昨日の続きになりますが、
自分の人生を何の疑問も持たずに
当たり前のように信じられていることが鍵なんだと
改めて感じる…
自分の人生を信じているなら
グダグダ悩むこともない。
「全ては良くなるしかない!」
「ちゃんと解決できる!」
そんなポジティブなものしか残らない。
でも、なかなかそこまで自分を
最初から信じられている人は多くなくて
自我が芽生えてからいつに間にか
色々な疑問を自分自身に対して持ってしまう。
そこからきっと不信感と言うものを
気づかないうちに抱いているのだろう…
良いこと、嫌なことを繰り返しながらの人生の中で
更に、自分自身の理論のようなものを持って
より制限をかける人や
より自由になる人になる。
自分の中の根深く刷り込まれてしまった制限に
気づくのは容易なことではなく
簡単にネガティブなに気づけること自体は
案外そんなに解決することは難しくない。
それは表面的な感情に付随していたりするもので
その因果関係の自覚もあるから解決策を考え取り組んでいける。
人生に制限をかけないような自覚のない意識と
逆に、自分が自分で望む人生から遠ざけてしまうような
生きづらいものにさせる意識のあり方へと
自分自身がしている狭い思考の制限を
自覚のない意識が働いていることとは
大きく人生の選択に影響する。
どっちにしても、それも必要なこととも言えるけれど…
それでも、いつかは自分が制限している枠を
取り去りたいだろうし
少なくても枠を広げたら違うもの見えていくかもしれない。
人生が変化していくだろう。
今までが悪いわけでもないし
変わることが良いと言っているわけでもない。
せっかくなら、人生に色々なチャンスがあったら
もっと楽しいかも!といったもの。
最近、本当に本当に根深い意識の制限の狭さに気づき
今までの人生に影響をして
形作ったことに愕然としてしまった。
今ある状態は、そんな無意識にある制限が影響していて
それでも何回も何回も気づき、
枠を取ったつもりになっていたり
根深さのほんの表面的なものしか気づけずにいたり。
もう何にも制限なんてないけど…
気づくたびに傲慢にもそう思ったり。
根深いものが奥の奥の方にある。
ただ、気づくだけ。
自分がそこに気づくだけで
人生の自由度が格段に変わる。