先日、気づいたことがあります・・・
例えば人に対し比較的良い行いをしていたり、正しいことを比較的している人と
ずるがしこく自分の我欲を満たすことばかりのために立ち振る舞っている人がいるとする。
正しい行いをしているのに、一向に経済力もつかないしずる賢い人に利用されたりする。
一方、ずる賢くしているほうは常に自分のメリットを考えているのでお金でもいい思いばかり。
何なのでしょう・・・?
正しいことって意味があるの?と思うと
「結局は上手くやったもの勝ちなんだ」と心をささくれ立たせてしまいがちです。
私も人を踏みつけて「のし上がりたい」といった人を沢山見てきて、そう感じます。
確かに一見、経済力がとても大きくなっていった人も多いし
能力も無いのにいい仕事についた人も多い。
私は知ると不愉快になったりすることもあるので、
縁の切れた人のことを知る必要はないと思ってしまうので
あまりその後のことは興味も無いので良く知りませんが・・・
でも、世の中ではそんな不公平だと感じることが沢山あります。
「よくズルしたり人に酷いことをしたらいつかかえってくる」ともいいますが
そんなことも無いようにもみえたり・・・
しばらくは良くても何十年後、老後は分かりませんね。
そうなんです
私たちの人生の時間という限られた中でもそんな原因と結果を目にすることも出来るわけで
魂からみた原因と結果だったら一個人の人生の中では味わえないこともあるわけです。
ここが、ポイントなのではないでしょうか?
自分の人生、どんなに努力してもちっともいいことがないと空しくなるかもしれませんが
そんなことはないのかもしれません。
もしかしたら貯金をしている人生をすごしているのかもしれない。
もしかしたら借りを返しているのかもしれない。
どちらにしても、目の前の出来事ややるべきことを見極めて取り組むことが
人生を生かすことになるのではないのでしょうか?
私たちはこの肉体にとらわれすぎて
あまりに短い時間の中での物事として考えすぎるのかもしれません。
おいしい思いが出来ない人生もあるかもしれません・・・
ギリギリのところまでおいつめられるかもしれません。
でも、手放されるようなことは無いのかも・・・
人生にしっかり取り組む必要は間違いなくある。
個々の人生は個々の責任の上に成り立ち使えるものです。
だからこそ、有効的に使いたいものです。