やっと、パンらしきものが完成!
ただ、少しキメが粗いし形が潰れ気味だけれど
味は並なのでオッケー。
しばらく、パン作りにハマりそうです。
自分好みのものができるまで作り続けそう…
ちょっと気づいたことがある。
ずっと魂って、心って、人間って…?
とスピリチュアルなものを思っていたけれど
もしかしたら、
行き着く先にあるのは
単に「とても大きな合理的であるもの」
なのかもしれないと思った。
私たちは日々自分が感じている以上に
自分主体で物事を見たり感じたり
思ったり考えたりしている。
だから、そのとても狭い世界観の中にいるからこそ
一喜一憂したり酷いと思ったり幸せだと思ったり
酷いことだとか何とか感じているけれど
それがもっと、とてつもない次元から観たら
そんな個人のちっぽけなことなんて全く気にならず
もっと言えば、目にも入らず
完全な全体として在るべき状態を
在るべき形として
在るべき先に向けて執り行っていくだけなのかもしれないと。
そうだとしたら、
本当に究極的に合理的であるだけで
良いも悪いも、
何もそこには存在しないだろう…
ずっと色々なことを知りたい、
観えない何かに向かいたいと思っているけれど
もしかしたら、その向かう先には
単に「観察する」と言う感覚しか残らないのかもしれない
とハッと気づいたのですが…
私たちは沢山の経験をするために
ここにいるけれど
その感性が色褪せてしまうとしたら?
辛い時期にはそうなりたいと思う。
早く抜け出したいと…
幸せなときには複雑な気持ちになる。
悲しいような恐れのような…
肉体があるからこそ感じる囚われ。
人間らしさって
もしかしたら、そう言ったおかしな身勝手さなのかもしれない。
自分はどうありたいか?
自分の適性も含めて
向かう場所へ進んでいかなくてはいけない。
どの道だって
素晴らしいことに違いがないのだから。