★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

目に見えないものを追う

2013-10-24 | 日記


みなさま、こんにちはtomoです


「愛」という言葉は私はこそばゆい気がしてしまいます。

多分、日本人はという言葉を
日常的に使う文化でなかったからかもしれません。

いまどきの若者は歌や日常でを使っているようですが・・・

なんとなく、うわべのわざとらしい感じがしてしまうのは
何故でしょうか・・・

そこのあたりは、日本人なので言葉だけでは表さない
深みを私は感じたいほうなのかもしれません。

でも、普段の私はどちらかというと
情熱を表すタイプで会話という手段も良く使います。

文化に合った言葉や会話・・・
ある意味では古い人間です


「愛」というものは目にすることはできません。
感じるものかもしれませんね。

スピリチュアル的な「何かの存在」も目にすることは出来ません。
でも、愛より一般的には近くに思われていないかもしれませんね。

同じ目に見えないものなのに
あるものと確信されていて、かたやもう一方は怪しまれてしまいます。

「愛」を探すこともなく、そんなものはないと思う人たちもいるかもしれません。
確かに、これも本当に自分にとってのものを
探すのは時間がかかるかもしれないし大変かもしれません。
色々な「愛」もありますし・・・
家族愛、兄弟愛、他者からの愛・・・

家族として当たり前のように愛の中で育つ人もいるでしょう。
ココでは愛というものを感じられない人もいるでしょう。
どちらにしても、愛を理解することは難しいかもしれません。
当たり前と思っていれば、他者に対して知らずのうちに
愛をもって接しているかもしれませんが
本人の自覚はないので、愛とは?と聞かれても難しいかもしれません。
そうでなければ、どんなものが愛なのかも分からず
どうしていいのかさえ分からないかもしれません。


愛を求めるのが難しいのは
そんな不確かなもののような存在だからかもしれません。

でも、求めるから難しいことにも気がつきます。
自分と他者が同じようなものに愛を感じていれば
きっと、お互いが満たされるのでしょう。

強要して何とかなるものではないのです。
無理に自分の思う「愛」の形に相手をはめ込もうとしても
上手くいくはずもありません。


スピリチュアル的なものからの「愛」も同じなのかもしれません。
もちろん、もっと大きなものなのでしょうが・・・

この辺りは、また次回お話します。


自分がどう生きていようが、何を目指していようが
何を仕事にしていようが、実際に「愛」に
それなりに満たされている人は
もしかしたら少ないのかもしれません。

もし、もっと「愛」を感じていたら
世の中は変わるのかもしれないと思うのです。

慌てたところで目に見えないものを
簡単に見つけられるものではないでしょう。

時間をかけたって、見つけられたらラッキーなのかもしれませんよ{/heartss_pink/}

目に見えないものを探求するって
簡単ではないものです


LOVE



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