさつをすると、老人も私にあいさつを返してくれながら、
 「あなたはどちらから来られた若者ですか」
と私に聞きました。そこで私は、昨日までの出来事を事細かにいいはじめると、全部聞き終わらないうちに、
 「それなら私たちの子どもだ」
 と泣きながら私に飛びついてきました。そして、代わる代わるいうことには、「その昔にウバユリを掘りに行き、お前をジンクへ入れて三脚から下げ、夕方までにたくさんのウバユリを掘って家へ帰ってきました。
家へ帰ってきてジンクをほどいてみると、そこから一羽のカラスが出てきて、初めてすり替えられたことに気づき、カラスはたたき殺してしまいました。次の日から毎日毎日、何か月も何年もの間お前を捜したが、とうとう見つけることができず、今になってしまったのです」
 父や母は同じ言葉を奪い合うようにして聞かせてくれながら、私を抱きしめ涙を流します。化け物カラスが隠したので、人間の目では見えなかったのでしょうと、何度も何度も泣きながら喜んでくれました。
 「どこかで生きていてくれるようにと、山の神々にお願いしていたが、こうして息子が生きて帰ったのを見ると、私どもの願いを神が聞きとどけてくださったのだろう。改めて神々に感謝の祈りをしよう」と父はいいました。
聞くと私がいちばん最初の子どもで、それが盗まれてしまい、あとから生まれてきた弟や妹たちも一人前の若者になり、父たちと一緒に暮らしていたのです。私か来てから、普通のの人より狩りが上手な私は、毎日毎日山へ行き、シカやクマをたくさん捕ってきては、父たちに食べさせていました。
父は私を長男として迎えてくれ、神々への祈りの言葉や大事なことを次々と教えてくれましたので、私は本物の人間の男として一人前になりました。そこで、コタンのいちばんのいい娘をお嫁にもらい、たくさんの子どもも生まれ、家族中本当に幸せに暮らしていました。そのうちに父や母も年を取って亡くなり、弟や妹たちも、それぞれ嫁をもらい、あるいは嫁に行き、仲よく暮らしています。
 と、いうわけで、私は子どもの時にカラスに盗まれて育ちましたが、それによって運が悪くもならず、このように何不自由なく、何を欲しいとも何を食べたいとも思わないほどの物持ちになりました。
 けれども、今いるアイヌよ、子どもを山へ連れていっても、うかうか目を離すといろいろな化け物がいて、さらわれることがあるものだから、油断してはいけません、と一人のアイヌが語りながら世を去りました。
               語り手平取町去場 鍋沢さだ  
                (昭和36年9月30口採録)

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