自分のこととなると、なかなかしっかりできないものです。
他人は簡単に「手放せ」「執着するな」とか言うことを簡単に言えます。
でも、では自分は何から何までそうサッパリできるか?
出来るものもあれば、出来ないものもありますね・・・
特に努力や長年頑張ってきたものに関しては難しいものです。
でも、手放す時期がきたら手放すしかないのかもしれません。
手放すと言っても、もしかしたら違った形をとることなのかもしれないし・・・
とにかく、同じ形であることを諦めるわけですね。
「時」がきたら、スムーズに移行していける場合と
あまりにも「執着」が激しいと剥ぎ取られる痛みが伴うかもしれません。
これは、自分の見極めにあるということでしょうか・・・
上手くできているのです。
つくづく私は社会に(会社に)不適合なのではないかと感じる。
きっと、そうなのだと思う・・・
でも、社会の不適合者だとしても社会において成功している人も沢山いる。
先日、あるTVにご出演のピーターバラカンさんもご自身のことをそう思っていたようだ。
ここでこの世の中において「成功」しているのなら
大きな力を個として持つことが出来るのだと思う。
しかし「成功」というものを得ていないのなら
ただの落第者という感じだ・・・
そう感じる人は
「変わってる」という言葉を言われたこともあるのではないでしょうか?
私は勝手に褒め言葉だと思っていますが・・・
どうして落第者と感じるのか?
社会の暗黙のルールに合わせられないから?
みんなと同じように出来ないから?
反発する必要は無い。
みんなの輪を乱してはいけない。
ただ、自分がはみ出してしまうだけならいい。
周りは静かに動いているのだから、それをかき乱すような迷惑をかけてはいけない。
何ができるのか?
何をしたいのか?
考えることが必要なのだと思う。
逃げたり、しがみつくのではなくて考える・・・
時期がくるまで、考える・・・
いくら待っても、いくら考えても答えがみつからない。
それでも探す・・・
その意味が少しづつ解ってきたかもしれな。